堤第(つつみてい)
藤原為時(949年頃〜1029年頃)と藤原為信の娘との間に、天禄元年(970年) / 天延元年(973年) / 天元元年(978年) などの誕生年説のある次女が生まれる。
次女の本名は解っていない。当時の呼称からすると、藤原為時の女となる。
次女が生まれ育ったのは、父方の曾祖父・藤原兼輔(877年〜933年)が残した堤第と云われている。
藤原兼輔は、平安時代中期の公家 / 歌人。娘・桑子は醍醐天皇更衣で、第十三皇子・章明親王を生んでいる。
堤第は、雅正から為頼・為時兄弟に受け継がれた。御所のすぐ東側に位置、梨木神社から廬山
(ろざん)寺にかけての地にあった。
京都御所・清和院門
京都駅正面口・市バスA2乗り場から、4系統 /17系統 / 205系統 に乗車して20分ほどの府立医大病院前バス停で下車する。バス停から北に進み、すぐの交差点を左折するとすぐに京都御所突き当たり、清和院門がある。
梨木神社一の鳥居
清和院門の手前北側の低層マンション前に、明治18年(1885年)創建の梨木神社一の鳥居がある。社殿の修復等の費用捻出のため、期限付きでマンションが建てられた。60年後に購入者の所有権が消滅、更地にして梨木神社に返還する形態になっている。
梨木神社二の鳥居
梨木神社神門
右側を通る寺町通を北に進み、二の鳥居から長い参道を進む。早朝6時半前に到着、閉じている神門前に賽銭箱があり参拝する。
絵馬
染井
梨木神社境内には、醒々井(さめがい) / 縣井(あがたい) とともに京都三名水といわれた染井(そめい)がある。醒々井 / 縣井 は枯れてしまったが、染井は今も沸き続けている。
梨木神社の地は、藤原良房(804年〜872年)の邸・染殿第があったところと云われている。
藤原良房は藤原冬嗣の次男で、皇族以外の人臣として初めて摂政の座に就いた人物。
染殿第は良房の娘・明子(清和天皇の生母)の御所としても使われ、清和天皇は陽成天皇に譲位した後の御在所としていた。
廬山寺山門
廬山寺南門(薬医門)
廬山寺元三大師堂
寺町通を挟んだ東側に廬山寺がある。天慶年間(938年〜947年)船岡山の南に創建されたのが始まり、天正年間(1573年〜1593年)現在地に移転した。
御所の西側には、源氏物語を書き終えたと云われる一条院跡がある。安土桃山時代には聚楽第 / 江戸時代には大名屋敷 があったところである。京都の地は、年代別の歴史が埋もれている。