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飛騨国・荻町城
■城の種別
山城
■主な遺構
土塁 / 堀切
荻町城跡(背後の城山)

合掌造りの集落・白川郷にあり、庄川の東岸で西へ突き出した尾根の先端に築かれている。築城年代は判っていないが、帰雲城・内ヶ島氏の家臣・山下氏が城主を務めていた。天正13年(1586年)天正地震により帰雲城は帰雲山の崩壊で埋没、内ヶ島氏理ら一族は全て死に絶え滅亡した。荻町城主だった山下氏勝は、豊臣秀吉〜徳川家康〜尾張国・徳川義直と仕えることになる。

城跡は合掌造りの集落を望むスポットになっている。
城山からの合掌造りの集落
飛騨国・増島城
■城の種別
平城
■築城者
金森長近
■築城年
天正13年(1585年)
■主な遺構
石垣・堀
円光寺と林昌寺の山門は、移築した城門と云われている。
本丸跡
JR高山本線・飛騨古川駅から南東へ、線路に平行した道を進む。5分ほどすると、右手に古川小学校 / 隣に僅かに残る堀と本丸の石垣がある。本丸跡には増島天満神社や御蔵稲荷神社がある。天正13年(1585年)に高山藩主となった金森長近が築城したが、元和元年(1615年)の一国一城令で廃城となった。古川小学校は城跡地で、南西側の荒城川を堀としていたと云われている。
[交通]JR高山本線・飛騨古川駅-(徒歩/約5分)-増島城
円光寺山門
飛騨国・高山城(天神山城 / 多賀山城)
■城の種別
平山城
■築城者
多賀徳言
■築城年
永正年間(1504年〜1520年)
城址碑
JR高山駅から広小路通りを東へ進む。本町通りを右折、陣屋前交差点を左折する。宮川に架かる中橋を渡り東へ進むと、右手に城山公園が見えてくる。
[交通]JR高山本線・高山駅-(徒歩40分)-城山公園
永正年間(1504年〜1520年)多賀徳言が標高686.6mの城山(臥牛山 / 巴山)に天神山城(多賀山城)を築城したのが始まり。天正13年(1585年)豊臣秀吉の命を受けた越前大野城主・金森長近が飛騨を制圧、天正16年(1588年)天神山城跡を利用して高山城を築城する。城下町は京都に似せて造られ、今日に至っている。元禄5年(1692年)金森頼時のとき出羽国・上山藩に転封となり、天領となる。元禄8年(1695年)高山城は廃城となる
城山
飛騨国・高山陣屋
■城の種別
金森氏下屋敷→陣屋
■主な遺構
郡代役所 / 表門 / 門番所 / 番蔵 / 書物蔵 / 土蔵
■主な再建造物
蔵番長屋 / 郡代役宅 / 奥座敷
郡代役所
JR高山駅から広小路通りを東へ進む。本町通りを右折、陣屋前交差点の南西側に高山陣屋(有料施設)がある。
[交通]JR高山本線・高山駅-(徒歩10分)-高山陣屋
元禄5年(1692年)金森頼時が出羽国・上山藩に転封となり、飛騨国は天領となる。元禄8年(1695年)高山城は破却され、金森氏下屋敷が代官所として使用されることになった。安永6年(1777年)以降は郡代役所となった。明治維新後は筑摩県高山出張所、戦後も昭和44年(1969年)まで県事務所として使用された。天保元年年(1830)の絵図を基に、平成8年(1996年)蔵番長屋 / 郡代役宅 / 奥座敷 などがほぼ江戸時代の状態に復元された。
賑わう古い町並み
宮川に架かる中橋
飛騨国・神岡城(野尻城 / 沖野城)
■城の種別
山城
■築城者
江馬時盛
■築城年
永禄7年(1564年)
■主な遺構
堀 / 石垣
■主な再建造物
木造模擬天守
模擬天守
JR高山本線・飛騨古川駅から神岡行バスに乗車、西里バス停で下車する。東へ進み、すぐに高原川に架かる西里橋を渡る。神岡町公民館外れの角を右折して南へ進むと、左手に模擬天守が見えてくる。
古民家 神岡町並み
越中国への侵攻拠点とするために、永禄7年(1564年)武田信玄の命により江馬時盛が築城した。天正10年(1582年)姉小路頼綱により飛騨はほぼ統一される。天正13年(1585年)金森長近による飛騨攻略により、家臣・山田小十郎が城代となった。元和元年(1615年)一国一城令により廃城となる。昭和45年(1970年)三井金属鉱業神岡鉱業所の創業100周年記念として、城跡に模擬天守が建てられた。神岡城の名も、この時に名付けられた。模擬城門からは有料施設となる。
山奥に城が必要だったのか疑問に思うが、豊富な森林資源や奈良時代の養老年間(717年〜724年)に採掘が始まった神岡鉱山があった。神岡鉱山は平成13年(2001年)鉱石の採掘を中止した。古い町並みは、鉱山最盛期の頃を彷彿させる。明治元年(1868年)築の古民家・松葉家 / 鉱山資料館 がある。
[交通]JR高山本線・飛騨古川駅-(バス約40分)-西里バス停-(徒歩約5分)-神岡町公民館外れの角-(徒歩約10分)-模擬天守