美濃路(みのじ)は江戸時代に、東海道・熱田宿(宮宿)と中山道・垂井宿を結んだ14里24町(57.5q)の脇往還(脇街道)である。近江路 / 起街道 / 墨俣街道
とも呼ばれていた。古代、東海道から尾張国・国府(現:稲沢市)を経由して東山道・不破関に至る経路であったと云われている。
織田信長が元服した古渡城 / 清州城 など、織田信長の天下布武への道でもあった。関ヶ原の戦いでは、東軍の先鋒である福島正則が起(現:愛知県一宮市)から美濃へ進軍した。戦いに勝利した徳川家康が凱旋した道で、吉例街道とも呼ばれた。
江戸時代の東海道は熱田宿(宮宿)と桑名宿は七里の渡しであったが、水難事故が起こり易い難所とされていた。このため遠回りであるが、美濃路と中山道を利用することも多かった。将軍上洛時 / 朝鮮通信使 / 琉球王使 / お茶壺道中 などが通行した。
宿場は、宮宿(愛知県名古屋市熱田区) / 名古屋宿(愛知県名古屋市中区) / 清須宿(愛知県清須市) / 稲葉宿(愛知県稲沢市) / 萩原宿(愛知県一宮市)
/ 起宿(愛知県一宮市) / 墨俣宿(岐阜県大垣市) / 大垣宿(岐阜県大垣市) / 垂井宿(岐阜県垂井町) があった。 |