水戸街道ぶらり旅 No.01 北千住駅-(約1km)-荒川
2013年 9月27日(金)09:00 晴 北千住駅〜道標
2016年12月 3日(土)10:30 晴 道標〜荒川
北千住駅 千住宿本陣跡 道標 氷川神社 清亮寺 日ノ出神社 荒川
JR常磐線・北千住駅北口より西へ進む。スタンプは奥の細道へ旅立つ松尾芭蕉「芭蕉旅立ちの地」の図柄で、残念ながら水戸街道ではない。
JR常磐線・北千住駅スタンプ
水戸街道 1番 千住(せんじゅ)宿
所在地:東京都足立区
天保14年(1843年)宿村大概帳
人口:9456 家数:2370 本陣:1 脇本陣:1 旅籠:55

武蔵国足立郡・豊島郡の荒川(隅田川)曲流部にあり、文禄3年(1594年)千住大橋が架けられ急速に発展した。寛永2年(1625年)五街道の整備によって日光・奥州両街道の宿場になり、水戸街道が分岐していた。東海道の品川宿 / 中山道の板橋宿 / 甲州街道の新宿 と並び、江戸四宿に数えられた。江戸に物資を運び込むための中継地点としても賑わい、享保年間(1716年〜1735年)には野菜市場や米問屋街が形成された。宿場の外れに小塚原刑場が設けられた。東京都のマンホールは、ソメイヨシノ / イチョウ の図柄となっている

東京都マンホール
北千住駅入口交差点を過ぎ、次の交差点を右折する。宿場町通りのアーケードを潜り、日光街道を北へ進む。すぐ左手に、ゴミ収集場所と化している千住宿本陣跡がある。
宿場町通りのアーケード 千住宿本陣跡
千住本氷川神社社殿 千住本氷川神社旧社殿 三精稲荷神社
すぐのコンビニ角を左折すると、突き当りに徳治2年(1307年)創建と云われる千住本氷川神社がある。社殿は昭和45年(1970年)建立されたもの。境内に旧社殿と三精稲荷神社がある。
千住ほんちょう公園 千住絵馬屋・吉田家 紙問屋松屋・横山家

日光街道に戻り、北に進む。すぐ右手の“千住ほんちょう公園”に高札場の案内板。すぐ左手に千住絵馬屋・吉田家 / 反対側に紙問屋松屋・横山家 がある。千住絵馬屋・吉田家は、江戸中期より代々絵馬をはじめ地口(じぐち)行灯や凧などを描いてきた際物(きわもの)問屋。縁取りした経木(きょうぎ)に、胡紛(ごふん)と色どりの泥絵具で描く小絵馬が千住絵馬である。紙問屋松屋・横山家は、宿場町の名残として伝馬屋敷の面影を伝える商家。

紙問屋松屋・横山家の手前を右折すると、突き当りに寛永4年(1627年)創建の長園寺 / 山門左手に目やみ地蔵 がある。境内には数多くの石仏 / 石塔がある。
長園寺本堂 目やみ地蔵
日光街道に戻り、北に進む。すぐ左手に北千住郵便局がある。風景印は、江戸時代の千住宿 / 千住祭り神輿 の図柄になっている。
北千住郵便局風景印
北千住郵便局からすぐの交差点右手に「東へ 旧水戸佐倉道 北へ 旧日光道中」道標がある。水戸街道は右折して細い道を東へ進む。ここにあった天明元年(1781年)造立の「水戸海道」と彫られた道標は、足立区立郷土博物館に保管されている。道標の左手は小公園になっている。
千住宿タイル 道標
氷川神社 清亮寺 槍掛松碑
道標から右折して東へ進むと、すぐの十字路南東側に氷川神社がある。十字路を右折すると、左手に寛永4年(1627年)創建の長園寺 / 山門左手に目やみ地蔵 がある。十字路からすぐに東京メトロ・千代田線 / JR常磐線 / つくばエクスプレス に遮られ、少し北側のトンネルを迂回する。すぐ左手に元和5年(1619)創建の清亮寺 / 境内に徳川光圀の逸話が残る槍掛松碑 がある。大名行列の槍を伏せざるを得ないほど街道に張出していた松は、伐採されることになった。 大名行列の作法として、槍を伏せることはご法度であった。切るには惜しい名松なので、徳川光圀が「松に槍を立て掛けて休憩、出立するときに反対側に回って槍を持ち直せば、槍を伏せたことにはならない」と、切られずに済んだと云われている。昭和20年(1945年)頃に枯れてしまったとのことで、写真が埋め込まれた槍掛松碑がある。
清亮寺からすぐに東武鉄道を潜る。荒川の土手と平行する449号線に突き当たる手前のT字路を右折すると、すぐ右手に荒川に沈んだ地域にあった稲荷神社が始まりの日ノ出神社がある。水戸街道は、大正2年から昭和の始めにかけて掘削された荒川で遮られる。土手に登り対岸を望むのが定番の行動であるが、土手に登る階段は通行止になっている。
日ノ出神社 荒川の土手