壬生道(日光西街道)ぶらり旅 No03 新鹿沼駅-(約10km)-文鋏駅
2017年 5月22日
東武鉄道日光線・新鹿沼駅から東へ、すぐの新鹿沼駅前交差点を左折して壬生道を北へ進む。新鹿沼駅前交差点から壬生道(日光西街道)は二手に分かれている。左方向は江戸時代の初めに鹿沼宿を設けるときに造成された内町通り(293号線 / 352号線)、右方向は昔からの田町通りである。分岐点は鳥居跡(とりいど)と呼ばれているところで、ニ荒山神社がある。奈良時代に勝道上人が日光開山後に榎を植えたと云われている。鎌倉時代に源頼朝が日光山の遠鳥居(旧一ノ鳥居)を建立したところで、鳥居跡の地名の由来になっている。
ニ荒山神社
壬生道(日光西街道) 鹿沼宿
所在地:栃木県鹿沼市

正応5年(1292年)佐野氏の支族・鹿沼教阿が築城したのが始まりの鹿沼城の城下町であった。大永年間(1521年〜1527年)鹿沼綱勝は宇都宮忠綱に攻め滅ぼされ、壬生綱房が沼城周辺の支配を任された。天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐では、壬生義雄は北条氏に味方して小田原城に立て籠もった。鹿沼城は宇都宮氏に攻められ落城、廃城となる。江戸時代に日光東照宮が造営されると、壬生街道(日光西街道)の宿場として賑わった。江戸時代は天領や旗本領になっていた。

商店 雲龍寺山門(4月13日) 雲龍寺本堂(4月13日)
往時の旧跡が残る左方向の内町通り(293号線 / 352号線)を進む。すぐに鹿沼宿の大木戸があった。新鹿沼駅前交差点から5分ほどの左手に、雲龍寺がある。鎌倉時代に土着した平家の落ち武者によって創建されたと云われている。
薬王寺山門 薬王寺本堂 本陣跡公園

雲龍寺からすぐの下材木町交差点を越えると、すぐ左手に弘長年間(1261年〜1263年)創建の薬王寺がある。元和3年(1617年)徳川家康の遺骸を日光へ移送するとき、4日間滞在した。天海僧正 / 徳川家光 の遺骸移送のときにも滞在している。すぐ右手にある鈴木医院は鈴木本陣跡で、手前の角を右折する。すぐ左手の本陣跡公園に、本陣跡案内板 / 鹿沼組子案内板 / 鈴木石橋案内板 がある。

屋台 日光例幣使街道石標 まちの駅 新・鹿沼宿
壬生道(日光西街道)に戻り北へ進む。すぐの石橋交差点の北西側に、鹿沼ぶっかけ秋祭りの幕が架かる屋台 / すぐ左手に日光例幣使街道石標 / すぐ左手にまちの駅 新・鹿沼宿 と続く。日光例幣使街道石標は、壬生道(日光西街道)の誤り。鹿沼市内の案内板は、日光例幣使街道の記載となっている。

まちの駅 新・鹿沼宿からすぐ左手に、仲町屋台会館がある。栃木県立博物館での展示のため、4月8日〜6月末頃まで休館になっていた。鹿沼市の屋台は移動用の簡単な踊り屋台で、各町内が踊りと狂言を競い合ったものだった。段々華美になり、彩色彫刻黒漆塗屋台にまで発展した。文政の改革(1827年)や天保の改革(1841年)で華美禁止令出されてると、白木による派手な彫刻がされた屋台を造った。鹿沼市には、秋祭りに繰り出される屋台が27台ある。

仲町屋台会館

仲町屋台会館からすぐ左手に、鹿沼郵便局がある。風景印は、日光連山 / 川上澄生美術館 / 府中橋 / 市花・さつき の図柄になっている。

鹿沼郵便局風景印
鹿沼郵便局の通りを挟んだ反対側に、屋台のまち中央公園がある。屋台展示館に3台の屋台が展示されているが、休館日であった。
屋台のまち中央公園案内板
古民家 今宮神社唐門 今宮神社拝殿

屋台のまち中央公園からすぐの市役所前交差点を左折して西へ進む。突き当りの市役所前にある案内地図は、壬生道(日光西街道)が日光例幣使街道になっている。左折するとすぐに突き当り、左手に延歴元年(782年)創建と云われる今宮神社がある。唐門は嘉永2年(1849年)の建立。慶長13年〔1608年〕は日照りが続いた。今宮神社で雨乞いの祭りを三日三晩続けたところ、激しい雷雨になったと云われている。これが今宮神社の例大祭の始まりで、彫刻屋台27台が集結する。

鹿沼城案内板 登り口 鹿沼城跡

突き当りを右方向に進むと、鹿沼城跡の御殿山公園がある。黒川の西側の台地上に築かれた平山城で、現在は野球のグラウンド施設となっている。正応5年(1292年)佐野氏の支族・鹿沼教阿が坂田山に築城する。大永年間(1521年〜1527年)鹿沼綱勝は、宇都宮忠綱に攻め滅ぼされた。鹿沼城周辺の支配を任された壬生綱房は、天文元年(1532年)坂田山の館から御殿山に新たに城を築城する。天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐では、壬生義雄は北条氏に味方して小田原城に立て籠もった。鹿沼城は宇都宮氏に攻められ落城、廃城となる。

壬生道(日光西街道)に戻り北へ進む。すぐ左手に天文年間(1432年〜1454年)創建の天満宮 / 境内に天文年間(1432年〜1454年)創建と云われる厳島神社 がある。
天満宮 厳島神社
天満宮からすぐ左手に、宝徳2年(1450年)創建と云われる宝蔵寺がある。寛永13年(1636年)に徳川家光が日光東照宮に参拝時に本陣とする。明治時代の神仏分離まで、今宮神社の別当を薬王寺と交替で行っていた。
古民家 宝蔵寺
宝蔵寺からすぐ左手に、星宮神社がある。すぐの交差点を越えた左手に、不明の社がある。
星宮神社 不明の社
不明の社からすぐ左手に松源寺 / 境内に天保年間(1830年〜1844年)造立の塩なめ地蔵 がある。塩を献上して、体の悪い所にあてると病が治る御利益があるとされている。
松源寺本堂 松源寺塩なめ地蔵堂
御成橋標識 大名行列 屋台
松源寺からすぐの交差点で、新鹿沼駅前交差点で分れた田町通りと合流する。5分ほどの御成橋西交差点を右折して、黒川に架かる御成橋を渡る。御成橋標識にも日光例幣使街道とある。御成橋の歩道のところどころに、大名行列や屋台が描かれている。
黒川
下野成田不動 下野成田不動境内からの眺望
御成橋を渡り、すぐの交差点を道なりに北東に進む。すぐ左手の高台に下野成田不動がある。境内から黒川に架かる御成橋や町並みが見える。
遊歩道入口 銀杏並木の遊歩道 観音
下野成田不動から すぐのY字路を道なりに左方向に進む。5分ほどのところから、1段高くなっている左手の遊歩道を進む。この辺りは銀杏並木になっている。さらに5分ほどすると、左手の蕎麦屋看板下に観音がある。
銀杏並木の街道 紅葉並木の遊歩道 雑木の遊歩道
観音からすぐに平成橋東交差点がある。ここからは、銀杏並木や紅葉並木がところどころ続く。左側の遊歩道を進むが、ところどころ道が草に埋もれていて歩き辛い。
平成橋東交差点から60分ほどすると、日光市に入る。右手に杉並木寄進碑がある。川越藩主・松平正綱 / 信綱父子が寛永2年(1625年)から20数年を掛けて寄進した。20万余りの杉苗を紀州熊野から取り寄せ、日光街道 / 壬生道 / 会津西街道 に植えたもの。案内板は今市市になっているが、平成18年(2006年)に合併して日光市になっている。
杉並木寄進碑 杉並木寄進碑案内板
壬生道(日光西街道)車道側 壬生道(日光西街道)遊歩道側

杉並木寄進碑から先は鬱蒼とした杉並木になる。左側に遊歩道が山道の様に続いている。同じ景色の杉並木道は、流石に飽きる。

杉並木寄進碑と文挟(ふばさみ)駅の間に小倉一里塚があるが、見逃している。杉並木寄進碑から30分ほどすると、右手にJR日光線・文挟駅がある。本日は9時のスタート時より30℃を超える暑さで、熱中症気味になる。

JR日光線・文挟駅名標