東海道53次 No.17 由比駅-(約8km)-興津駅
2009年 6月 6日(土)10:15 晴
JR東海道本線・由比駅より370号線を南西へ進む。すぐに396号線と合流するところに標識があり、396号線を歩道橋で越える。すぐの寺尾澤橋を渡り、変則五差路を西へ進む。すぐに右折すると、すぐ右手に航海の守護神を祀る福岡・宗像神社を勧請した宗像神社がある。
標識 宗像神社
讃徳寺 古民家 時計台
変則五差路まで戻り、旧東海道を南西へ進む。すぐ右手に寛文9年(1669年)創建の讃徳寺 / 境内に七面堂 がある。街道沿いの民家や庭先では、びわが売られている。すぐ右手に時計台 / 右手に名主の館・小池邸 / 左手に東海道あかりの博物館(有料施設) / 右手に秋葉山石柱と常夜燈 と続く。
小池邸 秋葉山石柱 / 常夜燈
八阪神社 中峯神社道標 丸石道祖神
秋葉山石柱から10分足らずの右手に、八阪神社の急な階段 / 寛政年間(1789年〜1801年)創建の中峯神社への道標 がある。すぐの権現橋を渡ると、すぐ右手に丸石道祖神 / 右手にさった峠にあった山の神神社が移転いたと云われる鞍佐里神社鳥居 / 右手に宝積寺 と続く。
宝積寺
本陣跡 脇本陣跡 藤屋
宝積寺からすぐに寺澤橋を渡る。5分足らずの左手に、間の宿・倉沢の本陣跡がある。すぐの倉澤橋を渡ると、すぐ左手に間の宿・倉沢の脇本陣跡 / 左手に茶屋・藤屋 と続く。富士山の眺望が良かったため、望獄亭と呼ばれていた。すぐのY字路の右手に倉沢一里塚跡がある。右へのの道がさった峠への登り坂となり、すぐ左手に倉沢道標がある。
倉沢一里塚跡 倉沢道標

旧東海道の由比宿と興津宿の間に位置する。JIS第3水準のため表示できないため、さった峠と表記される場合が多い。山が海へ突き出す地形となっており、海岸線の道(下道)は波にさらわれない様に駆け抜ける必要があった。箱根峠や金谷宿と日坂宿の間にある小夜の中山(さよのなかやま) とともに、古くは旧東海道の三大難所と云われていた。この迂回絽として峠越えの道が造られた。上道(地蔵道)や 中道などがあった。散策路として案内されているのが中道で、主に慶長年間(1596年〜1615年)から明暦年間(1655年〜1657年)まで利用された。急勾配のところもあるが、箱根峠や小夜の中山より楽な峠道である。峠からは駿河湾と富士山、眼下にはJR東海道本線 / 1号線 / 東名高速道路 の絶景が見渡せる。

1車線ほどの舗装道を登る。枇杷やミカン畑が広がる斜面のところどころに、農作業用の簡易モノレールが多数設置されている。振り返る景色はだんだんと良くなるが、けぶっていて富士山は見えない。
簡易モノレール 峠越え風景
さった峠道標 石塔 山之神遺跡碑
倉沢道標から20分ほどすると、左手にさった峠道標 / 石塔が2基 ある。石塔2基は光線状態が悪いこともあり判読できないが、古い石塔は延享元年(1744年)造立のさった地蔵道道標の様である。分岐を右へ進むのが上道(地蔵道)になる。左手にあるさった峠駐車場には、鞍佐里神社に移されたと云われる山之神遺跡碑 / さった峠の戦い案内板 / トイレ がある。さった峠の戦いは、南北朝時代の正平6年 / 観応2年(1351年)足利尊氏軍と弟の足利直義軍との合戦。永禄11年(1568年)武田信玄と今川氏真 / 永禄12年(1569年)武田信玄と今川氏救援の北條氏康 の戦いの場所にもなっている。
興津郵便局風景印
展望台 展望台より由比方向眺望
山之神遺跡碑右手の土道を下り、遊歩道を進む。5分足らずのところに展望台がある。広重の絵と写真が掲示された案内板がある。駿河湾と富士山、眼下にはJR東海道本線 / 1号線 / 東名高速道路 の絶景が見渡せる筈であった。肝心の富士山はけぶって見えなかった。2016年1月7日に冬らしい天気になるとの予報で出掛ける。天気予報に反し、ぽかぽか陽気でけぶって見えなかった。2009年には東屋で小田原駅で購入した弁当を摂っている。
東屋
牛房坂石柱 さった峠碑 さった峠道標
東屋からすぐの右手に牛房坂石柱 / さった峠碑 と続く。5分ほどすると、左手にさった峠道標道標 / さった峠標柱 / さった峠碑 がある。右手にさった峠の歴史と合戦の案内板がある。
さった峠標柱 さった峠碑
階段 土の階段 無縁仏
階段を降りると、途中から暗い土の階段になる。前日の雨で滑り易い。墓地の左手に無縁仏が集められている。さった峠を下り始めてから5分ほどの左手に、トイレが併設された休憩施設 / 案内地図 がある。すぐの十字路に標識があり右折すると、すぐに左手に文政2年(1819年)造立の秋葉山常夜燈がある。
秋葉山常夜燈
古民家 常夜燈 / 瑞泉寺石柱 瑞泉寺
常夜燈からすぐのT字路に標識があり、左折する。道標が直進する様に動かされており、直す。すぐに標識があり左折すると、すぐ左手に瑞泉寺の石柱 / 文政2年(1819年)造立の常夜燈 がある。右折するとすぐ左手に瑞泉寺がある。
常夜燈 標識 土地改良の碑
瑞泉寺石柱まで戻り、旧東海道を南へ進む。5分足らずで合流するところの三角地帯に、郵便ポスト / 興津側からは重要な標識 がある。すぐ左手に土地改良の碑 / 左手に牛頭観音 / 右手に川越遺蹟案内板とさった峠地図 と続く。
牛頭観音 川越遺蹟案内板 / さった峠地図
興津川橋 古民家 宗像神社
日露戦争殉国碑からすぐのJR東海道本線を潜り、右折して興津川橋を渡る。右手に見えるJR東海道本線の鉄橋を3両編成の電車が通過する。興津川橋を渡ると、5分足らずで1号線に合流する。すぐの興津中町交差点を越えた右手に、興津郵便局がある。風景印は期待通りのさった峠がデザインされたもの。興津郵便局の先を右折すると、突き当りに海上航海の守護神を祀る福岡・宗像神社を平安時代に勧請した宗像神社がある。
常夜燈 / 題目塔  不明の石塔 / 身延道道標 石塔寺無縁供養塔 / 不明の石塔
旧東海道に戻り、南西へ進む。すぐ右手に元録6年(1693年)造立の身延道道標 / 明治時代に廃寺となった石塔寺の門前にあった髭題目塔「南無妙法蓮華経」などの石塔群がある。5分ほどの興津駅前交差点を右折すると、すぐの突き当りにJR東海道本線・興津駅がある。
身延山・久遠寺→