水戸街道ぶらり旅 No.04 南柏駅-(約16km)-取手駅
2017年 1月31日(火)09:00 晴 南柏駅〜取手駅
南柏駅 柏神社 東陽寺 八坂神社 柴崎神社 長禅寺 取手駅
JR常磐線・南柏駅スタンプ 八坂神社 古民家
南柏駅東口から南へ、南柏駅東口交差点を左折して旧水戸街道を東へ進む。すぐ右手に八坂神社 / 5分足らずの右手に明治3年(1870年)創建の別雷(わけいかずち)稲荷神社 がある。
別雷稲荷神社
5分ほどすると、右手に豊受(ゆたか)稲荷本宮 / 左手に神明神社 と続く。
豊受稲荷本宮 神明神社
神明神社から5分ほどすると、東武野田線高架を潜る。さらに15分ほどの交差点手前右手に、柏神社がある。寛文元年(1661年)頃に創建された八坂神社と万治3年(1660年)頃に創建された羽黒神社が明治期に合併、昭和49年(1974年)に柏神社と改称した。
柏神社
現在の柏市の規模から、宿場ではなかったかと錯覚する。柏神社の境内の街道沿いに“水戸街道の木戸”案内板がある。往時は、幕府直轄の小金牧を水戸街道が横切っていた。牧の出入口には木戸が設けられており、柏神社の西側に柏木戸が置かれていた。

柏市マンホール(左)は、市の木・カシワ / 市の鳥・オナガ / 市の花・カタクリ / 周囲に市の花・シバザクラ の図柄になっている。柏市マンホール(右)は、中央にカシワの実 / 蓋一面にサザンカ の図柄になっている。

柏市マンホール
交差点を左折すると、すぐにJR常磐線・柏駅に突き当たる。スタンプ は、柏の葉公園の図柄になっている。
JR常磐線・柏駅スタンプ
旧水戸街道に戻り、北東へ進む。5分足らずの左手に、「明治天皇柏御小休所」碑がある。明治13年(1880年)明治天皇行幸のとき、休憩した寺嶋家跡地。
明治天皇柏御小休所
諏訪神社 庚申塔群
5分足らずの交差点を過ぎ、すぐに左折すると、諏訪神社 / 境内に数多くの石仏石塔 がある。諏訪神社の干支絵馬は柏神社と同じ図柄で、社名のみが異っていた。
JR常磐線陸橋 街道寸景 馬頭観音
旧水戸街道に戻り、北東へ進む。すぐの柏公園入口交差点で16号線と斜めに交差する。5分たらずでJR常磐線を陸橋で越える。旧水戸街道は道なりにJR常磐線に平行する。10分足らずの左手に、道標を兼ねた馬頭観音がある。
東陽寺 妙蓮寺
すぐに大堀川に突き当たり、道なりに北西へ進む。大堀川は利根川水系の支流で、手賀沼に注いでいる。すぐに6号線に突き当たり、右折して大堀川に架かる呼塚橋を渡る。旧水戸街道は6号線の北側になるが、横断歩道がなく6号線の側道を進む。すぐの交差点を左折して6号線を潜ると、すぐの交差点で旧水戸街道と交差する。交差点を右折して旧水戸街道を東へ進む。道なりに10分ほど進むと、左手に室町時代創建と云われる東陽寺 / すぐ右手に妙蓮寺 と続く。
JR常磐線を越える横断歩道橋 八坂神社

すぐに旧水戸街道はほぼ直角に曲がり南東へ進む。5分足らずで、6号線と斜めに交差する。356号線を10分ほど進むと、JR常磐線に突き当たり旧水戸街道は分断される。横断歩道橋でJR常磐線を越える。すぐに356号線と合流する。すぐの駅入口交差点手前右手に、応永3年(1396)創建と云われる八坂神社がある。この辺りから我孫子宿に入る。

水戸街道 5番 我孫子(あびこ)宿
所在地:千葉県我孫子市

東西に約1kmの範囲の宿場で、本陣 / 脇本陣 が置かれていた。東側に成田街道追分がある。初期の水戸街道は、我孫子宿から利根川右岸を下流に通じていた。布佐で利根川を渡り、龍ヶ崎を経由していた。水戸街道の若柴宿付近に通じていた。

我孫子市マンホール
駅入口交差点を左折すると、突き当りに明治29年(1896年)開業のJR常磐線・我孫子駅 / 南口に平成15年(2003年)造立の飯泉喜雄顕彰碑 がある。我孫子宿の名主であった飯泉喜雄は我孫子駅誘致に奔走、私財を投じて用地を提供した。38歳で他界している。
JR常磐線・我孫子駅スタンプ 飯泉喜雄顕彰碑
旧水戸街道に戻り、駅入口交差点から東へ進む。すぐ左手に割烹旅館・角松本店がある。江戸時代には松島楼と呼ばれた旅籠。明治17年(1884年)明治天皇行幸のとき、行在所(あんざいしょ)にもなった。
割烹旅館・角松本店
大光寺門柱 道標 我孫子宿本陣跡
旧脇本陣 割烹旅館・鈴木屋

角松本店からすぐに、旧水戸街道はほぼ直角に曲がり北東に進む。曲がるところの南側に大光寺がある。幼稚園が併設されており、境内には入れない。旧水戸街道を北東に進むと、すぐ右手に寛政元年(1789年)造立の「従是子神道」道標がある。1.5kmほど東にある「子の神大黒天」への入口。すぐ右手に我孫子宿本陣跡がある。斜め向かいにある萱葺きの大きな建物は、旧脇本陣。江戸時代末期に建てられた建物で、小熊家は宿場の問屋兼名主を勤めていた。すぐのY字路を右へ進むと、すぐ左手に明治12年(1879年)創業の割烹旅館・鈴木屋がある。

割烹旅館・鈴木屋から5分ほどのY字路の三角地帯に、青面金剛 / 成田道道標 / 灯篭 などがある。Y字路を直進すると成田街道、旧水戸街道は左へ進む。

青面金剛 / 成田道道標 / 灯篭
JR常磐線 / 車両基地
Y字路を旧水戸街道は左へ進む。すぐにJR成田線の踏切を渡る。5分ほどすると、旧水戸街道はJR常磐線と車両基地で分断される。旧水戸街道は、北東側にある我孫子市水道局敷地南側に通じていた。
ここからは迂回路になる。 道なりに進み、すぐの泉交差点を左折して8号線を北へ進む。すぐに常磐線をトンネルを潜る。すぐに8号線を跨ぐ道路橋があり、この道が我孫子市水道局の先で途切れた旧水戸街道と合流している。道路橋を過ぎ、すぐに右折して回り込む。我孫子市水道局敷地の外れで、途切れた旧水戸街道に合流する。
泉交差点から東へ進むと、すぐ左手に我孫子泉郵便局がある。風景印は、 手賀沼の遠景 / 水の館 / 市鳥・オオバン の図柄になっている。
我孫子泉郵便局風景印
柴崎神社 円福寺 東源寺

旧水戸街道と合流、5分ほどの交差点を左折して北へ進む。すぐ左手に天慶元年(938年)創建と云われる柴崎神社 / 江戸時代初期創建と云われる円福寺 と続く。柴崎神社は平将門の祈願所であったと云われている。円福寺は柴崎神社の別当だった。円福寺北側の道を西へ進むと、すぐ左手に天文9年(1540年)創建の東源寺がある。

交差点を左折しないで直進する。5分足らずの交差点を右折すると、すぐにJR常磐線・天王台駅に突き当たる。
JR常磐線・天王台駅スタンプ
JR常磐線・利根川橋梁
旧水戸街道に戻り、北へ進む。円福寺から5分ほどすると、6号線に合流する。すぐの青山台入口交差点から側道を進む。道なりに15分ほどすると、利根川に平行する170号線に突き当たる。利根川は、往時は渡しであった。我孫子側の場所は解っていないが、取手側は長禅寺の南側辺りにあった。170号線を西へ進む。6号線に突き当り、右折して利根川に架かる大利根橋を渡る。大利根橋は全長1209mもあり、途中に茶店が欲しくなる距離。川風とトラック風が冷たい。
大利根橋を渡り、右手の階段を下り11号線を南東へ進む。すぐのJR常磐線を潜る手前の交差点を左折すると取手駅西口 / JR常磐線を潜り交差点を左折すると取手駅東口 に行ける。この辺りから宿場町となっていた。すぐの交差点の東側に、明治元年(1868年)創業の奈良漬の新六 / 隣に明暦元年(1655年)創業の田中酒造 がある。田中酒造の「君萬代」は、明治17年(1884年)明治天皇が牛久での陸軍射撃演習に行幸の際に下賜された銘柄。
奈良漬の新六 / 田中酒造
水戸街道 6番 取手(とりで)宿
所在地:茨城県取手市取手
天和年間(1681年〜1683年)から貞享年間(1684年〜1687年)の時期に、取手宿は水戸街道の宿場町になった。利根川水運の拠点で物資集積地でもあった。東西1kmほどの範囲に、二百軒ほどの家並みが並ぶ大規模な集落であった。初期の水戸街道は、我孫子宿から利根川右岸を下流に通じていた。布佐で利根川を渡り、龍ヶ崎を経由していた。水戸街道の若柴宿付近に通じていた。
取手市マンホール
新六のある交差点を左折すると、新六の裏手に間口の狭い大きな蔵が2棟ある。
長禅寺山門
長禅寺本堂 長禅寺観音堂
交差点からすぐの突き当りに、承平元年(931年)平将門が勅願寺として創建したと云われている長禅寺がある。階段を登ると山門 / 山門を潜ると観音堂 がある。「三世堂」と呼ばれる観音堂は、外観2層で内部3層のさざえ堂形式になっている。上り階段と下り階段があり、堂内で参拝者が交差せずに廻れる様になっている。宝暦13年(1763年)に建立されたが大破、享和元年(1801年)に再建された。
長禅寺から北東方向へ進むと、JR常磐線・取手駅がある。スタンプは、取手宿本陣の図柄になっている。
JR常磐線・取手駅スタンプ