フイルム現像
オリンパスSixやキヤノン ダイヤル35で撮影したモノクロフィルムは、カメラ店に現像や引き延ばしを依頼していた。カラーフィルムは珍しい時代で、モノクロフィルムが主流であった。オリンパスペンFを購入後に高校の写真部に入り、フィルム現像や引き伸しが楽しめる様になる。写真部ではフィルム現像液は“D76”を調合する。攪拌をいい加減にすると、白く濁り臭くなり使い物にならなくなる。すぐにフィルム現像は自宅で行いたくなり、ベルト式現像タンク / 現像液 / 氷酢酸 / 定着液 / 現像液や定着液を入れるタンク を購入する。暗室は勿論のこと、ダークバックもない。奥まった押入れでフィルムを巻き始める。眼が慣れてくるとフィルムが見える様になる。初めての現像は眼をつぶってでも暗くしたい心境であった。当初はフジフイルムの“ミクロファイン”を使用していた。1缶で4本現像できたが、現像液代節約のため1缶で10本現像できる増感現像液“パンドール”を使用する様になる。“パンドール”は増感現像液のため、“ミクロファイン”より粒子は荒くなる。液温や現像時間が正しくないと、さらに荒れる。露出計のない時期は、濃度もまちまちであった。ハーフサイズでもあったため、引伸ばされた画像は粒子が粗くなっているのが多い。慣れてくると、ブロニー判 / 35mmフィルム とも両溝リールを使用する様になる。35mmフィルムは乳剤面でない方同士をあわせて、2本巻き込みを行っていた。リールが4本入るタンクでは、8本同時に現像が可能となる。ミノルタ16QTの16mmフィルム用は片溝式で、フィルムが小さいこともあり一番神経を使った。水洗を短縮できる溶剤も後に発売されたが、過度の水洗で膜面がはがれたこともあった。
暗室作業
暗室は、納戸を使わせて貰った。2ヶ所ある窓に厚手の黒い紙を貼り、更にダークカーテンを取り付ける。水道の設備がなく、大きな生ゴミ入れを2ヶ利用していた。全紙まで引伸ばしを行っていたが、遮光は完璧ではなかった。印画紙に影響はなかったが、4×5フィルムの皿現像では街路灯が微かに差し込んでいた。主にキャビネ判であるが、“格外印画紙”なるものが販売されていた。各々のサイズに裁断した後の余った縁の部分を集めたもので、キャビネであるが大きさにばらつきがあった。製図等に使用する“CH印画紙”は、コントラストが低く密着に最適であった。コピー紙の様な厚さで表裏が解りづらかったため、裏焼きも多かった。それぞれ価格が安いので使用していた。35mm用引伸しレンズは引伸機ラッキー90Mに付いていたレンズを使用していたが、解像度・コントラストとも最悪であった。アルバイトをして購入したニッコール50mmF2.8は、写っていないと思っていたところまで再現できて感激した。
愛用フィルム
35mmフィルムは、安価なコニカ“イージーローディングフィルム”や“ライトパンフィルム”を使用していた。“イージーローディングフィルム”は、使用済のパトローネを再利用する。100フィート缶を購入して使用するのと考えは同じであるが、明るいところで装填できる。“ライトパンフィルム”は通常の12枚 / 20枚 / 36枚より少ない枚数で販売されていた。“イージーローディングフィルム”は傷が着き易く、高校写真部の先輩からのアドバイスは「現像して乾燥後に“傷取り液”を塗る。」であった。過去に撮影したネガをデジタル化する前にクリーナーで拭いているが、“傷取り液”で固定されてしまったゴミは頑固にも取れない。カビ同様に厄介なことになっている。
オリンパス35用マガジンP型
カメラメーカーからもパトローネが発売されていた。オリンパス35用マガジンP型は、福岡勤務時代に3,000円で購入したものである。説明書の右下に“32 6 10 M”と記入があるので、昭和32年(1957年)に作成された説明書と思われる。文面に時代が感じられる。
フイルムの節約法
現像されたフィルムを見ると、パーフォレーション部分にナンバーが打たれている。コニカ“イージーローディングフィルム”は、“1”の前に“K”“F”“M”がある。ライトパンフィルムは“1”の前に“S”“P”“L”がある。自動巻きと違い、手巻きでは“1”より前から使用できる。当時のネガを見ると、“F”や“P”から使用しているのが圧倒的に多い。ハーフサイズカメラ・ペンFで4枚余分に撮影できている。何枚余分に撮れたかが自慢ともなっていた。後ろは1枚分位の余裕があるが、無理をすると切れて厄介な目に遭ってしまう。数人いれば上着を被せて簡易ダークバックとするが、意外と感光しないものである。巻き上げが重くなった時点で止めるが、撮影に夢中になっている時は危険である。パトローネが頑強なコダックは嫌われ者であった。必ず空のパトローネを持って行く様になった。
フイルムの劣化
写真を始めた頃からの鉄道を撮影したフィルムは、ほとんど保存していた。銀塩フィルムは、以前には可燃性の“ニトレートフィルム”が使用されていた。1950年代以降は、不燃性の“セーフティーフィルム”に置き換えられた。初期の“セーフティーフィルム”は“アセテートセルロース”であったため、保存状態にもよるが30〜40年を過ぎると劣化する。湿度が高くなり水分が籠ると加水分解を起こし、酢の匂いのする酢酸を放出する。フィルムベースの劣化が進み、もろくなってしまう。フィルムがカールし始め、次の段階でひび割れ状態になる場合もある。オリンパスPEN-Fで撮影した画像は“アセテートセルロース”時代に撮影されたものである。ほとんどのネガは、35年目位のときにスキャンしたものである。スキャンしたフイルムの多くは、ゴミ / カビ などで凄まじい状態になっている。傾いた画像はモノクロではイーゼルマスクで傾きを修正できるが、カラーフィルムでは手焼きとなり料金が掛かっていた。デジタル化することによって蘇えるフィルムも多い。
の画像はパンドールで高温現像をしたため、粒子が粗くなっている。さらに夏場に水洗をやり過ぎたため、乳剤が剥がれている。空や地面には、剥がれた乳剤がこびり着いている。下の画像は修正後。