中原街道 No.06 桜ヶ丘駅…桜ヶ丘交差点-(約13km)-岡田西交差点…寒川駅
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桜ケ丘駅 |
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厚木飛行場 |
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大法寺 |
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綾瀬浄水場 |
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用田交差点 |
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岡田西交差点 |
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寒川駅 |
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小田急江ノ島線・桜ヶ丘駅東口から南へ、道なりに進む。すぐの桜ヶ丘駅東口交差点を直進して、467号線を右折して南へ進む。すぐの桜ヶ丘交差点で45号線(中原街道)と交差する。 |
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小田急江ノ島線の踏切 |
十一面観音 |
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桜ヶ丘交差点を右折して、45号線(中原街道)を南西へ進む。すぐの 小田急江ノ島線の踏切を越えると、すぐ左手の祠の上に十一面観音がある。昭和11年(1936年)村人の乗ったオート三輪と江ノ島行き電車が接触、11名即死2名重傷の大惨事となった。冥福と交通安全を願い十一面観音が造立された。
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引地川 |
厚木飛行場 |
大円寺 |
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十一面観音から5分足らずで、引地川と道路を跨ぐ新道下大橋を渡る。さらに5分足らずの代官1丁目交差点で、45号線は左へ曲がる。旧中原街道は右方向へ進む。すぐ右手に厚木飛行場があり、飛行場沿いの道を進む。厚木飛行場は第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官マッカーサーが降り立ったことで知られている。5分足らずの左手に大円寺がある。 |
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大円寺からすぐの代官2丁目交差点の先で、左へなだらかに曲がる。旧中原街道は直進していたが、厚木飛行場で途切れている。 |
旧中原街道が途切れる辺り |
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ここからは迂回絽となる。5分ほどすると代官3丁目交差点で45号線に突き当り、右折する。さらに5分ほどの綾瀬大橋入口交差点を左折する。この綾瀬大橋入口交差点の北側に旧中原街道が繋がっていた。 |
綾瀬大橋入口交差点北側 |
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地蔵 |
堅牢大地神 |
庚申塔 |
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綾瀬大橋入口交差点から45号線を南西へ進む。10分ほどの深谷原交差点を越えた左手に、地蔵 / 慶応3年(1867年)造立の堅牢大地神 / 文化11年(1814年)造立の道標を兼ねた庚申塔 が並んでいる。堅牢地神(けんろうじしん)は地天 / 地神 とも云われ、大地を堅固ならしめる神。庚申塔の左側面に「南大山道」 / 右側面に「西あつぎ □江戸道」 と彫られている。
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石仏石塔群から5分足らずの深谷交差点手前右手に、応永2年(1395年)創建の大法寺がある。
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大法寺 |
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柵に囲まれた石仏石塔群 |
五輪塔が彫られた石塔 |
堅牢大地神 |
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庚申塔 |
耕地整理記念碑 |
不動明王 |
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大法寺から5分足らずの深谷交番前交差点を越えた左手に。柵に囲まれた石仏石塔群がある。宝暦9年(1759年)造立の五輪塔が彫られた石塔 / 文政2年(1819年)造立の堅牢大地神 / 万延元年(1860年)造立の庚申塔 / 燈籠
/ 耕地整理記念碑 / 平成13年(2001年)造立の不動明王 がある。
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石仏石塔群から10分足らずの右手に、高座豚発祥地碑がある。旧高座郡綾瀬村一帯は、明治初期から養豚が盛んだったところ。途中に春日新道標識があった。綾瀬市内では、中原街道を春日新道と称している。歴史ある街道名を表示して欲しい。
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春日新道標識 |
高座豚発祥地碑 |
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道祖神 |
綾瀬浄水場 |
サイホウ塚 |
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高座豚発祥地碑から10分ほどの左手に、大正11年(1922年)造立の道祖神がある。すぐ右手の綾瀬浄水場に鉄塔が見える、5分足らずの女坂交差点を越えると藤沢市に入り、右手に「南無妙法蓮華経為佐要坊塚」の塔婆が立つサイホウ塚がある。
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サイホウ塚から10分ほどすると、新幹線の高架橋を潜る。すぐに左折すると、左手に示現寺がある。
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示現寺 |
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45号線に戻り南西へ進む。すぐ右手に「護法山寿昌寺入口」看板 / 右手に平成9年(1997年)再造立の双体道祖神 / 右手に地蔵
と続く。
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双体道祖神 |
地蔵 |
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不動明王 |
道標 |
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地蔵から5分足らずの用田交差点を渡った右手に、安永4年(1775年)造立の不動明王 / 「西 座間 上依知」と彫られた道標 がある。不動明王の石柱正面には「右 大山道」と彫られている。
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溶岩 |
丸太を使った塀 |
社 |
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45号線沿いには造園の溶岩などや丸太を使った塀などがあり、楽しませてくれる。用田交差点から15分ほどの宮原中央バス停先の右手に社がある。
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社から10分ほどのところに天野屋倉庫があり、旧中原街道はすぐに右方向へ進む。 |
のどかな旧中原街道 |
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右折してから5分足らずの突き当りを左折、すぐに45号線に突き当り右折する。10分足らずのところに分岐がある。左方向に曲がる45号線は、江戸時代後期の中原街道。直進して古くからの旧中原街道を進む。
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左:45号線 / 直進:旧中原街道 |
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分岐からすぐに工場に突き当り、旧中原街道は途切れる。右折して工場の北側沿いに迂回する。5分ほどのY字路を左へ進む。
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二股道 |
中原街道案内板 |
地蔵 |
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Y字路からすぐに、左手からの工場で途切れた旧中原街道と合流する。すぐの寒川小学校前交差点を直進、すぐの二股道は右へ進む。すぐ左手の墓地の前に消えかけた中原街道案内板 / 右手に地蔵 と続く。地蔵の左脇に花木に隠れた不明の石塔がある。
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地蔵から5分足らずの1217岡田西交差点を、旧中原街道は直進して南へ進む。
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[寄り道]寒川神社 |
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御旅所 |
寒川神社の神田 |
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岡田西交差点を右折して、北西へ進む。5分ほどの寒川町役場前交差点手前右手の寒川町商工会敷地に、御旅所がある。御旅所とは、神社の祭礼のときに神輿巡幸中に休憩または宿泊させる場所のこと。寒川町役場前交差点で46号線に合流、北へ進む。5分ほどの健康センター前交差点手前を左折して農道を進むと、寒川神社の神田がある。左手方向に寒川神社二之鳥居が見える。 |
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二之鳥居 |
神池橋 / 三之鳥居 |
神門 |
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迎春ねぶた |
拝殿 |
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健康センター前交差点を左折して北西へ進むと、5分足らずで三之鳥居前の寒川神社前交差点に至る。寒川神社は延喜式神名帳(927年編纂)に記載がある式内社。相模国における延喜式内社十三社の内、唯一の名神大社とされる相模国一之宮。正月三が日には延40万人が初詣に訪れと云われ、1月3日は大変な混雑だった。 新年には神門に「迎春ねぶた」が掲げられる。一之鳥居は寛政8年(1796年)に造立されるが、安政2年(1855年)江戸大地震 / 大正12年(1923年)関東大震災 により二度倒壊している。参道を入ってすぐ右手に、倒壊した鳥居と案内板がある。
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三之鳥居手前右手に、西善院がある。江戸時代の寒川神社は、別当寺(薬王寺)と供僧寺(神照寺 / 中之坊 / 三大坊 / 西善院)が神事・仏事を執行していた。明治2年(1869年)神仏分離により、西善院が薬王寺
/ 神照寺 / 中之坊 / 三大坊 を引継いだ。
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西善院 |
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岡田西交差点を左折して東へ進む。すぐの寒川駅北口交差点を右折すると、JR相模線・寒川駅がある。
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