長崎街道 佐賀城下
長崎街道・佐賀城下
小倉常盤橋から12番目の宿場であるが、佐賀宿ではなく佐賀城下と呼ばれる。JR佐賀駅の南東約2kmにある東の出入口“牛島構口”から西出入口“本庄江川に架かる高橋”まで約6kmと長い。江戸時代初期は未だ思案橋が架かっておらず、牛島町の途中から北に入り高木町を経由して西に向かっていた。大衆が泊まる旅籠は、伊勢屋町 / 本庄末広 / 柳町 に制限されていた。ところどころで恵比須像を見かけるが、佐賀市内だけで830体以上あるとされる。
長崎街道・佐賀城下には、20の曲りがあった。途絶えているところもあり、後世にできた道で解りづらくなっている。ところどころに道標があるが、往時の道標は3基と少ない。道や側溝蓋にある“馬上の武士”や“駕籠かき”は、道案内になっている。道がカラー塗装されているところもある。
馬上の武士 駕籠かき
現在の構口橋 牛島構口案内板 長崎街道案内板

長崎街道は、大溝川を現在の構口橋の南側を渡っていた。構口橋から西に延びる道の左右には案内板 / 南側に牛島構口公園 / さらに南側に復元された牛島構口番所門 がある。牛島構口番所は、慶長13年(1608年)佐賀城下が構築された際に設けられたと云われている。

牛島構口公園 牛島構口番所門
東佐賀町交差点を越え、柳町を西に進むと、思案橋を渡る。昭和初頭までは今宿川は水深2m以上あり、多くの舟が行きかっていた。そのため、舟通りの良い様に勾配がある太鼓橋の構造をしている。往時は舟がこの橋から上れば芦町、下れば室園の遊郭 があった。どちらに行こうか、思案の船着場が由来と云われている。
思案橋
町並み 古商家 佐賀市歴史民俗館
旧古賀銀行 郵便ポスト 八坂神社
思案橋から西に進み、すぐの十字路を右折する。すぐに左折して西に進むと柳町で、佐賀市歴史民俗館 / 旧古賀銀行 八坂神社 などが建ち並ぶ。古賀銀行は明治18年(1885年)に両替商・古賀善平が開設、九州五大銀行まで成長したが昭和2年(1927年)昭和恐慌により休業した。旧古賀銀行前に、レトロな現役の郵便ポストがある。

呉服元町交差点を越え晒川(さいかわ)を渡ると、すぐ右手に佐賀藩本陣があった。佐賀城下では、称念寺と願正寺と仮本陣としていたが、寛政12年(1800年)呉服町の御用商人・野口恵助の私邸を改築して本陣とした。

呉服元町交差点
人差し指の道標 / 道標 / 恵比寿像 道標

突き当たる手前左手に、人差し指の道標 / 道標 / 恵比寿像 がある。人差し指の道標は現存する3基の道標の1つで、正面に「こくらみち」 / 左側面に「ながさきゑ」 と彫られている。小さな道標には「右 おふくわんゑ」と彫られている。長崎街道はT字路を右折する。現存する3基の道標は、ここ呉服町 / 伊勢町 / 袖町 にある。

 
[寄り道]松原神社 / 佐嘉神社 / 佐賀中央郵便局
松原神社神門 松原神社社殿 佐嘉神社鳥居
佐嘉神社神門 佐嘉神社社殿 復元150ポンドカノン砲

道標から左折して南に進むと、右手に安永元年(1772)創建の松原神社 / 南側に昭和8年(1933年)創建の佐嘉神社 がある。佐嘉神社の社殿手前左手に、我が国最初の鋳造鉄製150ポンドカノン砲がある。品川砲台に備えられたものを復元した物。佐賀藩10代藩主・鍋島直正は、長崎警備増強の必要性を痛感して洋式鉄製大砲の製造を行った。嘉永3年(1850年)築地に独自の洋式反射炉を築造、日本で最初の鉄製大砲の鋳造に成功した。

佐嘉神社の西側に佐賀中央郵便局がある。風景印は、佐賀バルーン / 洋式反射炉 / 大砲 / ムツゴロウ の図柄になっている。
佐賀中央郵便局風景印
T字路まで戻り北に進む。十字路北西側に人差し指の道標があり、左折する。佐賀城下の人差し指の道標は、後世に造立されたものも黒ずんで美しくない。
人差し指の道標
称念寺 願正寺山門 願正寺本堂
十字路直進すると、左手に安土桃山時代1568年〜1600年)創建の称念寺 右手に慶長5年(1600年)創建の願正寺 がある。佐賀城下では、寛政12年(1800年)までは称念寺と願正寺が仮本陣となっていた。
人差し指の道標からすぐに長崎街道元町案内板がある。長崎街道は長崎街道元町案内板からすぐに右折していたが、道は途絶えている。直進すると龍造寺八幡宮の南東側に札の辻案内板がある。長崎街道元町案内板の角を右折、すぐに左折して長崎街道に合流する。
長崎街道元町案内板
アーケード 龍造寺八幡社鳥居 / 太鼓橋 龍造寺八幡宮社殿
すぐに29号線を越えると、すぐに右折して文治3年(1187年)創建と云われれている龍造寺八幡宮境内を通っていた。
龍造寺八幡宮境内を通り抜け、すぐに左折してすぐに右折する。米屋町 / 中町 を通り抜ける。264号線の多布施1丁目南交差点に道標があり、左折して南に進む。さらに道標があり264号線左側の小路を進む。左手に明治3年(1870年)創建の招魂場が始まりで昭和14年(1939年)に改称した佐賀県護国神社がある。“みたま祭”の準備のためか、社殿前に鉄パイプが組まれている。
佐賀県護国神社社殿
大覚寺山門 大覚寺本堂 伊勢神宮鳥居 / 神門
佐賀県護国神社から西に進み、264号線の伊勢町交差点を越える。右手に慶長11年(1606年)創建の大覚寺 / 突き当りに天文11年(1542年)伊勢神宮から勧請した伊勢神社がある。
伊勢神宮社殿
大覚寺〜伊勢神宮鳥居前こは、比較的見易い“馬上の武士”や“駕籠かき”の側溝蓋がある。
馬上の武士 駕籠かき
長崎街道は伊勢神宮鳥居前を左折する。本庄江川に架かる高橋まで行く予定であったが、合流する方が1時間早く到着する連絡が入り切り上げる。