大津湊→越前国府
大津湊
京都から武生までの陸路を江戸時代の街道で辿ると、京都三条大橋-(東海道 / 中山道 約27km)-草津宿-(中山道 約44km)-鳥居本宿-(北国街道 約73km)-武生宿 と琶湖の東岸を通る144kmの行程になる。
古代から琵琶湖海運は盛んであった。明治13年(1880年)〜明治22年(1889年)の東海道本線は、長浜駅〜大津駅を太湖汽船による琵琶湖鉄道連絡船が就航していた。
京都から越前国府に通じる道は、京都-(東海道 約7km)-山科-(小関越え 約5km)-大津湊-(琵琶湖海運)-塩津湊-(北国街道 約34km)-武生宿となっていた。
琵琶湖は南北約60km / 東西の最大幅約20km あり、琵琶湖海運を利用すると歩く距離は約46kmと大幅に短縮できた。
大津湊を出航した船は、西岸に浮御堂を見ながら琵琶湖を北上する。
満月寺山門 満月寺観音堂
満月寺浮御堂
満月寺境内の琵琶湖に突き出た浮御堂は、近江八景「堅田の落雁」で知られている。源信(恵心僧都)が魚類殺生供養と湖上安全祈願のために、平安時代に建立したと云われている。現在の建物は昭和12年(1937年)に再建されたもの。
満月寺絵馬
大津本堅田郵便局風景印 堅田郵便局風景印
浮御堂からすぐの狭まったところに琵琶湖大橋が架かる。満月寺に近い大津本堅田郵便局 / 堅田駅に近い堅田郵便局 の風景印は、琵琶湖大橋 / 浮御堂 と同じ図柄になっている。
琵琶湖大橋を過ぎると、雄大な景色が広がる。琵琶湖西岸にある高島三尾の浜辺の沖で「三尾の海に綱引く民のてまもなく 立居につけて都恋しも」と藤原為時の次女は詠んでいる。
高島の三尾崎の浜辺で、漁をする人々の網を引く見なれぬ光景に、都の生活を恋しく思い出して詠んだと云われている。
竹生島全景
高島三尾の浜辺の沖を北上した船は、航路から竹生島に寄港している可能性が高い。流石に上陸はしていないと思われる。
竹生島は琵琶湖北部にある島で、沖島に次いで面積が広い。古くから神の棲む島と云われ、神亀元年(724年)創建の宝厳寺(西国三十三所三十番) / 雄略天皇3年(460年)創建と云われる都久夫須麻神社(竹生島神社)がある。竹生島弁才天は神奈川・江島神 / 広島・厳島神社 とともに、神道における日本三大弁天と云われている。

琵琶湖の北奥には三つの入り江があった。西側から 海津 / 大浦 / 塩津 の湊があり、各湊から敦賀に通じる道が開かれていた。
藤原為時一行は塩津湊に上陸した。琵琶湖の最奥にある塩津湊(塩津宿)は日本海に最も近く、古くから琵琶湖海運や街道が交わる賑やかなところであった。
塩津の湖岸にある塩津浜遺跡(塩津港遺跡)の発掘調査で、12世紀代の港と神社の跡が発掘された。堀で囲んだ区画に、拝殿の柱 / 本殿の石積みの基礎 / 本殿背後の堀の中から神像五体 が見つかった。
文治元年(1185年)琵琶湖西岸付近を震源とする文治地震により、塩津近辺が地盤沈下 / 大津近辺が隆起 して琵琶湖の面積は大きくなったと云われている。

賤ヶ岳からの琵琶湖( 右下の入り江の奥に塩津湊がある。
賤ヶ岳からの余呉湖
塩津の東2kmほどのところに余呉湖があり、琵琶湖と余呉湖に挟まれたところで賤ヶ岳の戦いが行われた。
賤ヶ岳は標高421mの山で、琵琶湖と余呉湖を分ける風光明媚な位置にある。山頂からは、余呉湖 / 琵琶湖 / 竹生島 / 伊吹山 が望まれる。賤ケ岳の古称は伊香山
(いかぐやま)で、「伊香山 野辺に咲きたる 萩見れば 君が家なる 尾花し思ほゆ」と万葉集に読まれている。昭和25年(1950年)に指定された琵琶湖八景のひとつに数えられている。
賤ヶ岳の戦いは、天正11年(1583年)近江国伊香郡(現:滋賀県長浜市)賤ヶ岳周辺での合戦。
近江塩津駅 近江塩津駅スタンプ
塩津湊(塩津宿)から北国街道を北に進むと、約5kmで北陸本線・近江塩津駅の駅前を通る。駅に丸子船(まるこぶね)図柄のスタンプがある。丸子船は琵琶湖の水運を担った和船で、船幅は狭く喫水は極めて浅い帆走の木造船。
近江塩津駅の次は新疋田駅になる。現:敦賀市疋田には北陸道に置かれた愛発関(あらちのせき)があった。東海道・伊勢国鈴鹿関 / 東山道・美濃国不破関 とともに、古代三関(さんげん)の1つであった。奈良時代から平安時代初期に存在、のちに逢坂関にとって替わった。詳細な所在地は解かっていない。
JR北陸本線・近江塩津駅から15kmほどのところに敦賀駅がある。JR北陸本線・敦賀駅より北西に進む。5分足らずの白銀交差点を右折して、北国街道(8号線)を北に進む。白銀交差点の南西側に、敦賀駅前郵便局がある。風景印は、白銀神社の火祭りたいまつ行列の図柄になっている。
敦賀駅前郵便局風景印
気比神宮大鳥居(重文)
気比神宮中鳥居 気比神宮絵馬
気比神宮外拝殿
白銀交差点から北国街道(8号線)を北に進む。10分ほどの気比神宮交差点を越えた右手に、仲哀天皇8年(199年)創建と云われる気比神宮がある。古事記や日本書紀にも記事がある古社。北陸から畿内への入口に位置、北陸道総鎮守として朝廷から重視されていた。社殿のほとんどは第二次世界大戦の空襲で焼失、空襲を免れた大鳥居(重文)が残る。
越前国府跡
北国街道(8号線)を北に約14kmほどのところに武生宿(府中宿)がある。JR北陸本線・武生駅前を北に進み、すぐのT字路を左折して西に進む。5分ほどすると、右手に延穂元年(1489年)創建の本興寺がある。この辺りは708年〜1100年代まで越前国府があったところで、約800m四方の範囲だったと云われている。
京都から越前国府。1泊2日の行程と思われる。