志木街道
01 青梅街道・奈良橋交差点-(128号線)-府中街道(16号線)・本町2丁目交差点
高木神社 塩釜神社 地蔵の祠
奈良橋交差点から128号線(東村山東大和線)を東へ進む。10分足らずのところに神社バス停があり、その先の交差点を右折して南に進むと、すぐ右手に高木神社 / 境内に安産を祈願する塩釜神社 がある。通りを挟んだ反対側に地蔵の祠 / 3基の地蔵と両側に六地蔵など がある。
地蔵
128号線(東村山東大和線)に戻り東へ進む。すぐの左手にコンビニがあり、その先のT字路を左折して北へ進む。すぐの左手に平安時代中期頃に創建された円乗院がある。鐘楼門は寛延2年(1749年)建立されたもの。武蔵野三十三観音8番札所になっている。
円乗院鐘楼門 円乗院本堂
狭山神社 霊性院庵 聖霊殿
円乗院から道なりに北へ進むと、突き当りに狭山神社がある。突き当りを左へ進むと、すぐ右手に狭山三十三観音17番札所の霊性庵 / 聖霊殿 がある。
128号線(東村山東大和線)に戻り東へ進む。すぐに北西方向に進路を変え、5分足らずのところで東に進路を変える。円乗院へのT字路から10分足らずの右手に清水の地蔵がある。
清水の地蔵
清水神社  庚申神社
清水の地蔵から右折して南へ進む。5分足らずの右手に清水公園があり、桜越しに見える建保2年(1214年)創建と云われる清水神社は、村山貯水池(多摩湖)に沈んだ氷川神社である。鳥居前の道を南へ進むと、すぐの三角地に庚申神社がある。社殿内に享保13年(1728年)造立の庚申塔 / 他1基がある。
128号線(東村山東大和線)に戻り東へ進む。すぐ左手に狭山三十三観音15番札所の清水観音堂がある。
清水観音堂
清水観音堂からすぐに西武多摩湖線・武蔵大和駅南側のガードを潜ると、すぐに交差点がある。
[寄り道]赤阪道〜寶珠寺〜氷川神社
寶珠稲荷神社 寶珠稲荷神社社殿 大六天
交差点を左折して赤坂道を北へ進む。滑り易い赤土の坂だったことに由来している。すぐ左手に安永元年(1772年)創建の寶珠稲荷神社がある。社殿左手に大六天がある。江戸時代は廻田(めぐりた)村上組の鎮守であったが、明治になり金山神社に合祀された。合祀を願わない人々により、新たに建立されたと云われている。
寶珠寺本堂 [参考]旧本堂 嘉永2年造立の馬頭観音
石橋供養塔 馬頭観音 地蔵
寛文8年造立の地蔵 六地蔵
寶珠稲荷神社の道を挟んだ反対側に寶珠寺の墓地があり、右折するとすぐ左手に寶珠寺がある。狭山三十三観音14番札所になっている。左手に嘉永2年(1849年)造立の馬頭観音 / 寛政7年(1785年)造立の石橋供養塔 / 馬頭観音 / 地蔵 と並んでいる。本堂寄りの左手に、寛文8年(1668年)造立の地蔵 / 六地蔵 がある。旧本堂の画像は、平成20年(2008年)4月撮影。 六地蔵は、実際には中央にコンクリートの柱がある。
百観音巡拝供養塔 庚申塔 新道碑
寶珠稲荷神社まで戻り、赤坂道を北へ進む。10分足らずの右手に明和4年(1767年)造立の百観音巡拝供養塔 / 明和4年(1767年)造立の道標を兼ねた庚申塔 / 明治33年(1900年)造立の新道碑が並んでいる。庚申塔は赤坂庚申塔と呼ばれ、右側面に「山口くわんおん道」と彫られている。
馬頭観音 石橋供養塔 光明真言供養塔
石仏石塔群からすぐの右手に、文政7年(1824年)造立の馬頭観音 / 寛政7年(1795年)造立の石橋供養塔 / 明治26年(1893年)造立の光明真言供養塔が並んでいる。
氷川神社鳥居 氷川神社拝殿 稲荷社
多摩湖堤防
石仏石塔群からすぐにY字路交差点があり、左へ進む。この道は旧鎌倉街道山口道で、府中街道の九道の辻(くどうのつじ)八坂交差点に通じていた。この交差点辺りから東への道は途切れている。すぐ左手に氷川神社がある。拝殿左手に稲荷社 / 右手の階段を登ると祠に、大口真神 / 不明の石塔 / 神明社 / 大六天 / 不明の石塔 と並んでいる。西側に多摩湖の堤防が見える。西武多摩湖線・武蔵大和駅から西武遊園地駅の西側に多摩湖があり、挟まれた区域が狭山公園になっている。旧鎌倉街道山口道は、西武遊園地駅北側の交差点で途切れる。
光明院全景 不動堂 薬師堂
廻田安産子育地蔵 応永の板微
128号線(東村山東大和線)に戻り東へ進む。すぐ左手に光明院不動堂(廻田不動堂)がある。大伽藍の寺だったが、新田義貞の鎌倉攻めの戦火により荒廃したと云われている。石段を登ると、 左手に享保3年(1728年)造立の寒念仏 / 応永13年(1406年)造立と云われる応永の板碑がある。寒念仏は、廻田(めぐりた)安産子育地蔵と呼ばれている。応永の板碑は石橋として使われたとも云われ、いくつかの破片になっている。法華経を信仰する人々による結衆(けっしゅう)板碑と云われるもので、多数の名前が彫られている。さらに石段を登ると、不動堂 / 左手に鐘のない鐘楼 / 平成19年(2007年)再建の薬師堂がある。木造薬師如来立像(峯薬師)は、狭山三十七薬師31番札所の日向東光庵にあったもの。狭山三十七薬師は江戸時代(1603年〜1867年)中期に開創されている。大正13年(1924年)村山貯水池(多摩湖)、昭和9年(1934年)山口貯水池(狭山湖)が完成した頃から衰退したと云われている。
光明院不動堂(廻田不動堂)から5分ほどすると、金山神社前交差点がある。
[寄り道]東村山市有形民族文化財・宝篋印塔
三山供養塔 馬頭観音 地蔵
金山神社前交差点を左折して、北へ進む。坂を5分ほど登ると突き当り、右折すると左手角に文化8年(1811年)造立の三山供養塔 / 文化3年(1806年)造立の馬頭観音がある。三山供養塔には月山 / 湯殿山 / 羽黒山以外に、判読不明の不動明王 / 大権現が彫られている。直進すると、すぐ左手の墓地入口階段上に3基の地蔵がある。
墓地入口 宝篋印塔 宝篋印塔
供養塔と馬頭観音から左折して北へ進むと、すぐ右手に墓地への石段がある。ここの宝篋印塔(ほうきょういんとう)は東村山市有形民族文化財に指定されているが、案内板などはなく解りづらい。階段を登り直進すると、左手に宝篋印塔が2基ある。元和4年(1618年)〜寛政4年(1792年)廻田村のうち200石を領していた富田家の墓塔と云われている。金山神社に近い丘陵に陣屋があった。
金山神社鳥居 金山神社拝殿 神明神社
金山神社前交差点まで戻り、128号線(東村山東大和線)を東へ進む。すぐ右手に金山神社がある。鍛冶の神様を祀ったのが始まりと云われ、江戸期には廻田村下組の鎮守であった。明治に入り、上組の鎮守稲荷神社が合祀され村の鎮守となった。
戸隠神社
金山神社から5分ほどすると、すぐ左手に稲荷社 / 祠 が並んでいる。
稲荷社
正福寺山門
正福寺本堂 地蔵堂

十三仏

小地蔵

石塔群 八坂神社鳥居 八坂神社社殿
稲荷社 / 祠 から10分ほどすると、野口町2丁目交差点の先に正福寺バス停がある。バス停手前に標識があり左折して北へ進むと、弘安元年(1278年)創建の金剛山・正福寺[臨済宗建長寺派]が見えてくる。狭山三十三観音13番札所 / 狭山三十七薬師30番札所になっている。応永14年(1407年)建立と云われる地蔵堂は、東京都内唯一の国宝建築物である。地蔵堂の左手に、小地蔵が多数奉納されている。本堂の手前右手に十三仏がある。境内の右手に、牛頭天王(ごずてんのう)を祀る八坂神社がある。
大善院参道 本堂前の溶岩 本堂
本堂軒下 溶岩の築山 地蔵堂
128号線(東村山東大和線)戻り、東へ進む。すぐのY字路交差点を直進すると、左手に天正元年(1572年)創建と云われる大善院がある。本堂前と左手に溶岩の築山がある。左手の溶岩の築山には、不動明王と三十六童子が置かれている。本堂の左手に地蔵堂がある。
128号線(東村山東大和線)戻り、Y字路を右へ進む。すぐ左手に大善院参道がある。5分ほどすると、東村山駅西口交差点がある。直進すると西武新宿線 / 西武国分寺線 / 西武園線・東村山駅に突き当たる。地図を見ると東村山駅から伸びる道は、府中街道(16号線)本町2丁目交差点のすぐ南側で突き当たっている。往時はそのまま府中街道(16号線)に繋がっていたと推察される。
東村山駅右手に川越鉄道開通100周年記念碑 / 東村山停車場の碑 がある。明治28年(1895年)川越鉄道の東村山駅が開設される。川越鉄道は国分寺と川越を結んでいた鉄道で、現在は西武国分寺線と西武新宿線になっている。
川越鉄道開通100周年記念碑 東村山停車場の碑
128号線は東村山駅西口交差点を左折して北へ進む。すぐ左手に銀行があり、その先を左折して小道を道なりに進む。すぐ左手に猿田彦神社がある。明治28年(1895年)川越鉄道の東村山駅開設に伴い、宝暦3年(1759年)造立の庚申塔を祀った神社。
猿田彦神社
百万遍供養塔 天保6年造立の馬頭観音 庚申塔
128号線まで戻り北へ進むと、右手に西武新宿線 / 西武園線 の踏切がある。右折して踏切を越えたところにあるY字路を右へ、南西に進む。すぐ左手に、道標を兼ねた明和3年(1766年)造立の百万遍供養塔 / 天保6年(1835年)造立の馬頭観音 / 宝永6年(1709年)造立の庚申塔 / 馬頭観音 が並んでいる。すぐの本町2丁目交差点で府中街道(16号線)に合流する。
馬頭観音
踏切を渡らずに北へ進むと、5分足らずの左手に貞享2年(1684年)創建の諏訪神社 / すぐ左手に東村山ふるさと歴史館(無料施設・月曜日休館)がある。
諏訪神社