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筑前国・黒崎城(道伯山城)
■城の種別
平山城
■築造者
黒田長政
■築造年
慶長6年(1601年)
■遺構:石垣 / 土塁 / 曲輪
長崎街道からの道伯山
JR鹿児島本線・黒崎駅改札口から右に進み、すぐに右折して跨線橋でJR鹿児島本線を越え3号線バイパスの北側に降りる。3号線バイパスを東に10分ほど進むと、田町東橋交差点がある。西側の三角地帯にモニュメントの常夜燈 / 案内板 / 嘉永2年(1849年)造立の常夜燈 がある。常夜燈は黒崎湊に灯台として設置されていたもの。
モニュメントの常夜燈 / 案内板 常夜燈

田町東橋交差点から鋭角に長崎街道を左に進む。すぐのT字路を北に進む。曲がりくねった登り坂で、途中に短絡する階段が2ヶ所ある。田町東橋交差点から15分ほどのところに城山公園駐車場がある。
[交通]黒崎駅-(徒歩25分)-城山公園

駐車場手前の石垣 黒崎城跡石碑 本丸土塁
本丸石垣 黒崎城跡石柱(本丸跡) 本丸跡
黒崎城は黒崎駅の北東にある標高62.2mの道伯山に築城された。山頂に本丸 / 北へ伸びた尾根に二の丸と三の丸 があった。北から西の麓は海に面して舟入があったと云われている。元文3年(1738年)新田開墾のため、石垣は護岸整備に転用された。山頂北の駐車場手前や脇に石垣が現存する。城山公園(道伯山公園)になっている。
黒崎は元和元年(1615年)に整備された長崎街道の宿場町であるが、同年に廃城となった黒崎城の堀を埋め立て構口とした。構口とは宿場の出入口に設けられた番所のことで、役人が昼夜交代で通行人を監視していた。

古くは鎌倉時代から砦があったと云われている。慶長5年(1600年)関ヶ原合戦後に筑前国に入封した黒田長政は、国境の守りを固める六端城のひとつとして黒崎城を築城する。家臣・井上之房を2万石で城主とするが、元和元年(1615年)一国一城令によって廃城となる。

筑前国・名島城
■城の種別
平山城(海城)
■築城者
立花鑑載
■築城年
天文年間(1532年〜1555年)
■主な遺構
土塁
城門3棟が、福岡城・崇福寺・宗生寺に移築され現存する。
城址碑
西鉄宮岳線・名島駅から名島交差点で3号線を越え、北西へ進む。2つ目の十字路を左折して道なりに進み、高架下の交差点を越える。Y字路を左折して道なりに進むと、右手に名島神社の鳥居が見えて来る。本丸跡に名島神社があり、本殿裏手の階段を登ると城址碑がある。弁天曲輪跡に、名島弁財天社と宋栄寺がある。
[交通]西鉄宮岳線・名島駅-(徒歩/約20分)-名島神社一の鳥居
筑前国・福岡城(舞鶴城)
■城の種別
平山城
■築城者
黒田如水・長政
■築城年
慶長6年(1601年)
■主な遺構
多聞櫓(重文) / 二の丸南隅櫓(重文) / 潮見櫓 / 祈念櫓 / 大手門 / 名島門 / 母里太兵衛邸長屋門 / 石垣 / 堀
花見櫓と月見櫓が 崇福寺に移築され現存する。
■主な再建造物
二の丸北隅櫓 / 大手門
多聞櫓
地下鉄・大壕公園駅の南側に舞鶴公園が広がる。明治通りを東へ進む。大手門交差点を右折して南へ進むと、左手に福岡城本丸がある。桜の時期は賑わう。
[交通]福岡市地下鉄・大濠公園駅駅-(徒歩/約15分)-福岡城本丸
筑前国・大野城(四王寺山城)  
■城の種別
山城
■築城者
大和朝廷
■築城年
天智4年(665年)

■主な遺構
土塁
山頂
西鉄・太宰府駅から北へ進む。T字路を左に進み浦の城橋を渡ると大野林道で、岩屋城を経由して大野城に行くことができる。新羅・唐の連合軍に備えて造られた国防城塞である。太宰府を守る目的で、四王寺山(標高410m)一帯に築かれた。
筑前国・水城(みずき)
■築造者
大和朝廷
■築造年
天智3年(664年)
■主な遺構
土塁
水城跡碑(東門付近)
福岡市から太宰府へ向かう途中に、東西に連なる小高い丘がある。旧国道3号線 / 国道3号線 / 112号線 / 九州自動車道 / JR鹿児島本線 / 西鉄 により各所で分断されている。水城は博多湾方面からの攻撃から大宰府を守るために造られた、直線状の土塁と堀。国分丘陵と吉松丘陵との1.2kmを塞ぐ様に造られていており、高さ10m以上 / 幅80mあった。土塁の内部には、御笠川から堀に水を流すための木樋が通っていた。博多湾側にあった堀は、幅60m / 深さ4mあり、水を貯えていた。国分丘陵裾に東門、吉松丘陵裾に西門があった。
[交通]JR水城駅-(徒歩/約10分)-水城
112号線で分断されているところ
筑前国・岩屋城
■城の種別
山城
■築城者
高橋鑑種
■築城年
天文年間(1532年 〜1554年)
■主な遺構
土塁 / 堀切
本丸跡の城址碑
西鉄・太宰府駅から北へ進む。T字路を左に進み浦の城橋を渡ると大野林道で、道なりに進むと岩屋城に行くことができる。四王寺山(標高410m)の中腹(標高291m)にある。高橋紹運は、本拠地を豊後とする大友家の重臣。天正14年(1586年)5万とも云われる島津軍を相手に、763名で籠城して玉砕したことで知られる。自害した高橋紹運の墓が、城への登り口の南西側にある。大友家の重臣・立花道雪の跡を継いだ立花宗茂は、高橋紹運の実子。
筑前国・怡土城(いとじょう) 
■城の種別
山城
■築城者
吉備真備
■築城年
天平勝宝8年(756年)
■主な遺構
土塁
高祖神社

福岡市と糸島市との境にある高祖山の山腹西斜面に、天平勝宝8年(756年)から13年を要して築城された。新羅征討や唐で勃発した安禄山の乱に備えるために築城したと云われている。平安時代に廃城、戦国時代に糸島を支配した原田種継が城跡を利用して高祖城を築城した。天正15年(1587年)豊臣秀吉に攻め滅ぼされるまで、拠点としていた。城内に高祖神社がある。

筑前国・久留米城(笹原城 / 篠山城 / 篠原城 / 久留目城 / 来目城 / 雨城)
■城の種別
平山城
■築城年
永正年間(1504年〜1521年)
■主な遺構
石垣 / 堀
城門が市内の寿本寺に移築され、山門として現存する。
石垣
JR鹿児島本線・久留米駅から東へ、交番前交差点を左折して北へ進む。篠山城南交差点を左折すると、突き当りに久留米城がある。遺構は元和7年(1621年)に封じられた有馬豊氏が完成したときのもの。本丸跡に篠山神社がある。
[交通]JR鹿児島本線・久留米駅-(徒歩/約15分)-久留米城
筑前国・高良山(こうらさん)神籠石(こうごいし) 
神籠石 高良大社
高良大社境内の左手を進むと、右手にある。古代の西日本に築造された遺跡。日本書紀や続日本紀などの文献に記載がなく、遺構でのみ確認できる山城。神社を取り囲む聖域とする説もある。
筑前国・発心岳城
■城の種別
山城
■築城者
草野家清
■築城年
天正5年(1577年)
■主な遺構
土塁 / 堀
 
発心公園
耳納山系発心岳(標高650m)の山頂部を中心に築かれた城。北麓の発心公園のところに、上城 / 下城の跡がある。
筑前国・秋月城(杉本城)
■城の種別
平城
■築城者
秋月種雄
■築城年
建仁3年(1203年)
■主な遺構
長屋門 / 大手門(黒門) / 石垣 / 堀
長屋門

郷土館前バス停の南側に秋月郷土館がある。さらに南へ進むと左手に秋月城がある。 城址の垂裕神社には、移築された大手門(黒門)がある。元は、古処山城の搦手門。
[交通]甘木鉄道・甘木駅-(バス)-郷土館前-(徒歩/約15分)-秋月城

筑後国・柳川城(舞鶴城)
■城の種別
平城
■築城者
蒲池治久
■主な遺構
石垣 / 堀 / 藩主別邸御花
堀水門
掘割に囲まれた要害で、城内や市街に無数の堀が縦横に交わる。堀を利用した柳川の川下りが知られている。関ヶ原の戦いで西軍に付いた立花宗茂は改易されるが、後に再度城主となる。以降、柳川藩として明治まで続く。元禄10年(1697年)城の西方に藩主別邸御花が造営される。迎賓館・西洋館・本館・松濤園(日本庭園)が残る。