東海道53次 No.02 品川駅-(約11km)-川崎駅
2008年 4月 6日(日)10:00 晴
JR品川駅高輪口より15号の左側を進む。旧東海道は5分ほどの八ツ山橋交差点の横断歩道を渡り、八ツ山橋の右側を進む。すぐに右折して京浜急行電鉄の踏切を渡る。すぐ右手に京浜急行電鉄・北品川駅がある。品川駅の南にあるが、旧東海道・品川宿の北にあたるところにある駅。品川宿のところどころに、旧東海道の道標がある。
旧東海道の道標 街道沿いの商店
善福寺 法禅寺 一心寺
5分足らずの左手に善福寺 / 左手に弘和4年(1384年)創建の法禅寺 / 左手に嘉永7年(1855年)創建の一心寺 と続く。一心寺は東海七福神の寿老人になっている。通りを挟んだ反対側の小道を進むと、正安元年(1299年)創建と云われる養願寺がある。東海七福神の布袋尊になっている。
養願寺
旧東海道に戻り南東へ進む。すぐの東海道北品川交差点手前から品川神社参道を西へ進むと、すぐ右手に正徳寺がある。永仁6年(1298年)に創建された善永寺が始まりで、延宝3年(1675年)に改称する。
正徳寺
品川神社参道
品川神社 品川神社富士塚
品川神社参道を西へ進み15号線を越えると、文治3年(1187年)創建の品川神社がある。地名の由来になっている神社で、東海七福神の大黒天になっている。階段を登り途中で左に進むと、溶岩で造られた富士塚がある。
[寄り道]東海寺〜天龍寺〜海蔵寺〜本光寺〜心海寺
品川神社から15号線を南へ進む。すぐの北品川2丁目交差点を右折する。すぐの子供の森公園交差点手前左手に、寛永14年(1637年)徳川家光が沢和尚庵を招聘して創建した東海寺がある。広大な寺領があったが、明治維新で廃寺となり政府に接収される。東海寺塔頭十七寺の玄性院が旧跡を引き継いだ。仏殿は昭和5年(1930年)に建立された禅宗建築物。
東海寺仏殿
子供の森公園交差点を左折して南へ進む。すぐの目黒川を要津橋で越えた左手に、東海寺塔頭十七寺として慶安3年(1650年)に創建された清光院 / 右手に小野稲荷神社 と続く。
清光院 小野稲荷神社
天龍寺 大龍寺 馬頭観音

小野稲荷神社からすぐの突き当りを左折して東へ進む。すぐの十字路の北西角に、外壁が煉瓦塀の天正9年(1582年)創建の天龍寺がある。十字路を左折すると、寛正4年(1463年)創建の大龍寺がある。「これより境内(参道)墓参者以外無断立入禁止」看板がある。十字路まで戻り南へ進むと、左手に馬頭観音がある。十字路まで戻り東へ進むと、すぐ右手に永仁6年(1298年)創建の海蔵寺がある。江戸時代には品川宿の投げ込み寺であった。

海蔵寺
清光寺 本光寺 本光寺三重塔

海蔵寺からすぐに15号線と南品川4丁目交差点で交差する。左折するとすぐ左手に、本光寺の塔頭として創建された清光寺 / 永徳2年(1382年)創建の本光寺 が隣接している。本光寺墓地にある三重塔は、昭和60年(1985年)に建立されたもの。寛永19年(1642年)徳川家光が本光寺を訪れ、本光寺住職・日啓と増上寺住職・意伝が東海寺・沢庵和尚の立会いのもとに念仏無間の問答(品川問答)をした。

南品川4丁目交差点まで戻り、15号線を越えて東へ進む。すぐ右手に寛正3年(1462年)創建の願行寺 / 左手に長享元年(1487年)創建の妙蓮寺 と続く。
願行寺 妙蓮寺
蓮長寺 本栄寺 心海寺

妙蓮寺からすぐの京浜急行線高架を潜った左手に弘安年間(1278年〜1287年)創建の蓮長寺 / 左手に天正2年(1574年)創建の本栄寺 / 右手に正保4年(1647年)創建の心海寺 と続く。すぐに旧東海道と交差する。

荏原神社恵比須

荏原神社鎮守橋

荏原神社
旧東海道に戻り、東海道北品川交差点を越える。すぐの目黒川を渡る手前の右手に、和銅2年(709年)創建の荏原神社がある。目黒川に架かる鎮守橋の桜が見事である。東海七福神の恵比須になっている。
常行寺 長徳寺 長徳寺閻魔堂
天妙国寺山門 天妙国寺 諏方神社
荏原神社から5分足らずの右手に嘉祥3年(850年)創建と云われ 常行寺 / 右手に寛正4年(1463年)創建の長徳寺 / 右手に弘安8年(1285年)創建の天妙国寺 / 右手に弘安年間(1278年〜1287年)創建の諏方神社 と続く。長徳寺は、寛永14年(1637年)東海寺創建により移転させられた。長徳寺閻魔堂は、南品川にあった東光寺から移築したもの。
江戸六地蔵 品川寺
天妙国寺からすぐの右手に、大同年間(806年〜810年)創建と云われる品川寺(ほんせんじ)がある。境内に入ってすぐ左手に江戸六地蔵がある。江戸三十三観音31番札所 / 東海三十三観音21番札所 / 東海七福神(毘沙門天)になっている。明暦3年(1657年)の銘がある梵鐘には、六観音像が鋳出されている。幕末に海外へ流出し、1867年のパリ万博や1871年のウィーン万博に展示されたと云われている。スイス・ジュネーヴ市のアリアナ美術館に所蔵されていることが判り、昭和5年(1930年)に返還される。
海雲寺 海雲寺平蔵地蔵 幸稲荷神社
品川寺からすぐ右手に、建長3年(1251年)創建の海雲寺 / 境内に民話になっている平蔵地蔵 がある。すぐ右手に幸稲荷神社がある。
幸稲荷神社から5分足らずの右手に、鮫洲八幡神社がある。
鮫洲八幡神社
鮫洲駅八幡神社からすぐの交差点を右折すると、すぐ右手に阿弥陀堂がある。直進すると大井消防署前交差点に至る。
阿弥陀堂
旧東海道に戻り、南へ進む。5分ほどすると、右手に嶺雲寺がある。
嶺雲寺の堂
嶺雲寺から5分足らずの右手に、仲町稲荷神社がある。
仲町稲荷神社
天祖諏訪神社 厳島神社 天祖諏訪神社絵馬
仲町稲荷神社からすぐの右手に、天祖(てんそ)諏訪神社がある。天祖神社は、建久年間(1190年〜1199年)大井郷之図に神明社として記載されている。正暦元年(990年)創建の別当寺・来福寺の境内にあったとも云われている。諏訪神社は寛永8年(1631年)以前に創建されたと云われ、松平土佐守下屋敷の海岸寄りにあった。昭和40年(1965年)天祖神社と諏訪神社が合併した。東海七福神の福禄寿になっている。
天祖諏訪神社からすぐの交差点を右折する道は、中原街道・洗足坂上に至る品川道。
交差点から5分ほどすると15号線(第一京浜)と合流する手前右手に、大経寺 / 鈴ヶ森刑場跡 と続く。慶安4年(1651年)に開設され、明治3年(1870年)に廃止された。江戸時代には、江戸の北の入口(日光街道)沿いに設置されていた小塚原刑場とともに、南の入口(東海道)沿いに設置されていた刑場であった。
大経寺 鈴ヶ森刑場遺跡
第一京浜国道と合流して第一京浜国道を品川駅方面に進む、左手に永徳2年(1382年)創建の泊船寺 / 建長3年(1251年)創建の海晏寺がある。海晏寺の紅葉は、御殿山の桜と並ぶ江戸名所だったと云われている。
泊船寺 海晏寺
磐井神社 磐井神社・鈴石 密厳院
第一京浜国道を川崎宿方向に進み京浜急行電鉄・大森海岸駅を通過すると、右手に敏達天皇2年(573年)創建と云われる磐井神社がある。東海七福神の弁財天となっている。境内には、鈴ヶ森の由来となっている鈴石(すずいし)がある。次の交差点を右折すると、左手に文安5年(1448年)創建の密厳院がある。放火をして火あぶりの刑になった「八百屋お七」の霊を慰めるために立てられた「お七地蔵」がある。
旧東海道三原通り道標 徳浄寺 美原不動院
磐井神社から第一京浜国道の左側を進むと旧東海道三原通りがある。第一京浜国道が産業道路と分岐するところまで続き、徳浄寺や美原不動院がある。
大森神社 貴舩神社 谷戸の閻魔大王・延命地蔵尊
第一京浜国道の右側を進むと、天正年間(1573年〜1591年)の創建と云われている大森神社(寄来神社)がある。貴舩神社隣の駐車場には、谷戸の閻魔大王・延命地蔵尊堂がある。
大田区体育館が見えてくると、右手に梅屋敷跡の梅屋敷公園がある。道中薬の販売していた山本家の屋敷跡で、梅の名所であったところである。園内には句碑や歌碑がある。
梅屋敷跡
熊野神社 六郷神社 寶珠院
熊野神社を過ぎ、第一京浜国道の左側を進むと天喜5年(1057年)創建と云われる六郷神社がある。六郷神社の先で第一京浜国道から分かれる小道が旧東海道。渡し場へ通じる道であるが、川まで行くことはできない。六郷橋が近づいてくると、右手に慶安年間(1648年〜1651年)創建の宝珠院がある。玉川八十八ヶ所85番になっている。左手には観乗院がある。
観乗院
六郷橋の左側を進むと、川崎側には渡船のモニュメントや明治天皇六郷渡御碑がある。明治元年(1868年)六郷川に川船を並べて板を敷いて舟橋が架けられた。その模様がレリーフになっている。
明治天皇六郷渡御碑 / 川崎大師道標 渡船のモニュメント
[参考]六郷川鉄橋
開業時には木橋であった六郷川に架かる鉄道橋は、明治10年(1877年)に鉄橋となった。その六郷川鉄橋の一部が、愛知県犬山市・明治村に保存されている。右端には明治30年(1897年)アメリカ・ブルックス社製の尾西鉄道蒸気機関車1号 が置かれている。
明治村・六郷川鉄橋

多摩川に架かる六郷橋を渡ると、すぐに京浜急行電鉄大師線を跨ぐ。往時は多摩川を越えると、すぐに旧東海道は右(南西)方向 / 大師道は左(南東)方向 に進んでいた。15号線(第一京浜国道)は高架になっており、六郷橋を渡り終えるとすぐに右方向に坂を下る様になっている。旧東海道は下り終えてから右(南西)方向に進む。大師道は下り終えてから左(東)方向に進み、15号線(第一京浜国道)を潜る。

川崎大師道
宋三寺 稲毛神社 真福寺
右(南西)方向に旧東海道を進む。鎌倉時代に創建された勝福寺が前身と云われている宋三寺には、飯盛女供養塔がある。六郷橋と宋三寺の間に、寛永8年(1631年)創建の一行寺への道標がある。門は閉ざされていた。 宋三寺の角を左折して第一京浜国道へ進むと、欽明天皇の時代(539年〜571年)創建と云われる稲毛神社がある。第一京浜国道を六郷橋方面へ進むと、門が閉ざされている真福寺がある。玉川八十八ヶ所13番札所になっている。