甲州街道 No.15 番外 身延山・久遠(くおん)
身延道(みのぶみち)は甲斐国と駿河国を結ぶ街道で、日蓮宗総本山である身延山・久遠寺への参拝の道でもあった。甲州街道の相生(あいおい)から南下して身延 / 万沢(現:南部町) を経由して、東海道に至る。万沢からは、興津 / 由比 / 岩淵 それぞれに至る道筋があった。興津に至る道筋は、武田信玄が駿河に侵攻するときの軍事路として整備された。岩淵に至る道筋が古いと云われ、約80kmの道程だった。なおJR東海道本線・富士川駅は、明治22年(1889年)に東海道本線が開業したときは岩淵駅であった。富士川駅に改称されたのは、昭和45年(1970年)のことである。
旧甲州街道・甲府側
相生交差点から旧甲州街道(52号線)を西へ進むと、すぐの丸の内郵便局東交差点南西側に、昭和50年(1975年)に復元された「南 みのぶみち」「西 志んしうみち」道標がある。
道標
旧東海道・興津側
常夜燈 / 題目塔  不明の石塔 / 身延道道標 石塔寺無縁供養塔 / 不明の石塔
興津駅前交差点から5分ほどの左手に、元録6年(1693年)造立の身延道道標 / 明治時代に廃寺となった石塔寺の門前にあった髭題目塔「南無妙法蓮華経」 などの石塔群がある。身延道道標には「宍原江四里 万沢江三里 南部江三里 身延江三里」と彫られている。
JR身延線・身延駅スタンプは、しだれ桜が咲く久遠寺 の図柄になっている。
JR身延駅スタンプ
 
富士川  身延山  旧身延町マンホール
JR身延線・身延駅から、駅前を通る9号線を北へ進む。5分ほどの交差点を左折して、富士川に架かる身延橋を渡る。右前方に標高1153mの身延山が見える。山麓の標高400m付近に、身延山・久遠(くおん)寺がある。山頂へはロープウェイで7分ほどで。山頂に奥之院がある。 旧身延町マンホールは、駅前から5分ほどの交差点間だけに数個あったもの。中央に旧身延町章 / 周りにしだれ桜 の図柄になっている。
身延橋を渡り、すぐの交差点を道なりに右方向へ進む。5分ほどするとトンネルに入る。トンネル手前右手から、歩行者専用の迂回トンネルもある。トンネルを抜けさらに5分ほどすると、52号線を潜る。この辺りから久遠寺入口交差点を経て、52号線に合流するまでが旧身延道らしい。
52号線を潜ってからすぐの波木井交差点を右折する。すぐに左折して西へ進むと、すぐ左手に身延郵便局がある。この道は川沿いに久遠寺入口交差点手前に至る道で、往時の古道かも知れない。風景印は、井桁 / 身延山 / 久遠寺伽藍 の図柄になっている。日蓮宗の宗紋は、井桁に橘紋である。 身延山郵便局と同じ図柄で、郵便局名の“山”を削っただけである。
身延郵便局風景印
52号線を潜ってから15分ほどすると、久遠寺入口交差点がある。右折して総門を潜る。久遠寺入口交差点からは登り坂となる。
総門
総門から10分ほどの右手に、身延山郵便局がある。この辺りは土産店や飲食店が多い。風景印は、身延郵便局と同じ図柄になっている。
身延山郵便局風景印
三門 菩提梯
総門から15分ほどすると、三門がある。参道を進むと、寛永9年(1632年)に造られた菩提梯(ぼだいてい)と呼ばれる287段の急な階段がある。伽藍は明治8年(1875年)の大火で焼失しているため、目にすることができる往時を偲ぶ遺構。
本堂 五重塔
祖師堂 御真骨堂拝殿 仏殿
客殿 法喜堂 大鐘
甘露門 時鐘 絵馬

身延山・久遠(くおん)寺は、弘安4年(1281年)に創建された日蓮宗の総本山。文永11年(1274年)甲斐国波木井(はきい)郷の地頭・南部六郎実長が、佐渡から鎌倉に戻った日蓮を招き西谷の地に草庵を結んだのが始まり。伽藍は明治8年(1875年)の大火で焼失している。甘露門は女坂を登ったところにあり、すぐ左手に時鐘がある。絵馬は少し怖い図柄。