佐屋街道 熱田伝馬町追分-(約24km)-佐屋宿
2022年11月10日(木) 晴れ
神守町下町交差点から北に進むと神守宿で、本陣:1 / 旅籠:12 の規模だった。すぐの突き当たりの古民家前左手に“神守の宿場跡”標柱があり、左折する。
突き当たりの古民家
5分足らずの右手に、穂歳(ほうとし)神社がある。
町並み / 神守の宿場跡標柱 穂歳神社
用水に沿った道を進み、15分ほどすると越津町交差点で県道と合流する。三角地帯に地蔵がある。10分足らずで日光川に架かる日光橋を渡る。川幅があり、往時は橋か渡しか気になるところ。
地蔵 日光川
津島街道埋田 常夜燈 津島神社一の鳥居の残骸
日光橋を渡ってから10分余りのところに埋田町交差点があり、次を左折してすぐに右折する。すぐに津島街道埋田(うめだ)追分がある。東面に「右 つしま天王みち」 / 北面に「左 さやみち」 / 南面に「東 あつた なこや 道」と彫られた津島街道埋田追分道標 / 津島街道埋田追分標柱 / 常夜燈 / 昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で倒壊した津島神社一の鳥居の残骸 がある。
津島街道埋田追分標柱
津島神社鳥居 津島神社楼門 津島神社社殿

津島街道埋田追分から北西方向に明天皇元年(540年)創建の津島神社がある。津島神社本殿(重文)は慶長10年(1605年)徳川家康の四男・松平忠吉の妻・政子により寄進 / 津島神社楼門(重文)は天正19年(1591年)豊臣秀吉により寄進 されたもの。
鳥居の手前右手に津島門前郵便局がある。風景印は、津島神社楼門 / 藤の花 の図柄になっている。

津島門前郵便局風景印

津島街道埋田追分より佐屋変電所の南側にある佐屋海道碑辺りまで、佐屋街道は消滅している。津島市民病院などを斜めに通っていた。津島街道埋田追分より西に進み、5分足らずの十字路を左折して南に進む。すぐ左手に津島市民病院前バス停があり、10分余りで右手に愛宕神社の林が見えてくる。右折して小路を進むと、左手に愛宕神社がある。佐屋街道はこの辺りに通じていた。

愛宕神社
日置八幡宮神門 日置八幡宮社殿 明通寺
愛宕神社から南西方向に進む。15分ほどすると、左手に養和元年(1181年)創建の日置八幡宮 / すぐ左手に明通寺 と続く。

5分足らずのところ南西側にコンビニがあるところを右折して西に進み、5分ほどすると名鉄の踏切を渡る。5分ほどすると左手に佐屋変電所があり、手前を左折して佐屋変電所沿いに南に進む。すぐに道は直角に曲がり、ここから佐屋街道が復活する。西に進むとすぐ右手に昭和54年(1979年)造立の佐屋海道碑がある。

佐屋海道碑 佐屋海道碑から東方向の佐屋街道
浄法寺 天神社
佐屋海道碑から左折して458号線を南に進む。10分ほどの右手に祠 / 右手に浄法寺 / 右手に天神社 と続く。
すぐの須衣(すえ)交差点を右折、佐屋宿に入る。天保14年(1843年)の記録によれば,本陣2 / 脇本陣1 / 旅籠31 / 人口1260人 と結構大きな宿場であった。
町並み 「左 さや舟場道」道標

すぐ左手に社 / 左手に“左 さや舟場道”道標 / 右手に“佐屋代官所址”石柱 と続く。“左 さや舟場道”道標は、昭和54年(1979年)現在地に移築したもの。佐屋代官所址辺りには、代官所の外佐屋御殿 / 舟番所 / 舟会所など が並んでいた。

佐屋代官所址石柱
佐屋交差点を渡った左手の公園に、佐屋三里之渡趾碑がある。ここから舟で桑名への三里の船旅になっていた。佐屋川から木曽川を経て桑名へ渡っていた。川下りなので海ほど荒れることはなく、利用する人が多かった。佐屋川は明治時代に埋め立てられてしまっている。
佐屋三里之渡趾碑
佐屋郵便局風景印 八幡社

須衣交差点まで戻り、南に進む。すぐ右手に祠 / 佐屋郵便局 / 八幡社 と続く。佐屋郵便局の風景印は、養老山脈 / 佐屋町花・桔梗 / 水鶏塚の芭蕉句碑 の図柄になっている。
5分足らずの十字路を左折すると、すぐ左手に名鉄津島線・佐屋駅がある。

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