佐屋街道 熱田伝馬町追分-(約24km)-佐屋宿
2022年10月20日(木) 晴れ
佐屋(さや)街道は、熱田宿(宮宿)から佐屋宿までの陸路(6里) / 佐屋宿から桑名宿までの水路(3里) によって結んでいた街道。寛永11年(1634年)徳川家光上洛のとき、尾張藩初代藩主・徳川義直が開いた道と云われている。東海道は熱田宿(宮宿)と桑名宿は七里の渡しであったが、海路のため水難事故が起こり易い難所とされていた。東海道の迂回路として、多くの大名や旅人が佐屋街道を利用した。
天保4年(1647年)佐屋街道の宿場は、岩塚 / 万場 / 神守 / 佐屋 があった。佐屋街道には五女子 / 岩塚 / 千音寺 / 神守 / 埋田 の一里塚があった
熱田伝馬町追分~金山新橋交差点の南西の角にある佐屋街道道標までは、美濃路との重複区間になる。
美濃路との重複区間

金山新橋交差点の南西角に文政4年(1821年)造立の佐屋(さや)街道道標がある。「東 右 なこや 木曽 海道」「右 宮海道 左 なこや道」「南 左 さや海道 津しま道」と彫られている。

佐屋街道道標

佐屋街道道標から西に進むと、すぐに堀川に架かる尾頭橋(おとうばし)を渡る。堀川は名古屋城築城のために造られた運河で、熱田の七里渡し付近へ流れている。10分ほどで東海道新幹線を潜り、すぐ右手の唯然寺境内の街道沿いに津島街道一里塚石標がある。佐屋街道・五女子一里塚跡である。津島街道を津島上街道と呼ぶ場合、佐屋街道は津島下街道にあたる。

朝日を浴びて伸びる影 津島街道一里塚石標

津島街道一里塚石標から10分ほどすると、左手の中川福祉会館前に、佐屋街道石標 / 案内板 がある。

佐屋街道石標

中川福祉会館5分足らずの長良橋東交差点の手前左手に、明治天皇御駐蹕(ちゅうひつ)之所碑がある。すぐに中川運河を長良橋で渡る。20分ほどするとJR / 近鉄・烏森(かすもり)駅南側のガードを潜る。烏森は、佐屋街道の立場だったところ。15分ほどの豊国通6交差点を越えると岩塚宿に着く。本陣1 / 旅籠7 の規模だった。

豊国通6交差点から15分ほどの左手に、八幡社 / 隣接して光明寺 がある。神社の向かい側に岩塚宿の本陣があった。
八幡社 光明寺
すぐに庄内川の堤防に突き当たったところは万場の渡し跡で、往時は渡し船で渡っていた。迂回するため突き当たった道を右折して万場大橋方向に進むが、この道は万場大橋の手前を潜るだけで橋にはでられない。突き当たった道を左折、すぐに土手からの道と合流する。合流から鋭角に右折すると、庄内川の河川敷が見渡せる。この2本の道は車がひっきりなしに通り、横断には注意が必要である。
庄内川の河川敷
庄内川 秋葉神社
迂回して庄内川に架かる万場大橋を渡り、すぐに長い階段を下る。庄内川方向に道なりに進むと、すぐ左手の土手に秋葉神社 / 万場宿案内板 がある。万場宿は万場の渡しを挟み、岩塚宿と一宿と見なされ、月の上半月を万場宿 / 下半月を岩塚宿 が交代で人馬継立の役務を行った。万場宿は本陣1 / 問屋場1 / 旅篭10 の規模であった。

[迷い道]

万場宿の町並みを進む。宿場の規模が頭に残り、宿場の長さを誤っている。また久々の街道歩きで、勘が鈍っていたことも要因。途中で右折してしまい、早めに115号線に出てしまう。左手の万場スバルバス停前に天神社があり、佐屋街道と交差する万場交差点に出る。ここから佐屋街道を逆に進み、間違えたところまで戻る。
天神社
万場宿を進むと、右手に覚王院観音寺(ちちの観音) / 隣接して国玉神社・八剣社 がある。覚王院観音寺は境内にある乳の木の実を食べたら、乳の出が良くなったと云われている。国玉神社は尾張大国霊神社より勧請したと云われ、「延喜式神名帳」に記載されている式内社。
覚王院観音寺 国玉神社・八剣社
不明の祠 常夜灯 光圓寺山門
国玉神社・八剣社の角に祠があり、街道は大きく右に曲がる。すぐ左手に大きな常夜灯が見え、 光圓寺がある。山門は織田信長と斎藤道三が会見した聖徳寺から移築したもの。境内にある三重塔は平成19年(2007年)建立と新しい。
光圓寺本堂 光圓寺三重塔
5分ほどの万場交差点を渡って北西へと進むと、すぐ右手に浅間神社がある。
浅間神社
浅間神社から佐屋街道は左折する。道なりに新川に平行する道を北に進み、新川に架かる砂子橋を渡る。新川は川幅のあり、往時は橋か渡しか気になるところ。すぐ右手に十二所神社の鳥居と常夜燈がある。浅間神社から10分ほどである。道なりに北に進路が変わる。5分ほどの十字路の北東側に地蔵堂がある。
十二所神社鳥居 地蔵堂
常夜燈 / 題目塔 不明の祠 稲荷社
十字路を佐屋街道は左折する。街道を西へと進むと、すぐ右手に常夜燈と南無妙法蓮華経題目塔 / すぐ右手に不明の祠 / すぐ右手に稲荷社 / 佐屋街道 従是馬嶋明眼院道 標識 と続く。祠は道路工事のため、覗き込むことができなかった。明眼院は尾張国海東郡馬嶋村(現:愛知県海部郡大治町)にあり、日本最古の眼科専門の医療施設として知られる。
佐屋街道 従是馬嶋明眼院道 標識
すぐに東名阪自動車道を潜る。すぐの変則十字路を佐屋街道は道なりに北西に進むが、誤って西方向に進んでいる。直角三角形の隣辺から対辺と進み、斜辺にある七所神社は通っていない。

佐屋街道に戻り、しばらくすると狐海道東交差点に出る。往時のこの付近は家一軒ない淋しい所で、狐に化かされたという伝承がある。狐海道東交差点を左折して北西に進む。5分ほどすると福田川に架かる秋竹橋を渡り、七宝焼発祥の地である七宝町に入る。5分ほどの小切戸川に架かる秋竹西橋を渡った右手に黒板塀の屋敷がある。

黒板塀の屋敷
秋竹西橋から30分ほどの神守町交差点を過ぎると、すぐ右手に神守の一里塚がある。佐屋街道で残る唯一の一里塚であるが、右側しか残っていない。椋(むく)の木が植えられている。
神守の一里塚
5分足らずの神守町下町交差点を右折すると神守宿となる。

神守町下町交差点を直進すると、すぐ左手に神守郵便局がある。風景印は神守の一里塚が期待されたが、古い町並みの角にある道標 / 津島市鳥・シラサギ の図柄であった。

神守郵便局風景印
 佐屋街道Ⅱに続く