水戸街道ぶらり旅 No.07 牛久駅-(約16km)-中央2丁目交差点…土浦駅
2017年 2月24日(金) 08:00 晴
牛久駅 薬王寺 一里塚 土浦荒川沖郵便局 大聖寺 愛宕神社 等覚寺銅鐘 中央二丁目交差点 土浦駅
JR常磐線・牛久駅より西へ進む。
 JR常磐線・牛久保駅スタンプ
前回終了した牛久保駅西出口交差点を右折して、旧水戸街道を北へ進む。5分ほどすると左手に、弘仁7年(816年)創建と云われる薬王寺 / 参道の右手に鹿嶋神社 がある。
薬王寺 鹿嶋神社

5分ほどすると、6号線は右方向に緩やかに曲がる。旧水戸街道は直進する。5分ほどすると6号線に合流するが、途中で見慣れないマンホールがある。帰宅して調べてみると、旧茎崎町(現:つくば市)のマンホール。地図で確認すると、境界が道の真ん中になっているところが僅かにあった。旧茎崎町の町の花・ひまわりの図柄になっている。この先は土浦市に入るまで、河童のマンホールが続く。

旧茎崎町マンホール
6号線に合流してから10分ほどすると、学園都市南入口交差点を越える。すぐ右手に、樹齢250年のスダジイがある。
古民家 スダジイ
石仏群 街道面
スダジイから5分ほどの猪子町交差点の左手に、石仏群がある。 祠に4基 / 祠左手に2基 / 街道面に1基 ある。5分ほどすると、小野川橋を渡る。すぐ右手に石材店の常夜灯が並んでいる。
石材店の常夜灯
小野川橋から15分ほどの西大通り入口交差点を右折すると、すぐ左手にJR常磐線・ひたち野うしく駅がある。スタンプは、関東の駅百選に認定された駅舎 / E653系特急列車 の図柄。E653系は全車が新潟に転出している。
ひたち野うしく駅スタンプ
南区大師堂跡石標 荒川沖一里塚
中根一里塚 手前:中根一里塚 / 奥:荒川沖一里塚

西大通り入口交差点まで戻り、北へ進む。10分ほどの狸穴(まみあな)入口交差点を過ぎると、左手にある荒川沖一里塚手前に南区大師堂跡石標 / 右に中根一里塚 がある。江戸日本橋から17里目(約67km)の一里塚で、荒川沖一里塚は土浦市 / 中根一里塚は牛久市 になっている。名称が異なり案内板も別々にあるのは、縄張りの違いなのだろうか。旧水戸街道の道幅から考えると、離れ過ぎている感じもする。

古民家 納屋 神明社

一里塚から15分ほどの荒川沖南区交差点から、6号線は左方向に緩やかに曲がる。旧水戸街道は直進する。 右手奥に神明社が見える。すぐの乙戸川に架かる荒川橋を渡る手前右手に、窮屈にに建てられた祠がある。不明の石塔と道祖神の石祠がある。

荒川橋を渡り5分ほどすると、黒板塀に屋敷門や母屋が立派な屋敷がある。すぐ左手に正徳元年(1711年)創建の天満神社がある。 既に荒川沖宿に入っている。

黒板塀の屋敷 天満神社
水戸街道 10番 荒川沖(あらかわおき)宿
所在地:茨城県土浦市荒川沖西
宿場町としての役務は、隣の牛久宿と分担して行っていた。本陣は置かれていなかった。継ぎの宿という位置付けであったとされる。
土浦市マンホール
天満神社からすぐのT字路を右折すると、すぐの突き当りにJR常磐線・荒川沖駅がある。
JR常磐線・荒川沖駅スタンプ
T字路まで戻り、旧水戸街道を北へ進む。すぐの左手に、土浦荒川沖郵便局がある。風景印は、隣の旧旅籠佐野屋 / 天満神社 / 霞ヶ浦の水辺と土浦市鳥・ヨシキリ の図柄になっている。
土浦荒川沖郵便局風景印
 
旧旅籠佐野屋                         古民家
土浦荒川沖郵便局隣の萱葺き屋根の古民家は、旧旅籠佐野屋。すぐ左手にも萱葺き屋根の古民家がある。
古民家から5分ほどすると、学園東大通り入口交差点で6号線に合流する。10分ほどの中村南4丁目交差点から旧水戸街道は右へ進む。すぐの交差点を越えた右手に、石仏 / 日先大神道道標 がある。5分ほどすると、6号線と交差する。渡れる横断歩道が一筋しかなく。信号待ちの時間が長い。すぐに街道に張り出した木がある。既に中村宿に入っている様である。
石仏 / 日先大神道道標 街道に張り出した木
水戸街道 11番 中村(なかむら)宿
所在地:茨城県土浦市

水戸街道が整備されたとき、近くを通っていた鎌倉街道沿いの集落が移転して宿場となった。本陣1軒 / 旅籠数軒 / 家並み50軒ほど の小さな宿場であった。宿場町の面影は、ほとんど残っていない。東小学校の手前辺りに、本陣があった。

土浦市マンホール
街道に覆いかぶさる大木から10分ほどすると、東小学校下交差点を越える。この手前辺りで中村宿が終わる。
右手:東小学校
大聖寺山門 大聖寺四脚門 大聖寺本堂
東小学校下交差点からすぐの花室川に架かる大川橋を渡ると、すぐ左手に長徳元年(995年)創建と云われる大聖寺がある。山門から四脚門を通り本堂と、距離がある。山門は貞亨2年(1685年)土浦城主・松平信興が寄進したもの。
ボンネットスクールバス 馬頭観音 不明の堂
大聖寺から10分足らずで、354号線に合流する。10分ほどの左手に、天保15年(1844年)造立の道標を兼ねた馬頭観音がある。判読できなかったが、「水海道 布施 関宿 流山道」と彫られていると云う。布施街道との追分で、馬頭観音の下にも道標らしき石がある。5分ほどすると、左手の中高津公民館敷地に不明の堂がある。
道標 / 下高津の道標石標
常福寺 愛宕神社

中高津公民館からすぐの医療センター入口交差点から、354号線は左方向に曲がる。旧水戸街道は直進する。5分足らずの右手に、水戸街道と坂東街道との分岐点に設置された享保18年(1733年)造立の道標 / すぐ左手に愛宕神社 と続く。愛宕神社奥に、平安時代初期創建の常福寺がある。愛宕神社は平貞盛が創建したと云われ、社殿は文化8年(1811年)に再建されたもの。常福寺の木製薬師如来坐像は重文。

小川 銭亀橋からの桜川眺望

旧水戸街道を北へ進む。5分ほどすると小川を渡り、さらに桜川に架かる銭亀橋を渡る。銭亀橋を渡ると十字路があり、北西側に銭亀橋の跡石標がある。銭亀橋が架橋されたのは慶長18年(1613)で、以来何度か架け替えられている。

銭亀橋の跡石標
銭亀橋を渡ったすぐの辺りに一里塚があった。5分ほどの大町交差点を直進する。
商店
水戸街道 12番 土浦(つちうら)宿
所在地:茨城県土浦市大手町〜城北町付近
土浦藩の城下町 / 霞ヶ浦を利用した水運の拠点 として賑わった。旧水戸街道は南門から城下に入り、城郭の東側を迂回して北門へ抜けていた。約1300mの街道の両側には、商家が隙間なく並んでいた。千住宿 / 水戸宿 に次ぐ賑わいがあったと云われている。7つの町から構成され、それぞれに名主が置かれていた。 本陣は2ヶ所あった。古建築が残り、景観が保存されている。
土浦市マンホール
大町交差点からすぐの突き当り右折、さらにすぐ左折する。城下町特有の桝形を進む。 左折するところの右手に、:慶長12年(1607年)創建と云われる東光寺がある。
東光寺
等覚寺本堂 等覚寺銅鐘 花蔵院

桝形から旧水戸街道を北東へ進むと、すぐ右手に鎌倉時代創建と云われる等覚寺 / すぐ左手に花蔵院 と続く。等覚寺は常陸藤沢にあった極楽寺が始まりで、慶長10年(1605年)に移転して等覚寺と改称する。土浦・般若寺の銅鐘(重文) / 潮来・長勝寺の銅鐘(重文) とともに常陸三古鐘の銅鐘(重文)は、八田知家が極楽寺に寄進したもの。土浦城に移されて使用されていたが、明治17年(1884年)に返却された。本堂前に銘木・クロマツがある。

花蔵院からすぐに突き当り右折、さらにすぐ左折する。ここから中央2丁目交差点まで5分ほどである。すぐ右手に標識があり右折すると、すぐ左手に中城天満宮がある。源頼義 / 源義家 が前九年の役のとき、境内で軍馬を閲したと云われている。江戸時代には駒市が開かれていた。狭い境内からは、想像できない。
中城天満宮
蕎麦屋・吾妻庵総本店 土浦 まちかど蔵 野村 土浦 まちかど蔵 大徳
旧水戸街道に戻り東へ進む。明治6年(1873年)創業の蕎麦屋・吾妻庵総本店 / 江戸時代から続く砂糖問屋“土浦 まちかど蔵 野村” / 宝暦3年(1753年)創業の呉服商・大徳の見世蔵“土浦 まちかど蔵 大徳”などがある。“土浦 まちかど蔵 大徳”は観光案内所となっている。
“土浦 まちかど蔵 大徳”の道を挟んだ反対側に、永享年間(1429〜40)創建の不動院 / 境内に琴平神社 がある。不動院山門左手にある琴平神社鳥居は、文化8年(1811)に再建されたもの。
琴平神社鳥居 / 不動院山門 不動院
ほたて食堂 土浦町道路元標 櫻橋親柱
不動院からすぐの中央2丁目交差点南西側角に、明治2年(1869年)創業の“ほたて食堂” / 土浦町道路元標 / 櫻橋親柱 がある。往時は川が流れ櫻橋が架けられていた。櫻橋は慶長9年(1604年)に架けられ、昭和10年(1935年)に暗渠になった。交差点下には、明治34年(1901年)竣工の煉瓦造りの橋が埋まっている。
中央2丁目交差点を左折して北へ進むと土浦城跡 / 直進して東へ進むと旧水戸街道 / 右折して南へ進むとJR常磐線・土浦駅 になる。
[寄り道]土浦城跡
太鼓櫓門 霞門 旧前川口門
東櫓 西櫓 本丸水堀

中央2丁目交差点を左折して北へ進む。すぐ左手に土浦城跡がある。土浦は幾度も水害に遭っているが、土浦城は水没することはなかった。水に浮かぶ亀の甲羅の様に見えたことから、亀城(きじょう)とも呼ばれていた。本丸と二の丸の一部が亀城公園となっている。
永享年間(1429年〜1441年)に若泉三郎よって築城されたが、天慶年間(937〜946年)平将門が砦を築いたのが始まりとも云われている。
寛文9年(1669年)土屋数直が入封する。土屋氏は天和2年(1682年)政直のとき、駿河国・田中に移封する。大河内松平家・松平信興が5年後の貞享4年(1687年)に大坂城代に転ずると、土屋政直が再び入封する。その後は常陸国で水戸藩に次いだ領地を支配、土屋氏が約200年間世襲して明治維新に至った。
江戸時代に増改築された二重の堀で守る平城であった。天守は作られなかった。明暦2年(1656年)に改築されたと云われている太鼓櫓門 / 霞門 / 移築された旧前川口門 が現存する。東櫓は平成10年(1998年)に復元された。西櫓は昭和25年(1950年)のキティ台風で破損、解体保存されていたものを平成に入ってから復原された。

桜橋の跡石標 桜橋親柱モニュメント JR常磐線・土浦駅スタンプ

中央2丁目交差点を右折して南へ進むと、すぐ左手に櫻橋の跡石標 / 案内板 / 櫻橋親柱モニュメント / 桜橋バス停 がある。中央2丁目交差点から10分ほどすると、JR常磐線・土浦駅に突き当たる。

[寄り道]
中央2丁目交差点からJR常磐線・土浦駅方面に進み、すぐの交差点を左折して北へ進む。10分ほどの左手に土浦郵便局がある。
土浦郵便局風景印