壬生道(日光西街道)ぶらり旅 No01
2014年 1月22日 JR東北本線・小山駅-(約3km)-喜沢(きざわ)追分
2017年 4月 7日 喜沢追分-(約11km)-東武鉄道宇都宮線 ・壬生駅
            [寄り道]花見ヶ岡交差点-(約3.5km)-室(むろ)の八嶋 往復
JR東北本線・小山駅から西へ進む。すぐの駅前上町交差点を右折して、旧日光街道(265号線)を北へ進む。JR東北本線・小山駅スタンプは、小山市立博物館 / 須賀神社 の図柄になっている。
JR東北本線・小山駅スタンプ
駅前上町交差点からすぐの交差点を左折する。すぐの小路を左折すると、すぐ右手に元須賀神社がある。
元須賀神社
旧日光街道(265号線)まで戻り、北へ進む。すぐの264号線との交差点を越え、次のT字路交差点を左折する。すぐ右手に寶性院がある。早朝のため、山門は閉ざされている。開いている山門と本堂の画像は、2010年5月に撮影したときのもの。
寶性院山門(2010年 寶性院本堂(2010年
寶性院側の門
興法寺山門(2010年 参道の桜(2017年
旧日光街道(265号線)まで戻り、北へ進む。すぐ左手に嘉祥2年(849年)創建の興法寺がある。寶性院山門右手からも行ける。寶性院側の門は、あいにくの霧でけぶっている。慈恵大師が室(むろ)の八島へ向かう途中、小山荘に妙楽院を創建したのが始まり。天慶3年(940年)藤原秀郷が小山城内に移し、徳王山妙楽院興法寺と称したと云われている。
興法寺本堂(2010年
興法寺と旧日光街道を挟んだ反対側に、貞応2年(1223年)創建の愛宕神社がある。小山城主・小山朝政が鬼門守護のため、京都の愛宕神社より勧請した。
愛宕神社
愛宕神社から15分ほどのJR両毛線の踏切を渡る。さらに15分ほどすると、左手に霧にけぶる日枝神社の参道がある。2017年4月も小雨のため、同じ様な景色であった。社殿は4号線を越えたところにある。すぐの五差路の喜沢(きざわ)東交差点は、喜沢追分とよばれたところ。旧日光街道は直進、すぐに右方向の小路を進む。壬生道(日光西街道 / 18号線)は北西へ進む。北側の三角地帯に、供養塔を兼ねた「左壬生道 右宇都宮道」道標 / 明治27年(1894年)造立の馬頭観音 / 出征馬碑 が並んでいる。
霧にけぶる日枝神社参道
供養塔を兼ねた道標 馬頭観音 出征馬碑
喜沢の追分からすぐに喜沢交差点で4号線と交差する。5分ほどすると、左手にゴルフ場の入口がある。壬生道はゴルフ場を貫いて通っており、すぐに日光街道西一里塚がある。左手の西塚は往時のままと云われているが、低くなっている様に思える。右手の東塚は崩れている様で境が解らない。
西塚 東塚
ゴルフ場 新しい地蔵 古い半跏像の地蔵
ゴルフ場を貫いている壬生道を進む。日光街道西一里塚から15分ほどの右手に、古い半跏像の地蔵 / 新しい地蔵が2基 がある。半加像は座っているのではなく、腰かけて片足を前に垂らしている状態。左折すると思川河岸に突き当たり、往時は栃木道への島田の渡しがあった。すぐ左手に地蔵が4基がある。
地蔵
桜並木 姿川 七面大明神
10分足らずの扶桑歩道橋交差点を左折、すぐに姿川に架かる半田橋を渡る。すぐの羽川西小前交差点からY字路を北西に進む。10分ほどすると右手に七面大明神 / 左手に妙典寺 と続き、飯塚宿に入る。
妙典寺
壬生道(日光西街道) 飯塚宿
所在地:栃木県小山市
天保14年(1843年) 本陣:2 / 脇本陣:1 / 旅籠:11

小山宿と壬生宿間が長いため、承応3年(1654年)伝馬宿に指定された。西側にある思川畔は、壬生藩の御用河岸として重要であった。往時の面影はほとんどないが、周囲には。古墳時代や天平時代の遺跡がある。

元禄2年(1689年)3月29日(新暦5月18日)芭蕉は日光街道・間々田宿を出立、喜沢追分から壬生道を進んだ。飯塚宿の外れから、西にある小倉川(現:思川)の川原を北に進んだ。小倉川(現:思川)の流れが往時と同じであれば、妙典寺から台林寺辺りまでは川に近い。小倉川(現:思川)を渡った対岸の場所は、栃木刑務所の南側500m辺りと推定されている。奥の細道300年を記念して、平成元年(1989年)に惣社河岸碑が造立されている。ここから西へ進み、5町(約545m)ほどの「毛武ト云村」を通り室の八嶋に立ち寄った。鹿沼宿で2泊して日光山を参詣した。

町並み
台林寺本堂 台林寺山門

妙典寺から10分ほどすると、左手に元和年間(1615年〜1624年)創建の台林寺 / 隣接して天満宮がある。台林寺山門の枝垂れ桜は樹齢100年。境内の桜も見頃となっていた。

天満宮
西塚 東塚

天満宮から10分ほどすると、飯塚一里塚がある。

飯塚一里塚から5分足らずのところに道路標識があり、右折する。すぐ左手に下野(しもつけ)国・国分寺跡がある。奈良時代に聖武天皇の詔により。各地に建立された寺院。国分尼寺跡とともに、天平の丘公園になっている。

下野国・国分寺跡
国分尼寺跡入口付近の枝垂れ桜 / 国分尼寺跡の淡墨桜
国分尼寺跡

国分寺跡から東に600mほどのところに国分尼寺跡がある。伽藍配置は国分寺同様に東大寺式であるが、国分寺にある塔が国分尼寺にはない。国分尼寺跡は桜が見頃で、“天平の花まつり”が開催されていた。淡墨桜が国分尼寺跡を取り囲むようにして植えられている。

壬生道に戻り北へ進むと、すぐ左手に紫雲寺 / すぐ左手に標識「蓮華寺0.7km 下野国分寺0.4km」 と続く。左折して小路を道なりに進むと、44号線沿いの蓮華寺に至る。直進して壬生道を北へ進む。10分ほどすると、花見ヶ岡交差点手前左手に社がある。
紫雲寺
[寄り道]室の八嶋
蓮華寺 思川 / 旧大光寺橋 地蔵

花見ヶ岡交差点を左折して44号線を西へ進む。すぐ右手に蓮華寺がある。5分ほどすると、思川に架かる大光寺橋を渡る。右手に旧大光寺橋が見える。大光寺橋から5分ほどの大光寺町交差点を右折して北へ進むと、すぐ右手に地蔵 / 傍らに傾いた石祠2基 がある。

地蔵から10分足らずの左手に西光寺がある。

西光寺
大神神社鳥居(南側) 大神神社拝殿 大神神社鳥居
西光寺から5分ほどの惣社東工業団地交差点を左折する。さらに5分ほどの室の八嶋入口交差点の北側に、大神(おおみわ)神社の鳥居がある。長い参道を進むと、社殿手前左手に室の八嶋がある。大神神社は、式内社論社 / 下野国総社 だったと云われている。南に2.8kmほどのところに下野国庁跡がある。
室の八嶋

奈良時代から歌枕として都にまで知られた地名で、万葉集や古今和歌集を始めとする和歌集に登場する。八の嶋に社がある。東武鉄道宇都宮線・野州大塚駅から15分ほどのところであるが、芭蕉と同じ様な道筋を辿る。雰囲気が期待される小雨が降る日に出発している。天平の丘公園では薄日となり、さらに晴天となる。

案内板拡大

大神神社から北西に進み、すぐの突き当りの交差点を左折すると、すぐ左手に栃木国府局がある。風景印は、毎年4月に大神神社で催される流鏑馬 / 室の八嶋にある芭蕉句碑「いと遊に結びつきたるけふりかな」 の図柄になっている。

栃木国府局風景印
花見ヶ岡交差点まで戻り、壬生道(18号線)を北へ進む。10分ほどすると壬生町標識がある。さらに5分ほどすると、左手に不明の石塔が2基ある。5分足らず左手に天守を模した様な民家がある。
不明の石塔 民家
街道の桜 黒川 壬生一里塚

10分足らずで黒川に架かる御成橋を渡る。さらに10分足らず左手に、壬生一里塚 がある。将軍の日光社参のとき、壬生の城主はここで出迎えるのを例としていたと云う。

壬生一里塚から5分ほどすると、東武鉄道宇都宮線の踏切を渡る。すぐに桝形の様な道になり、壬生宿に入る。

壬生道(日光西街道) 壬生宿
所在地:栃木県下都賀郡壬生町
壬生町は歴史的に古く、下毛野国の中心地だったこともあると云われている。文明年間(1469年〜1486年)壬生綱重が壬生城を築城、明治に至るまで城下町 / 壬生道(日光西街道)の宿場町 として賑わった。また黒川を利用した河川交通の要衝でもあった。町並は電線が地中化されている。
東武鉄道宇都宮線の踏切を渡り5分ほどすると、壬生駅入口交差点がある。右折すると、すぐの突き当りに東武鉄道宇都宮線・壬生駅がある。
壬生駅入口交差点を直進すると、すぐ左手に壬生中央町郵便局がある。風景印は、壬生城跡碑 / 兜 / 町の花・夕顔 の図柄となっている。壬生町の特産は干瓢(かんぴょう)で、夕顔の実が干瓢になることを初めて知る。
壬生中央町郵便局風景印