バチカン
バチカン市国市壁
バチカン市国はローマの北西部に位置、テベレ川の右岸バチカンの丘にある。1929年のラテラノ条約により独立国となった。国土面積は0.44kuと、独立国としては世界最小である。東京ディズニーランドより狭い。狭い国土に、サン・ピエトロ大聖堂 / バチカン宮殿 / バチカン美術館 が立ち並ぶ。バチカン市国として国全体がユネスコの世界遺産に登録されている。
バチカン美術館入場待ちの人達

バチカン市国は、4世紀にコンスタンティヌス1世により聖ペテロのものとされる墓を参拝するために建てられた殉教者記念教会堂が起源である。教皇レオ4世(在位:847年〜855)の時代になると、サラセン人の侵略に備え市壁が築かれた。市壁総延長は3.2kmにおよぶ。ルネサンス期以降の城壁が大部分だが、レオ4世時代の古風な市壁も残っている。
バチカン美術館の入場は時間別になっており、市壁のほど良い段差部分に座って待つ人も多い。

ピウス4世時代の市壁
バチカン美術館の入場門付近の城壁は、ピウス4世(在位:1559年〜1565年)時代の物である。左に進むと、屋外で入場チケットのチェック / 屋内でセキュリティチェック があった。セキュリティチェックでは、カメラをベルトにじかに乗せろと言う。出口で転げ落ちてくる。
バチカン美術館には興味がなく、入るつもりはなかった。サン・ピエトロ大聖堂を経てツアーバスに乗る行程だったため、通り過ぎたにすぎない。
バチカン美術館のピーニャの中庭
画像の下半分は芝生であるが、建物に影で黒くなっている。その建物の前には説明用のパネルが複数あり、「イタリア政府公認の添乗員ライセンス」を持っているガイドによる説明が延々と続く。ライセンスを持っていない添乗員さんが説明した場合、法律違反になってしまう。展示品など、事前説明がないと良さが解らない代物なのだろうか。
球体をもつ球体
ピーニャの中庭(画像の中央右端)に、オブジェである「球体をもつ球体」が置かれている。表面にはいくつもの亀裂があり、大きな亀裂からは内部にさらに球体が見えている。これがバチカン美術館で印象に残ったもの。
箱根彫刻の森美術館

複製や類似の「球体をもつ球体」は、国際連合本部ビルや箱根彫刻の森美術館など数多く展示されている。

バチカン美術館は、歴代ローマ教皇の収集品を収蔵展示する世界最大級の美術館である。16世紀末に教皇ユリウス2世により創設された。毎年1800万人以上の来場者が、7kmにおよぶ諸室と廊下に展示された美術作品を鑑賞する。
往路は暗い上りの階段 / 復路は暗い下りの階段 が続くが、手摺りなどは設置されていない。入場チケットは公式サイトでオンライン予約する場合、25ユーロである。年間入場者数は600万人、儲けた金額で、手摺りくらいは設置して欲しい。諸室や廊下は薄暗く、ところどころで懐中電灯を使用する。美術作品を一切鑑賞することなく、大人数が移動する波で前進する。この混雑で左右の展示品や天井など、しっかり見た人は居るのだろうか。
大人数を入れておきながら、騒々しいので恫喝するバチカン美術館。イタリア語が解らなくとも、恫喝が解かる口調であった。イエスの教えとはこんなものなのだ。
サン・ピエトロ大聖堂のファサード(正面)
うんざりする7kmにおよぶ諸室と廊下を出ると、サン・ピエトロ大聖堂の前に出る。サン・ピエトロ大聖堂のファサード(正面)は2階構造で、8本の円柱 / 6本の半角柱 / 4本の角柱 で支えている。屋上には5.7mの聖人像13体が飾られ、下の2階部分には5つのバルコニーがある。中央は教皇が祝福を行う専用のロッジャとなっている。
バチカン郵便ポスト
サン・ピエトロ大聖堂のファサード(正面)を通ると、突き当りにバチカン郵便局がある。
カトリックの総本山 サン・ピエトロ大聖堂
サン・ピエトロは、聖ペテロのイタリア語読みである。ペトロ は新約聖書に登場する人物で、イエス・キリストに従った使徒の一人。初代ローマ教皇とされる。 初代サン・ピエトロ大聖堂は、コンスタンティヌス1世により聖ペテロのものとされる墓を参拝するための殉教者記念教会堂として4世紀に建設された。現在の大聖堂は2代目で、1626年に完成した。高さ約120m / 最大幅約156m / 長さ211.5m / 総面積49,737u である。世界最大級の教会堂建築とされる。

オベリスク

サン・ピエトロ広場は楕円形と台形が組み合わさったコロネードに囲まれ、中央には高さ25.5mのオベリスクがある。このオベリスクはカリグラ帝の戦車競技場にあったもので、旧パジリカ時代には大聖堂の横に立っていたが、1686年に現在の場所に移された。