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但馬国・豊岡とよおか城(亀城 / 神武山城)
■城の種別
平山城
■築城者
山名祐豊
■築城年
長享2年(1489年)以前
■主な遺構
本丸跡 / 萩の丸跡 / 笠の丸跡
豊岡城本丸跡

JR山陰本線 / 京都丹後鉄道・豊岡駅東口からすぐの豊岡駅前交差点を右折する。すぐのY字路を左方向に道なりに進む。すぐ右手に豊岡千代田郵便局がある。風景印は、円山川からの来日岳 / 天然記念物・コウノトリ / 特産・かばん の図柄になっている。豊岡千代田郵便局から5分ほどの交差点を右折して南へ進むと、5分足らずの左手に神武山公園がある。
[交通]JR山陰本線・京都丹後鉄道・豊岡駅-(徒歩15分)-神武山公園

豊岡千代田郵便局風景印
但馬国守護大名・山名持豊(宗全)により、長享2年(1489年)以前に築城された木崎城(城崎城)が始まりと云われている。天正8年(1580年)羽柴秀吉により但馬国山名氏は滅亡する。羽柴秀吉配下・宮部継潤の支配となり、城崎を豊岡と改め城を改築した。このとき城下町も整備された。天正10年(1582年)羽柴秀吉が鳥取城を攻略すると、宮部継潤は鳥取城に移る。替わって木下重堅 / 天正12年(1584年)に尾藤知定 / 天正14年(1586年)に明石則実 / 文禄4年(1595年)に福原道高 と城主が替わった。
慶長3年(1598年)杉原長房が豊後国杵築より入封する。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで杉原長房は西軍に与して丹後国田辺城を攻めた。妻が浅野長政の娘だったため、浅野長政の取り成しで旧領を安堵された。承応2年(1653年)3代・杉原重玄が嗣子なく没して改易となり、豊岡は天領となり豊岡城は廃城となった。寛文8年(1668年)京極高盛が丹後国田辺から入封、再度豊岡藩が置かれる。城主大名の格式ではなかったため、山麓に陣屋が置かれた。
豊岡城跡一帯は神武山公園になっている。
笠の丸跡
但馬国・出石いずし城(高城)
■城の種別
平山城
■築城者
山名持豊
■築城年
天正2年(1574年)
■主な遺構
辰鼓楼 / 石垣 / 堀
■再建造物
本丸東隅櫓 / 本丸模擬西隅櫓 / 登城門 / 登城橋
本丸模擬西隅櫓
出石バス停から2号線を北に進む。すぐの交差点を過ぎると、すぐにT字路がある。直進すると、すぐ左手に水天宮がある。水天宮は小出吉英が菩堤寺として吉祥寺を創建、(鎮守として建立したのが始まり。明治の神仏分離令により、明治4年(1871年)頃に現地に移転した。
水天宮
T字路まで戻り、東に進む。すぐ右手に福成寺 / すぐ右手に勝林寺 と続く。福成寺は出石城が築城されたとき、日野辺街道からの敵の侵入を防ぐために現在地に移された。
福成寺 勝林寺
家老屋敷長屋門 家老屋敷
勝林寺の通りを挟んだ反対側の長屋門を潜ると、 家老屋敷がある。出石城内堀の近くに位置、上級武士の居住があった内町通りに面している。建物の外観は平屋建に見えるが、内部には隠し階段が仕組まれた二階建になっている。
有子山城・出石城全景  登城橋 / 登城門
家老屋敷からすぐのT字路を直進して道なりに南に進むと、登城橋河川公園がある。
[交通]JR山陰本線・京都丹後鉄道豊岡駅-(バス/30分)-出石バス停-(徒歩5分)-出石城
天正2年(1574年)山名祐豊は有子山(ありこやま)城を築城、山麓には下館が置かれた。天正8年(1580年)羽柴秀吉による第二次但馬征伐で有子山城は落城、但馬山名氏は滅亡する。有子山城は城代の時代が続き、天正13年(1585年)前野長康 / 文禄4年(1595年)小出吉政 が城主となった。関ヶ原の戦いで、小出吉政は西軍 / 弟・小出秀家は東軍 に分かれて戦った。小出秀家の功績により、出石の領土は安堵された。慶長9年(1604年)小出吉英により、有子山城の山上の丸および天守部分が廃される。有子山城山麓の郭および館のみを出石城と命名、幕府に居城として届けた。山麓には、堀で囲まれた三の丸 / 下郭 / 二の丸 / 本丸 / 稲荷丸 が階段状に築かれた。このとき城下町も整備され、出石の町並みが形成された。山上の旧有子山城は荒れるに任され、樹木が生い茂り山林となった。元禄9年(1696年)小出英及が3歳で死去すると、嗣子なく改易となった。代わって松平(藤井)忠周が入封するが宝永3年(1706年)転封となると、仙石政明が入封して廃藩置県まで続いた。明治の廃城令で出石城は取り壊されるが、辰鼓楼 / 堀 / 石垣 などが残る。登城橋 / 登城門 / 本丸東隅櫓 が再建された。本丸西隅櫓は存在しなかった模擬櫓である。
辰鼓楼 出石内郵便局 出石内郵便局風景印
北側の三の丸跡に明治4年(1871年)建立の辰鼓楼がある。城主の登城を知らせる太鼓を叩く楼閣であった。明治14年(1881年)より時計台となった。明治11年(1878年)札幌農学校演武場に建立の時計塔(札幌時計台)は、明治14年(1881年)より時計台となった。どちらが時計台として日本最古になるか、はっきりしないと云う。道路を挟んだ西側に、城下町の雰囲気に合わせた建物の出石内郵便局がある。風景印は、出石城 / 辰鼓楼 / 家老屋敷 の図柄になっている。
感応殿
本丸背後の石垣 本丸からの眺望
本丸跡に明治に入って旧家臣によって創建された、仙石秀久を祀った感応殿がある。
再建された本丸東隅櫓は樹木が生い茂り、見えづらかった。本丸東隅櫓の東側に慶長9年(1604年)創建の有子山稲荷神社への157の石段 / 37の鳥居 がある。城郭内にありながら、身分を問わず参詣が許可されていた。
本丸東隅櫓 / 塀 有子山稲荷神社鳥居
本丸背後の石垣の切れ目から登ろうとして足を痛め、有子山稲荷神社 / 有子山城 には行っていない。
山城国・二条城
■城の種別
平城
■築城者
徳川家康
■築城年
慶長8年(1603年)
■主な遺構
二の丸御殿(国宝) / 二の丸御殿障壁画(重文) / 櫓 / 門 / 石垣 / 堀 22棟の建造物が重文指定
隅櫓
JR二条駅から、二条駅東交差点を左折する。押小路通りを右折して東へ進むと、左手にある。堀沿いに一周すると、新鮮味がある。将軍の上洛の際の宿泊施設として築城される。15代将軍徳川慶喜が大政奉還を行った舞台としても知られている。平成6年(1994年)古都京都の文化財として、ユネスコ世界文化遺産に登録されている。
[交通]JR山陰本線 ・二条駅-(徒歩/約10分)-二条城堀
山城国・伏見城(桃山城 / 指月城 / 木幡山城)

■城の種別
平山城
■築城者
豊臣秀吉
■築城年
文禄元年(1592年)
■主な遺構
石垣 / 堀
移築された櫓や城門が、近畿地方に現存する。
■主な再建造物
模擬天守 / 模擬小天守 / 模擬大手門

模擬天守
JR奈良線・桃山駅から東へ、最初の交差点を左折して道なりに進む。15分ほどすると、突き当たりに伏見桃山城運動公園がある。伏見城は3度に渡って築城されている。文禄元年(1592年)指月山に築かれた指月山伏見城 / 地震崩壊後の慶長元年(1596年)に木幡山に再築された木幡山伏見城 / 関ヶ原の戦いで落城後の慶長7年(1602年)焼失跡に再建される。
[交通]JR奈良線・桃山駅-(徒歩/約15分)-大手門
山城国・勝竜寺城(小竜寺城)
■城の種別
平城
■築城者
畠山義就
■築城年
室町時代
■主な遺構
土塁 / 空堀
■主な再建造物
模擬櫓 / 模擬石垣
模擬櫓 / 模擬石垣

JR東海道本線・長岡京駅より東へ、すぐの交差点を右折して南へ進む。東神足交差点の先、右手に勝竜寺城がある。南北朝時代から江戸時代初期に存在していた城。京都盆地の西南部、小畑川と犬川の合流地点に位置する。西国街道と久我畷が交差する要衝で、京都では山崎城につぐ防衛拠点であった。山城守護・畠山義就が郡代役所として築城したと云われ、郡代の政庁から城郭に発展したと云われている。戦国時代末期には松永久秀や三好三人衆の属城となっていた。永禄11年(1568年)観音寺城の戦いで、織田信長は近江守護である六角義賢・義治父子を降す。続いて三好三人衆の岩成友通が守る勝竜寺城を攻撃、降伏・開城させる。三好三人衆は畿内から掃討され、阿波に押し戻される。慶安2年(1649年)に廃城となる。
[交通]JR東海道本線・長岡京駅-(徒歩/約10分)-勝竜寺城

山城国・淀城(新淀城)
■城の種別
平城
■築城者
松平定綱
■築城年
元和9年(1623年)
■主な遺構
石垣 / 堀 / 天守台
石垣
京阪電鉄・淀駅下りホームから石垣と堀が見える。茶々が居住した古淀城跡の遺構は残っていない。二の丸跡に、応和年間(961年〜964年)創建と云われている与杼神社がある。慶長12年(1607年)建立の拝殿は重文。左隣に明治18年(1885年)創建の稲葉神社がある。
[交通]京阪電鉄・淀駅前
丹波国・亀山城(亀岡城 / 亀宝城 / 霞城)
■城の種別
平山城
■築城者
明智光秀
■築城年
天正6年(1578年)
■主な遺構
石垣 / 堀
新御殿門(長屋門)が、亀岡市立千代川小学校に移築され現存する。
JR亀岡駅から南へ、404号線を左折する。さらに右折して25号線を南へ進む。堀が見える先の右手にある。明智光秀によって、丹波統治の拠点として築城される。現在は宗教法人大本の本部が置かれている。
[交通]JR山陰本線 ・亀岡駅-(徒歩/約10分)-亀山城堀
丹波国・園部城
■城の種別
平城
■築城者
小出吉親
■築城年
元和5年(1619年)
■主な遺構
本の丸表門(櫓門) / 巽櫓 / 太鼓櫓 / 石垣
巽櫓
JR園部駅から東へ、9号線(山陰道)を左折して北西へ進む。園部本町交差点を左折して南へ進むと、右手に園部高校がある。正門は本の丸表門(櫓門)、左手に巽櫓がある。敷地は本丸跡になる。当初は陣屋であったが、明治元年(1868年)に明治天皇の行在所として城構えとなる。
[交通]JR山陰本線 ・園部駅-(徒歩/約20分)-園部高校
丹波国・福知山城(臥龍城)
■城の種別
平山城
■築城者
塩見頼勝
■築城年
室町時代後期
■主な遺構
二の丸銅門番所 / 石垣
■主な再建造物
大天守 / 小天守 / 釣鐘門
二の丸銅門番所
JR福知山駅から北へ、24号線(お城通り)を右折して東へ進むと右手にある。天正7年( 1579年)丹波国を平定した明智光秀が、近世城郭へと大修築する。市役所付近にあった銅門番所は、本丸に移築されている。
[交通]JR山陰本線 / 福知山線・福知山駅-(徒歩/約15分)-福知山城
丹波国・篠山ささやま城(桐ヶ城)
■城の種別
平山城
■築城者
徳川家康
■築城年
慶長14年(1609年)
■主な遺構
石垣 / 堀
■主な再建造物
御殿(大書院)
石垣

JR福知山線篠・山口駅より東へ、篠山口駅東交差点を左折する。299号線を道なりに進む。丹南弁天交差点から北東に進路が変わる。東吹下交差点を右折して、36号線を東へ進む。枡形を右方向へ、すぐに左方向へ進む。左手に篠山市役所、右手に篠山城がある。慶長14年(1609年)徳川家康は、松平康重を常陸国・笠間城から丹波国・八上城に移封、新城を15ヶ国20の大名による天下普請により築城する。山陰道の要衝である丹波篠山盆地に城を築くことにより、大坂の豊臣氏を始めとする西国大名の抑えとする目的があったと云われている。明治維新後、城郭の遺構は大書院を残してほとんどが取り壊される。大書院は昭和19年(1944年)失火により焼失するが、平成12年(2000年)に復元される。城下町は、国の重要伝統的建造物群保存地区になっている。
[交通]JR福知山線・篠山口駅-(徒歩60分)-篠山城

丹後国・田辺城(舞鶴城)
■城の種別
平城
■築城者
細川藤孝
■築城年
天正7年(1579年)
■主な遺構
石垣 / 堀 / 庭園
■主な再建造物
大手門 / 二層櫓 / 塀
JR / 京都丹後鉄道宮津線・西舞鶴駅から北西に進む。すぐに右折して北に進む。5分ほどすると、右手に田辺城大手門がある。天正6年(1578年)織田信長の命により、細川藤孝は守護大名の一色義道を滅ぼして丹後を制圧する。宮津城を居城としたが、交通の要所で旧丹後守護所があった八田に田辺城を築城する。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いでは、細川忠興は東軍に加勢した。隠居していた細川藤孝(幽斎)は居城である宮津城を焼き払い、田辺城に籠城する。西軍1万5千人に包囲され、50日に及ぶ籠城戦となった。細川藤孝(幽斎)は「古今伝授の書」が戦火で忘却されるのを恐れ後陽成天皇に献上、後陽成天皇の仲介で田辺城は開城した。
[交通]JR / 京都丹後鉄道宮津線・西舞鶴駅-(徒歩5分)-舞鶴公園
大手門 二層櫓 大手門 / 塀
細川忠興は戦功により豊前国小倉に転封する。京極高知が丹後国12万3千石を与えられ、宮津城を再築して本拠地とする。田辺城の建造物は、破壊されたと云われている。京極家は、嫡男・高広が宮津藩7万5千石 / 次男・高三が田辺藩3万5千石 / 養子・高信が峰山藩1万3千石 を相続した。京極高三により石垣の修復や櫓の再建が行われた。京極氏3代の後に豊岡藩へ転封となる。牧野氏が寛文8年(1668年)3万5千石で入封、明治維新まで続く。明治7年(1873年)廃城となり、城跡は舞鶴公園になっている。昭和15年(1940年)二層櫓 / 平成9年(1997年)大手門 が復興される。堀は埋め立てられて現存しない。
大手門の道路を挟んだ西側明倫館跡に、舞鶴市立明倫小学校がある。天明年間(1781年〜1789年)田辺藩第・牧野宣成により明倫齋が創設される。文久年間(1861年〜1864年)に明倫館と改称された。明治5年(1872年)の学制発布に伴い、明倫小学校になる。正門は明倫館当時のものを移築したもの。
明倫館門
舞鶴公園の近くには、北から舞鶴引土郵便局 / 西舞鶴郵便局 / 舞鶴魚屋郵便局 に風景印が設置されている。舞鶴引土郵便局 / 西舞鶴郵便局 風景印には、田辺城の図柄がある。
舞鶴引土郵便局風景印は、愛宕山 / 阿弥陀如来座象(重文) / 田辺城 の図柄になっている。西舞鶴郵便局風景印は、五老ヶ丘公園からの舞鶴湾 / 田辺城跡 の図柄になっている。
舞鶴引土郵便局風景印 西舞鶴郵便局風景印
和泉国・岸和田城(千亀利ちぎり城 / 滕城)
■城の種別
平城
■築城者
和田高家
■築城年
建武元年(1334年)
■主な遺構
石垣 / 堀
■主な再建造物
天守 / 櫓 / 門
模儀天守
蛸地蔵駅から北東へ進む。突き当たりを左折すると、右手に千亀利公園がある。岸和田古城は岸城とも呼ばれいた。和田氏が居城したことから、岸和田の地名となったと云われている。
[交通]南海電鉄南海本線・蛸地蔵駅-(徒歩/約10分)-千亀利公園
紀伊国・和歌山城(虎伏城 / 竹垣城)
■城の種別
平山城
■築城者
豊臣秀長
■築城年
天正13年(1585年)
■主な遺構
岡口門(重文) / 土塀(重文) / 追廻門 / 西の丸庭園 / 石垣 / 堀
■主な再建造物
大小天守 / 櫓 / 大手門 / 一之橋
復興天守
和歌山市駅より南東へ進む。24号線と合流、南へ進むと左手に和歌山公園がある。標高469mの虎伏山に築城、北部を紀の川流れる。 本丸と二の丸が和歌山公園になっている。本丸の南西部に護國神社がある。元和5年(1619年)徳川家康の十男・頼宣が入城、御三家の紀州徳川家が成立する。
[交通]南海電鉄南海本線 / JR紀勢本線・和歌山市駅-(徒歩/約10分)-和歌山公園
紀伊国・田辺たなべ城(錦水きんすい城 / 湊村城 / 湊城
■城の種別
山城
■築城者
浅野知近
■築城年
慶長11年(1606年)
■主な遺構
石垣 / 水門
石垣 / 水門
JR紀伊本線・紀伊田辺駅から32号線を南西へ進む。20分ほどの裁判所前交差点を右折して北西へ進む。10分足らずの田辺大橋東詰を右折して会津川沿いに北へ進むと、すぐ右手に錦水神社 / 田辺城水門跡 がある。慶長11年(1606年)浅野家家老・浅野知近によって会津川の河口左岸と海に隣接して築かれた。元和元年(1615年)の一国一城令の後は改築して陣屋とされた。元和5年(1619年)紀州徳川家が転封され、付家老の安藤直次が3万石で田辺城主となる。以降は明治時代まで安藤氏が城主を務めた。寛政3年(1791年)大島樫野浦にアメリカ船が来航してから沿岸警備はより厳重になり、田辺城でも大規模な改修が行われた。慶応4年(1868年)16代・安藤直裕のとき、紀伊田辺藩として独立する。明治4年(1871年)廃藩置県に伴い、城郭は破却された。石垣と水門が残る。
[交通]JR紀伊本線・紀伊田辺駅-(約30分)-錦水神社
田辺城水門跡から北へ進む。新会津橋東詰交差点を右折して、29号線を東へ進む。すぐ左手の片町弁慶松跡に、弁慶松記念碑がある。武蔵坊弁慶の誕生を記念して植えられたと云う弁慶松は6代目となり、市庁舎前に植えられている。29号線を東へ道なりに進むと、紀伊田辺駅に至る。白浜銀座足湯横丁には、伝・弁慶産湯の釜がある。
弁慶松記念碑 伝・弁慶産湯の釜
29号線北側の道に、安政4年(1857年)再建の道分け石(みちわけいし)「左 くまの道 右 きみゐ寺」がある。北新町(三栖口)は熊野道の中辺路ルートと大辺路ルートの分岐点になっていた。
道分け石
大和国・大和郡山城(雁陣之城)
■城の種別
平山城
■築城者
筒井順慶
■築城年
天正8 年(1580年)
■主な遺構
石垣 / 堀
■主な再建造物
大手向櫓 / 東櫓 / 大手門

復興大手門

近鉄郡山駅から線路沿いに北へ進む。大和郡山市役所の先にある十字路を左折して踏切を渡ると、大和郡山城址がある。応保2年(1162年)郡山衆が築城したのが始りとも云われている。天正13年(1585年)豊臣秀長入城する。改修にあたり、石地蔵・仏塔・墓石も徴発され石垣として使用される。天守台石垣に、さかさ地蔵などの石仏が見られる。
[交通]近鉄橿原線・近鉄郡山駅-(徒歩/約10分)-大和郡山城址