中原街道は、江戸虎ノ門から平塚中原までを結ぶ脇街道。武蔵国と相模国を結ぶ街道として、かなり古くからあった古道。後北条氏の時代に整備された。もともとは大磯宿外れの化粧坂までであった。天正18年(1950年)関東に移封の際、徳川家康が利用したと云われている。中原街道と呼ばれるようになったのは、慶長9年(1604年)徳川幕府によって整備された以降である。小杉と平塚中原に御殿が造られ、平塚中原御殿が中原街道の由来となっている。相州街道
/ お酢街道 / 江戸間道 / 小杉道 / こやし街道 などの別称がある。徳川将軍が駿府との往復や鷹狩のときに利用された。東海道が整備されると、江戸・平塚間をほぼ直線で繋ぐ脇往還として利用された。東海道は大名行列に使われるため、その煩わしさを嫌う庶民や商人が利用した。
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