水戸街道ぶらり旅 No.09 石岡駅…国分3丁目交差点-(約20km)-奥谷交差点
2017年 3月10日(金)08:30 晴
石岡駅 国分三丁目交差点 石岡一里塚 竹原神社 石船神社 石船神社 法円寺 千貫桜跡 御霊神社 奥谷交差点
JR常磐線・石岡駅から西へ進む。国分3丁目交差点を右折して、旧水戸街道を北へ進む。
JR常磐線・石岡駅スタンプ
旧水戸街道は、すぐの国分町府中3丁目交差点を右折して東へ進む。
[寄り道]常陸国・国分寺 / 常陸国・国分尼寺
常陸国分寺跡碑 山門 本堂

国分町府中3丁目交差点を左折してすぐに右折して北へ進むと、突き当りの国分寺に常陸国分寺跡碑がある。国分寺 / 国分尼寺 は天平13年(741年)聖武天皇がの詔により、各国に建立された寺院。常陸国・国分寺は天平勝宝4年(752年)に完成したと云われている。天慶2年(939年)平将門の乱や天正13年(1585年)佐竹氏と大掾氏の兵火で焼失、以後衰退したと云われている。慶長年間(1596年〜1615年)には、千手院の住職が国分寺住職を兼務する様になった。大正8年(1919年)千手院と国分寺が合併、現在の国分寺が成立して千手院は廃寺となった。現在の国分寺は、常陸国・国分寺の後継寺院になる。
萱葺きの山門は、天正元年(1573年)頃に建立されたと云われる旧千手院山門を移築したもの。。千手院から移築した本堂は明治41年(1908年)に焼失、現本堂は明治43年(1910年)筑波四面薬師から移築したもの。

薬師堂 弘法大師堂 都々一坊扇歌堂

国分寺金堂の位置に薬師堂 / 境内に弘法大師堂や都々一坊扇歌堂 がある。初代都々一坊扇歌は文化元年(1804年)常陸太田市磯部に生まれ、江戸末期に都々逸節を広めた芸人。幕政の批判や洒脱な風刺を三味線にのせて唄った。嘉永5年(1852年)府中で没したことから、昭和8年(1933年)に建立された。

常陸国分尼寺跡碑
常陸国分尼寺 法華減罪之寺跡碑 常陸国分尼寺跡
国分寺前を東へ進み、すぐの355号線を左折して北へ進む。すぐの国分町T字路交差点を北西方向へ進む。さらに次のT字路交差点を左折して西へ進む。10分足らずの左手に石岡若松郵便局があり、すぐの変則交差点を右折して北へ進む。すぐ右手にある府中小学校の北側に、常陸国・国分尼寺跡がある。常陸国国分尼寺跡碑 / 説明板 がある。天正18年(1590年)佐竹氏と大掾氏の兵火で焼失したと云われている。発掘調査で建造物の位置や規模が明らかにされている。
国分町府中3丁目交差点から、旧水戸街道を東へ進む。常磐線を陸橋で越えると、歩道のところどころに江戸街道(旧水戸街道)に関連するのタイルが埋め込まれている。
タイル
石岡一里塚

国分町府中3丁目交差点から10分ほどすると、石岡一里塚がある。左側は往時に植えられた榎が大木となっている。右側の往時に植えられた榎は、平成14年(2002年)の台風で倒木している。

星の宮神社 街道寸景 不動堂
石岡一里塚から20分ほどすると、石岡車庫バス停がある。すぐに52号線は右へ曲がるが、旧水戸街道は直進する。すぐ左手に星の宮神社 / すぐ左手に不動堂 と続く。不動明王坐像は享保14年(1729)作と云われている。すぐに行里川(なめりがわ)集落に入ると、立派な長屋門がある。
長屋門
馬頭観音 六地蔵尊 道標

不動堂から5分ほどの行里川北交差点で52号線と交差する。10分ほどすると、右手に馬頭観音がある。すぐのT字路交差点の北西側に、「六地蔵尊」標柱が見える。側面に、「天正年間、大掾・佐竹氏の合戦・戦没者供養碑」の案内がある。中央は地蔵 / 左右に墓碑らしき石塔がある。すぐ右手に明和7年(1770年)造立の道標がある。

道標から5分足らずの右手に供養塔などの石仏石塔群 / すぐ右手に竹原神社と続く。既に竹原宿に入っている。

石仏石塔 竹原神社
水戸街道 16番 竹原(たけはら)宿
所在地:茨城県小美玉

元和年間(1615〜1624)に水戸街道の付け替えが行われたときに新設された宿場。本陣 / 脇本陣 はなく、問屋場:3 / 旅籠:10 の小規模な宿場であった。往時の面影はない。小美玉(おみたま)マンホールは、市の木・ケヤキ / 市の鳥・白鷺 / 外周に市の花・コスモス の図柄になっている。

小美玉市マンホール

5分足らずの竹原交差点で6号線に突き当たり、左折して北東へ進む。5分ほどの右手に竹原郵便局がある。風景印は、背景に筑波山 / 羽黒古墳群 / 竹原城跡 / カンナ の図柄になっている。旧東茨城郡小川町 / 旧東茨城郡美野里町 の町花はカンナで、平成18年(2006年)新治郡玉里村と合併して小美玉市になった。

竹原郵便局風景印
稲荷神社 桜並木 馬頭観音 / 地蔵 / 不明の石塔

竹原郵便局から10分ほどのところに、中野谷交差点がある。さらに5分ほどすると、左手に稲荷神社がある。すぐに桜並木が始まり、車道と歩道の間の植え込みに馬頭観音 / 地蔵 / 不明の石塔 がある。すぐの中ノ谷中央バス停 を過ぎた左手に、北辰一刀流 故大貫先生政成之碑がある。

石碑
慈母観音/ 地蔵 慈母観音 供養塔

石碑から15分ほどの大曲三差路交差点の手前左手に、慈母観音/ 地蔵 がある。すぐ左手に慈母観音と続く。5分ほどすると、車道と歩道の間の植え込みに、車道と歩道の間に、供養塔がある。

供養塔から10分ほどすると桜並木が終わり、旧水戸街道は左方向へ進む。10分足らずのところで旧水戸街道は大きく右に曲がり、片倉宿に入る。
桜並木が終わる辺り 大きく右に曲がるところ
水戸街道 17番 片倉(かたくら)宿
所在地:茨城県小美玉市

本陣は無く、脇本陣:1 / 旅籠:10軒 の小規模な宿場であった。往時の建物は残っていないが、宿場の雰囲気がある。堅倉中央交差点や旧道堅倉バス停と、地名は堅倉になっている。

屋敷塀 旧旅籠・角屋

片倉宿に入ってから、江戸末期頃創業の旧旅籠・角屋まで5分と掛らない。目立つ門は、元治元年(1864年)天狗党の焼き討ちで焼失したが復旧させたもの。往時の建物は残っていないが、宿場の雰囲気がある。

旧旅籠・角屋の十字路を左折して、59号線を北東へ進む。5分ほどの 巴橋を渡る手前から、右方向に鳥居が見える。街道に標識などはなく、見えなければ見逃していたと思う。巴橋を渡りすぐの十字路を右折すると、すぐ左手に石船(いわふね)神社がある。

巴橋手前から見える鳥居 石船神社

旧水戸街道に戻り北東へ進む。5分ほどすると、右手に不明の石塔 / すぐ左手に双体道祖神 と続く。

不明の石塔 双体道祖神
石仏石塔群 二十三夜供養塔

双体道祖神から10分足らずの左手に、神号碑「黒力神」 / 慈母観音 / 馬頭観音 / 慈母観音 / 不明の石塔 がある。小路を挟んだ左手に、二十三夜供養塔 がある。

石船神社 不明の石塔 石塔 / 慈母観音 / 石塔

二十三夜供養塔から5分ほどの左手に石船神社 / すぐ右手に不明の石塔 と続く。石塔の 左手傍らに、墓碑らしき石塔 / 慈母観音 / 墓碑らしき石塔 がある。

馬頭観音 / 慈母観音 / 慈母観音 慈母観音 愛宕神社

石塔から5分ほどすると、左手に馬頭観音 / 慈母観音 / 慈母観音 がある。5分ほどすると黒川に架かる山中橋を渡り、小美玉市から茨城町に入る。山中橋から5分ほどの右手に、慈母観音がある。さらに5分ほどすると、左手に愛宕神社 がある。

水戸街道 18番 小幡(おばた)宿
所在地:茨城県東茨城郡茨城町

水戸藩領の宿駅であったが本陣 / 脇本陣 は無く、法円寺が水戸藩の定宿となっていた。問屋場:1 の小さな宿場であった。茨城町マンホールは、町の木・梅 / 町の花・桜 / 町の鳥・ウグイス の図柄になっている。

茨城町マンホール
愛宕神社からすぐの交差点辺りから小幡宿になる。すぐ左手に水戸藩の定宿となっていた法円寺がある。
法円寺 町並み

法円寺から5分ほどの右手に、茨城上野合郵便局がある。風景印は、背景に小さく筑波山 / 小幡北山遺跡 / 小幡城跡 / ひょっとこばやし の図柄になっている。

上野合郵便局風景印
上野合郵便局からすぐ右手に、神号碑「聖徳大神」 / 二十三夜塔 / 二十三夜塔 / 地蔵 がある。
石仏石塔群
石仏石塔群から10分足らずの左手に、青龍大権現の鳥居がある。
青龍大権現
千貫桜跡
千貫櫻碑 千貫櫻歌碑 慈母観音

不明の鳥居からすぐの小畑交差点で6号線に合流、すぐ左手に千貫桜跡がある。往時は桜の大木があったところ。徳川光圀が千貫の価値があると賞したことから、千貫桜の名が付いたと云われている。千貫桜は枯れ、水戸藩9代藩主・徳川斎昭が街道沿いに植樹したと云われている。右手の北西に延びる通りの両側は、桜並木になっている。千貫櫻碑 / 千貫櫻歌碑 / 慈母観音 がある。

千貫桜跡から20分ほどすると、6号線は緩やかに左方向に進む。旧水戸街道は直進する。5分ほどすると、右手の祠に地蔵が2基ある。

地蔵

地蔵の祠から10分ほどすると、左手に御霊(ごりょう)神社がある。

御霊神社
御霊神社からすぐに奥谷(おくのや)交差点がある。交差点を越えた左手にある奥ノ谷バス停から、水戸駅行きに乗車する。

奥谷交差点を右折して南東へ進むと、すぐ左手に茨城郵便局がある。風景印は、涸沼 / 釣人 / 広浦秋の月の碑 の図柄になっている。

茨城郵便局風景印