壬生道(日光西街道)ぶらり旅 No04 文挟駅-(約11km)-.今市宿追分…下今市駅
2017年 6月12日
ガードレールの歩道がある杉並木道 延命地蔵
JR日光線・文挾駅の西側を通る壬生道を北へ進む。左手の遊歩道側を進むがすぐに途切れ、車道左側のガードレールがある歩道を進む。すぐの文挾交差点で70号線が合流、すぐ左手に延命地蔵がある。この辺りが文挟宿の南口になる。
壬生道(日光西街道) 文挾(ふはさみ)宿
所在地:栃木県日光市
東照宮が造営され、元和3年(1617年)壬生道が整備された後に新設された宿場。本陣:1 / 旅籠:14 の規模であったが、往時の面影はない。
二荒山神社 星宮神社 震災復興記念碑
延命地蔵から5分ほどすると、街道は大きく左に曲がる。右手に、二荒山神社 / 境内に星宮神社 / 鳥居左手に震災復興記念碑 がある。昭和24年(1949年)北西10kmの鶏鳴山付近を震源とする今市大地震が発生、被害が大きく街道の杉並木がずれてしまったところがある。
板橋一里塚 如意輪観音
二荒山神社から街道を挟んだ反対側に、遊歩道が見える。大きく左に曲がるところで見通しが悪く、横断を躊躇する。5分ほど車道を進み、杉並木の切れ間から左手の遊歩道を進む。最初は歩き易い道であったが、すぐに草に覆われたところが多くなる。枯枝に足を取られたりと、歩きずづらい。30分ほどすると遊歩道が途切れ、車道右側のガードレールがある歩道を進む。すぐ右手に板橋一里塚 / 傍らの祠に文政8年(1825年)造立の如意輪観音 がある。すぐに杉並木が途切れ、板橋宿に入る。
壬生道(日光西街道) 板橋宿
所在地:栃木県日光市
宿の南東にある城山に板橋城があり、元和3年(1617年)東照宮造営までは城下町だった。本陣:1 / 脇本陣:2 / 旅籠:25 の規模であったが、往時の面影はない。
天文年間(1532年〜1555年)に壬生氏と宇都宮氏が対立、宇都宮氏家臣・遊城坊綱清が築城した。北条氏は壬生氏を援助して板橋将監を派遣、遊城坊綱清を滅ぼし城主となる。天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐では、壬生氏とともに滅亡する。関ヶ原の戦い後、松平一生が下野板橋藩主となる。元和3年(1617年)東照宮造営に伴い神領となり、板橋城は廃城となった。
城山
板橋交差点を渡ってから右折すると、すぐ左手に栖克(すみよし)神社がある。福生寺の東側に位置、境内は隣接している。
栖克神社
板橋交差点まで戻り北へ進むと、すぐ右手に福生寺 / 境内を入った右手に本多正盛の墓 がある。本多正盛は元和2年(1616年)東照宮造営のとき副奉行で、同僚の山城宮内と争論する。山城宮内は日光山で自害、本多正盛も造営工事完成後に板橋城下で自害する。
福生寺 本多正盛の墓
町並み 標識 看板
壬生道(日光西街道)は、すぐの交差点を左折する。すぐに大きく曲がる辺りから、壬生道(日光西街道)は道が狭く歩道もない区間になる。交差点から300m地点から、次の交差点までは杉並木保護のため通行止めになっていた。安心感からか、足取りが軽くなる。この辺りで雲行きが怪しくなり、この後に短時間であるが小雨となる。
歩道のない狭い街道 通行止め
通行止めは10分ほどの交差点で解除されている。
通行止め区間が過ぎても、通行止め区間があるためか車はほとんど通らない。10分足らずの右手に、不明の石塔 / 庚申塔 / 西國巡拝供養塔 がある。
通行止め解除区間 石塔群
石塔群から10分ほどすると、地震坂案内板がある。昭和24年(1949年)今市大地震が発生、地滑りにより杉並木が移動してしまった。本来の街道は、ここより上を通っていたと云う。すぐにY字路があり、旧道は左方向に進む。
地震坂 Y字路
すぐに右方向からの道と合流、すぐに日光宇都宮道路を潜る。この辺りが大石鳥居を奉納する黒田長政一行が難儀した十石坂。人夫たちに食べさせた米が十石にもなったと云う。
十石坂
日光宇都宮道路を潜ってから5分ほどすると、右手に壬生道最後の室瀬一里塚がある。杉並木との境はなくなっており、標識がないと解らない。
室瀬一里塚
室瀬一里塚から20分ほどすると、JR日光線の踏切を渡る。さらに10分足らずの交差点南東側に、地蔵が3基ある。
街道寸景 地蔵3基
追分から壬生道を振り返る
道標 追分地蔵堂
地蔵から5分足らずで日光街道と合流、壬生道(日光西街道)が終わる。三角地帯に追分地蔵堂がある。像高2mの石造地蔵は、室町時代頃の作と推定されている。空海(弘法大師)が大谷川含満ヶ淵の岸辺に造立、大水で流されて今市の河原に埋もれていたと云われている。今市七福神(恵比寿)になっている。境内に読み取れない道標がある。 日光街道は、2014年1月に完歩している。
[寄り道]今市郵便局
追分地蔵堂から日光街道を北西へ進む。5分ほどの春日町交差点を左折して南西へ進む。すぐの交差点の先を右折して北西へ進む。すぐ左手に今市郵便局がある。風景印は、日光連山 / 杉並木 / 薪を背負い歩きながら本を読む二宮金次郎 の図柄になっている。薪を背負い歩きながら本を読む二宮金次郎は、勤労・勤勉の象徴とされてきた。昨今は歩きスマホ同様に危険な行為とされ、小中学校にあった二宮金次郎像は撤去されているところが多い。
今市郵便局風景印
追分地蔵堂から西に進み、すぐの小倉町交差点を右折して北東に進む。すぐのY字路を左に進むと、すぐの突き当りに東武鉄道・下今市駅がある。構内では、2017年8月から運行される蒸気機関車C11やディーゼル機関車DE10の試運転が行われていた。
転車台のC11 207
転車台のDE10 1099 / 500系特急リバティと並ぶ DE10 1099
14系客車3両編成
C11 207 - 14系客車3両 - DE10 1099

ホームから、転車台や真新しい機関庫が見える。C11 207には車掌車ヨ8000形が連結されている。運行は、C11 207 - ヨ8000形 - 14系客車3両 - DE10 1099 では興ざめする。トロッコ列車ならまだしも、ヨ8000形連結はいただけない。機関庫横に14系客車1両が留置されており、上り線の車窓からヨ8000形1両が見える。