ヴェネツィアU(サン・マルコ広場界隈)
ヴェネツィア本島のホテルから、サン・マルコ広場に水上タクシーで移動する。
サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂
サン・マルコ広場に近い船着き場が近づくと、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂(救済の聖母マリア聖堂)が見えて来る。海に浮かんでいる様に見える聖堂は、ヴェネツィアでも屈指の写真映えする場所である。小雨まじりの天気が恨めしい。
1629年夏からイタリア全土に拡がった黒死病大流行は、ヴェネツィアでは2年間で人口の1/3を失うこととなった。共和国守護者の聖母マリアを祀る聖堂の建設は、1631年から始まり1681年に完成した。
中央:コッレール博物館 / 右手:ドゥカーレ宮殿
土産店
08:30頃、サン・マルコ広場に近い船着き場に到着する。途中にある海沿いの土産店は、ほとんど開いていない。
ドゥカーレ宮殿
ドゥカーレ宮殿

すぐ左手にドゥカーレ宮殿が見えてくる。ドゥカーレ宮殿は、ヴェネツィア共和国の総督邸 / 行政府 / 立法府 / 司法府 / 刑務所 の複合機能を持った建物である。8世紀に建てられ、14世紀(1309年)〜16世紀に掛けて改修が繰り返された。

ドゥカーレ宮殿の主門(布告門)上部

サン・マルコ大聖堂とドゥカーレ宮殿間にはめ込まれた様に、精緻な造形のドゥカーレ宮殿の主門(布告門)がある。1442年に建立、本来は正式な入口だった。

サン・マルコ大聖堂入口にある対の有翼の獅子
ドゥカーレ宮殿に隣接して、サン・マルコ大聖堂がある。ヴェネト州の州都・ヴェネツィアで最も有名な大聖堂で、ビザンティン建築を代表する建築物である。サン・マルコは聖マルコのことで、新約聖書のマルコによる福音書の著者とされる人物である。ヴェネツィアの守護聖人は聖マルコとされ、聖マルコを表す「有翼の獅子(翼を持ったライオン)」もヴェネツィアを象徴するものとされる。
サン・マルコ大聖堂
828年ヴェネツィア商人は、アレキサンドリアから聖マルコの聖遺物(遺骸)を盗んで持ち帰った。そして現在のドゥカーレ宮の場所にサン・マルコ聖堂を建立した。832年に現在の場所に建て替えられた。976年の暴動により消失、978年に再建された。現在の聖堂は総督ドメニコ・コンタリーニにより1063年頃に建設が始まり、総督ヴィターレ・ファリエルが1090年代に完成させたものが基礎になっている。その後900年に渡って建て増しや改修が行われた。ヴェネツィア共和国時代(7世紀末期〜1797年)、サン・マルコ聖堂は共和国総督(ドージェ)の礼拝堂とされた。サン・マルコ聖堂がヴェネツィア大司教の司教座教会となったのは、ヴェネツィア共和国滅亡後の1807年である。1807年ヴェネツィアを占領したナポレオンの命により、大司教座がサン・マルコ聖堂に移され大聖堂となった。
サン・マルコ広場から東側にあるサン・マルコ聖堂
サン・マルコ広場 南側の建物
サン・マルコ広場 北側の建物
サン・マルコ大聖堂の西側にあるサン・マルコ広場は、回廊のある建物にコの字に囲まれている。世界で最も美しい広場と云われているが、舗装された広場自体は味気ない。観光客で賑わうサン・マルコ広場も、未だまばらであった。