長崎街道 陣山2丁目交差点〜曲里(まがり)の松並木

3号線・陣山2丁目交差点からすぐの交差点から右方向に進み、鹿児島本線を越える。すぐの3号線バイパスの田町東橋交差点を越えた左手の三角地帯にモニュメントの常夜燈 / 案内板 / 嘉永2年(1849年)造立の常夜燈 がある。常夜燈は黒崎湊に灯台として設置されていたもの。

モニュメントの常夜燈 / 案内板 常夜燈
自在院 黒崎宿東構口跡石柱 海蔵庵
すぐ右手に平成9年(1997年)創建の自在院がある。すぐ左手の東構口(ひがしかまえぐち)跡に、聖武天皇も立ち寄ったと云われる観音寺が改称 / 移転した海蔵庵がある。境内入口に、黒崎宿東構口跡石柱がある。構口とは宿場の出入口に設けられた番所のこと。元和元年(1615年)黒崎城が廃城となったとき、南側の堀を埋め立て構口とした。往時は番所が設けられ、役人が昼夜交代で通行人を監視していた。
黒崎城があった道伯山
長崎街道・黒崎宿
小倉常盤橋から最初の宿場。現:東構口跡〜藤田銀店街〜熊手通り商店街〜西構口跡にあった。黒崎宿は筑前六宿で最も繁栄、大里宿・小倉宿に続く規模の宿場町だった。筑前六宿とは、筑前国内の黒崎宿 / 木屋瀬宿 / 飯塚宿 / 内野宿 / 山家宿 / 原田宿 のこと。洞海湾の入江を利用した黒崎湊は、福岡藩唯一の上方への船が発着していた。筑前国 / 筑後国 / 肥前国 / 肥後国 / 薩摩国 の参勤交代の大名、多くの旅人が利用した。旅籠屋や商店が軒を連ねていた。福岡藩主の別館としての御茶屋(本陣)や町茶屋(脇本陣) / 人馬継所 / 制札場 / 関番所 / 郡家 / 代官所 などが設けられていた。
道路に長崎街道 黒崎城 プレートが埋め込まれている。すぐの十字路を左折して南に進む。すぐの交差点と鹿児島本線を越える。
長崎街道 黒崎城 プレート 交直流両用電車415系
すぐに3号線の藤田二交差点を越え、すぐの十字路を右折して南西に進む。
十字路を直進すると、突き当りに春日神社がある。春日神社は、延喜元年(901年)に成立した日本三代実録の貞観15年(873年)に記載の古社。黒崎城の地にあったが、慶長9年(1604年)黒田長政によって黒崎城が築城されたときに移転する。黒崎祇園山笠(7月21日〜23日)が奉納される
春日神社一の鳥居 春日神社拝殿
突き当りを道なりに右方向に進むと、すぐ右手に東光寺薬師堂 / 薬師堂の手前右手に延命地蔵 がある。
東光寺薬師堂 / 延命地蔵
 
正覚寺 なかばし通り商店街 黒崎宿案内板
十字路まで戻り、南西に進む。左手に正覚寺 / 右手に黒崎宿跡案内板 / 左手に黒崎宿跡案内板 と続き、なかばし通り商店街アーケードに入る。右手に黒崎宿案内板 / 右手に中川に架かっていた橋のレプリカ と続く。現在は暗渠化され273号線になっている。
なかばし通り商店街 橋のレプリカ
熊手銀天街 長崎街道 黒崎宿 プレート 興玉神
すぐに273号線と斜めに交差する。熊手銀天街アーケード入口に、長崎街道 黒崎宿 プレートが埋め込まれている。すぐ左手に永禄8年(1565年)伊勢神宮皇大神宮(内宮)から勧請したと云われる興玉神(おきたまのかみ)がある。
長崎街道 カピタンの行列 プレート 乱橋 乱橋案内板

すぐの十字路を直進、道なりに西へ進む。道路に長崎街道 カピタンの行列 プレートが埋め込まれている。5分足らずで黒崎駅南口から伸びる“ふれあい通り”と交差する。ここは西構口があったところで、黒崎宿が終わる。すぐに撥川(ばちがわ)に架かる乱橋(みだればし)を渡る。橋詰の十字路を長崎街道は左折 / 直進すると黒崎遊郭があった。旅人は「先を急ぐか、花街で遊ぶか」迷い心を乱した。これが乱橋という名の由来と云われている。かつては蛍が乱舞していたことからとも云われている。橋詰の十字路を左折して長崎街道を南に進む。すぐ左手に乱橋案内板がある。

長崎街道 黒崎湊 プレート
長崎街道入口交差点 曲里の松並木
道路に長崎街道 黒崎湊 プレートが埋め込まれている。すぐの長崎街道入口交差点を越えると、約300m続く曲里(まがり)の松並木に入る。昭和20年(1945年)頃まで、次の宿場・木屋瀬宿まで続いていた。長崎街道の松並木は、ここしか残っていない。
長崎街道入口交差点まで戻り、山手通りを南西に進む。5分ほどの八幡西郵便局交差点の左手に、八幡西郵便局がある。風景印は、長崎街道・黒崎曲里の松並木 / 筑前六宿街石柱 / 三条実美碑 の図柄になっている。
八幡西郵便局風景印