フィレンツェU
シニョリーア広場(右:グッチ ガーデン)
フィレンツェ歴史地区にあるシニョリーア広場はフィレンツェ共和国の歴史であり、現在も市の政治的中心地となっている。かつては周囲にローマ劇場 / 公衆浴場 / 市場 などがあった。長い間穴だらけでひどい状態の広場だったが、1385年に舗装された。広場から各方面に向かう道は、買い物客や観光客で賑わっている
ヴェッキオ宮殿とシニョリーア広場の露店

ヴェッキオ宮殿は1299年から1314年にかけて建設されたロマネスク様式の宮殿。当初はフィレンツェ共和国の政庁舎として使われた。フィレンツェ共和国の支配体制をシニョリーアと呼んだため、シニョリーア宮殿と呼ばれた。後の長い歴史の中で、用途の変遷とともにポポロ宮殿 / プリオーリ宮殿 / デュカーレ宮殿 などとも呼ばれた。メディチ家がアルノ川対岸側にあるピッティ宮殿に居所を移した後、現在の名で呼ばれる様になった。現在はフィレンツェ市庁舎となっている。

バルジェロ美術館

バルジェロ美術館は、 かつてはバルジェロ宮殿 / ポポロ宮殿 と呼ばれていた。1256年に2階建ての建物が建てられ、1323年の火事の後に増築された。兵舎と監獄として使われ、16世紀に警察署となり監獄や処刑場があった。1865年に国立美術館となった

メディチ家・コジモ1世騎馬像
フィレンツェの名門・メディチ家のコジモ1世(1519年〜1574年)は、初代トスカーナ大公。コジモ1世率いるフィレンツェ公国は神聖ローマ帝国・ハプスブルグ家の支援のもと、フィレンツェの中央集権体制を確立した。
ネプチューンの噴水
コジモ1世お抱えの芸術家・アンマナーディニよるネプチューンの噴水、ネプチューンの顔はコジモ1世をモデルにしたと云われている。
ロッジア・ディ・ランツィ

シニョリーア広場にあるロッジア・ディ・ランツィ(ランツィの回廊)は、柱間の広いアーチが3つ並んでいる。式典や集会のために建てられたが、現在は彫刻が立ち並ぶ野外美術館となっている。ミケランジェロは、シニョリーア広場全体をこのアーチで取り囲むことを提案したほど気に入っていたと云われている。

ロッジア・ディ・ランツィの左側の通りを南に進むと、路上で絵を販売している露店が立ち並んでいる。
露店が立ち並ぶ通りを抜けると、アルノ川に突き当たる。アルノ川はティレニア海に注ぐ、長さ241kmのである。
ミラノ / ヴェネツィア / ピサ でお目に掛からなかった郵便ポストとゴミ箱に初対面する。

COMUME DI / FIAENZE / FOBNATURA の刻印があるマンホール。