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三河国・岡崎城(龍城)

■城の種別
平山城
■築城者
西郷稠頼
■築城年
享徳元年(1452年)
■主な遺構
 堀 / 石垣
■主な再建造物
天守 / 附櫓 / 模擬大手門 / 模擬東隅櫓 / 城壁

復興天守

愛知環状鉄道・中岡崎駅 / 名鉄名古屋本線・岡崎公園駅 から東に進み、すぐの248号線の中岡崎駅前交差点を越える。道なりに東に進み竹千代橋を渡ると、岡崎公園がある。
[交通]愛知環状鉄道・中岡崎駅 / 名鉄名古屋本線・岡崎公園駅-(徒歩10分)-岡崎公園

竹千代橋からの桜

三河国守護代・西郷稠頼は、永享年間(1429年〜1441年)菅生川南岸に平岩城を築城した。次いで享徳元年(1452年)西郷稠頼が菅生川北岸の龍頭山に砦を築いたのが岡崎城の始まり。文明年間(1469年〜1487年)三河松平氏3代・松平信光が西郷頼嗣を破り、五男・松平光重が城主となり岡崎松平氏を称する。大永4年(1524年)岡崎松平氏3代・松平昌安のとき、三河松平氏7代・松平清康(徳川家康の祖父)に岡崎城を乗っ取られる。享禄4年(1531年)松平清康は本拠を安城から移し、城郭を整備して岡崎城とした。天文11年(1542年)城内で竹千代(後の徳川家康)が生まれる。当時の櫓や門の屋根は茅葺で、堀を掘った土で盛った土塁が巡っていた。天文18年(1549年)三河松平氏8代・松平広忠が死去、嫡男・竹千代(後の松平元康)は幼少のために今川家が介入、岡崎城は今川家の支城として城代が置かれた。永禄3年(1560年)桶狭間の戦いで今川義元が敗死すると、松平元康(後の徳川家康)は岡崎城を取り戻した。永禄9年(1566年)徳川に改姓、元亀元年(1570年)徳川家康は本拠を浜松城に移した。岡崎城には嫡男・松平信康が入ったが謀反の疑いをかけられて自刃、以後は石川数正 / 本多重次 らが城代を務めた。天正18年(1590年)徳川家康が関東に移封となると、豊臣家臣・田中吉政が入る。徳川家康に対する抑えの拠点の一つとして、田中吉政は城を拡張して強固な石垣や城壁などを用いた近世城郭に整備した。城下町の整備を行い、郊外を通っていた東海道を岡崎城下町の中心を通るように変更した。東海道は「岡崎の二十七曲がり」と云われる道となり、現在の岡崎城の原型を造った。慶長7年(1602年)本多康重が上野国白井より5万石で入城。以降は徳川家康誕生の城として重要視され、譜代大名が歴代の城主を務めている。元和3年(1617年)3重の天守が建てられる。

岡崎公園から南を望む
清海堀 辰巳櫓台下
東海地方の城では3番目の規模であったが、明治6年(1873年)の廃城令によって廃城となった。城内の天守以下の建物は払い下げられ、本丸 / 持仏堂曲輪 / 隠居曲輪 / 風呂谷曲輪 / 石垣 / 堀 が残る。
払い下げられ北曲輪門が額田郡額田町の民家に / 北門(二の門)が西尾市西浅井町の宿縁寺に / 念沸堂赤門が市内東阿知和町の謁播神社に 移築され現存する。

龍城神社は、寛永年間(1624年〜1643年)岡崎城天守に置かれた東照宮が始まり。明和3年(1766年)東照宮は岡崎城三の丸に移転、本丸に映世神社が創建される。明治9年(1876年)東照宮を岡崎城本丸に移転、映世神社と合祀して龍城神社に改称する。明治13年(1880年)岡崎東照宮に改称、大正元年(1912年)再び龍城神社に改称する。

龍城神社
模擬大手門 模擬東隅櫓 / 模擬城壁
昭和34年(1959年)天守が鉄筋コンクリート造で再建される。平成5年(1993年)二の丸の北側に模擬大手門が建てられるが、本来は、現在の浄瑠璃寺の南にあった。平成22年(2010年)模擬大手門の東側にある東曲輪に、模擬東隅櫓 / 模擬城壁 が再建される。大河ドラマの影響で城内はテーマパーク化しており騒がしい。静寂だった頃が懐かしい。
復興天守 / 復興附櫓
三河国・安祥城
■城の種別
平城
■築城者
和田親平
■築城年
永享12年(1440年)
■主な遺構
堀 / 土塁 / 曲輪 / 井戸跡
安祥城堀跡
名鉄西尾線・南安城駅から東に進み、すぐの78号線を右折して南東に進む。10分ほどすると、右手に安城市歴史博物館 / 大乗寺 がある。
[交通]名鉄西尾線・南安城駅-(徒歩15分)-安城市歴史博物館
堀跡 堀 / 土塁 井戸跡
永享12年(1440年)この地方を治めていた地頭・和田親平によって築かれた。東 / 西 / 南 は湿地帯で自然の要塞となっていた。本丸と二の丸の周りには、2重の堀と内側に土塁があった。文明3年(1471年)松平信光が謀略によって攻め取り、徳川家康の祖父・松平清康が岡崎城へ移るまで4代の居城だった。松平清康は岡崎城を居城として三河に勢力を伸ばした。天文4年(1535年)尾張国守山に兵を進め織田信秀と対峙するが、家臣に殺害される。織田信秀は三河に侵攻、幾度となく安祥城に攻め寄せて天文13年(1544年)攻略する。松平広忠は今川義元に援軍を求め、天文18年(1549年)安祥城を奪還する。桶狭間の戦い後、松平氏と織田氏が同盟を締結する。安祥城の前線としての価値が薄れ、永禄5年(1562年)頃に廃城された。
大乗寺山門 大乗寺楼門 大乗寺本堂
本丸跡に大乗寺 / 二の丸跡に八幡社 がある。大乗寺は、延徳元年(1489年)松平親忠が城の鬼門除けとして了雲院を創建したのが始まり。寛政4年(1792年)安祥城跡に了雲院大乗寺として移転する。城域に安城市歴史博物館 / 安祥城址公園 となっている。
八幡社 安城市歴史博物館
三河国・長篠城(末広城 / 扇城)
■城の種別
平城
■築城者
菅沼元成
■築城年
永正5年(1508年)
■主な遺構
堀 / 土塁 / 石垣 / 曲輪
本丸跡
JR飯田線・長篠城駅から北へ、T字路を左折して西へ進む。本丸跡手前の帯曲輪跡に、長篠城址史蹟保存館がある。天正3年(1575年)武田勝頼軍は、奥平貞昌(後の奥平信昌)が籠城する長篠城を攻撃する。長篠の戦いの始まりで、援軍の来ることを知らせて磔にされた鳥居強右衛門が知られている。織田の援軍が駆け付け、設楽原で鉄砲の三段撃ち戦法により武田の騎馬隊を破ったと云われている。本丸の南側に野牛曲輪があるが、JR飯田線で寸断されている。
[交通]JR飯田線・長篠城駅-(徒歩/10分)-長篠城跡
三河国・吉田城(峯野城 / 歯雑城)
■城の種別
平城
■築城者
牧野古白
■築城年
永正2年(1505年)
■主な遺構
堀 / 土塁 / 石垣
■主な再建造物
鉄櫓
(くろがねやぐら)
復興鉄櫓
JR豊橋駅から東へ、新川交差点を左折して北へ進む。西八町交差点を右折、豊橋市公会堂の北側に豊橋公園がある。豊川に面したところに昭和29年(1954年)に復興された鉄櫓がある。西八町交差点を直進して吉田大橋を渡る。対岸を豊川沿いに東へ進むと、鉄櫓が正面に見える。
[交通]JR浜松駅-(徒歩/30分)-吉田城鉄櫓
三河国・田原城(巴江城 / 今宮城)
■城の種別
平山城
■築城者
戸田宗光
■築城年
文明12年(1480年)
■主な遺構
堀 / 石垣
■主な再建造物
桜門・二の丸櫓
桜門・石垣・堀
豊橋鉄道・三河田原駅から北へ進む。殿町交差点を左折すると、右手に石垣と堀が見えてくる。本丸跡に巴江神社 / 二の丸跡に田原市博物館 / 三の丸跡に護国神社がある。西側の出曲輪跡に、崋山神社と崋山会館がある。田原藩の家老であった渡辺登(崋山)は、画家・文人として知られている。
[交通]豊橋鉄道・三河田原駅-(徒歩/10分)-田原城
三河国・西大平陣屋
■城の種別
陣屋
■築城者
大岡忠相
■築城年
寛延癌年(1748年)
■主な再建造物
陣屋門 / 塀
復元陣屋門
岡崎市の旧東海道に面している。大岡越前守忠相が、寛延癌年(1748年)に1万石の大名となって立藩した。江戸時代に江戸町奉行から大名になったのは、大岡忠相のみである。以後、子孫が明治まで継いだ。跡地に稲荷神社がある。
稲荷神社
三河国・本宿陣屋
■城の種別
陣屋
■築城者
柴田勝門
■築城年
元禄11年(1698年)
■主な遺構
代官屋敷
代官屋敷
名古屋鉄道・本宿駅から1号線を南東へ進むと、10分ほどで東海道との分岐点がある。分岐を鋭角に北西へ進むと、すぐ左手に大宝元年(701年)創建と云われる出生寺が始まりの法蔵寺がある。法蔵寺橋を渡ると、左手に本宿陣屋跡と代官屋敷の案内板がある。左折して小道を進むと突き当りの病院が本宿本陣跡、右折すると左手に文政10年(1827年)築の代官屋敷がある。
[交通]名古屋鉄道・本宿駅-(徒歩20分)-代官屋敷
本宿陣屋跡と代官屋敷の案内板
元禄11年(1698年)領地を武蔵国より三河国に移された旗本・柴田勝門が、知行所支配のため本宿村(現:岡崎市本宿)に陣屋を設けた。以後、明治維新まで続く。
法蔵寺・御草紙掛松 法蔵寺山門 法蔵寺鐘楼門
嘉吉元年(1441年)徳川家の始祖・松平親氏が伽藍を建立、松平家の菩提寺とした。徳川家康が幼少の頃、住職・教翁上人に学んだ寺と云われている。入口左手に4代目となる御草紙掛松があり、手習いのおりに草紙を掛けたと云われている。周囲の石柵は、文化12年(1815年)旗本・木造俊往の寄進である。
法蔵寺本堂
三河国・西尾城(鶴城 / 鶴ヶ城 / 錦丘城 / 西条城)

■城の種別
平山城
■築城者
足利義氏
■築城年
鎌倉時代前期
■主な遺構
石垣 / 土塁 / 堀
■主な再建造物
二の丸鍮石門門 / 本丸丑寅櫓

本丸丑寅櫓

名鉄西尾線・西尾駅から線路沿いに南西へ、383号線を北西へ進む。西尾小交差点の先を左折すると、右手に西尾歴史公園がある。承久の乱(承久3年 / 1221年)の戦功によって三河国守護に任じられた足利義氏が築城した西条城が始まりと云われている。足利氏は吉良氏と改名、吉良荘を統治する。戦国時代には城主が入れ替わり、城域も拡大する。平成8年(1996年)本丸丑寅櫓と二の丸鍮石(ちゅうじゃく)門が復元されている。本丸跡に西尾神社がある。
[交通]名鉄西尾線・西尾駅-(徒歩/15分)-西尾歴史公園

二の丸鍮石門 西尾神社拝殿 西尾神社本殿
三河国・刈屋城(亀城)
■城の種別
平城
■築城者
水野忠政
■築城年
天文2年(1533年)
■主な遺構
土塁 / 水堀
辰巳櫓が碧南市内の妙福寺に移築され現存する。
刈屋城址碑
名鉄三河線・刈谷市駅西側にある刈谷市駅前交差点から、北西へ進む。突き当りを左折して、48号線の銀座4丁目交差点を越える。城町図書館の角を右折すると、旧刈屋城の本丸と二の丸の1部にあたる亀城公園が見えて来る。衣ヶ浦(ころもがうら)と呼ばれていた入江の北端東岸に面して築かれた。徳川家康生母・於大の育った城として知られている。於大の父・水野忠政の死後、兄・水野信元は今川氏を離れ織田氏に付いた。このため松平広忠から離縁され、久松氏に再嫁するまで刈屋城近くの椎の木屋敷で過ごしている。刈屋藩は明治4年(1871年)に廃藩、城は破却された。
[交通]名鉄三河線・刈谷市駅-(徒歩15分)-亀城公園
本丸跡