渡島国・松前城(福山城)
■城の種別
平山城
■築城者
松前慶広
■築城年
慶長5年(1600年)
■主な遺構
本丸御門(重文) / 本丸表御殿玄関 / 石垣 / 土塁 / 堀
寺町御門が阿吽寺山門として現存する。
■主な再建造物
天守 / 搦手門 / 搦手二ノ門 / 天神坂門
松前城復興天守

木古内駅からバスに乗車、松城バス停で下車する。バス停のある228号線を西に進み、すぐのT字路を右折して北へ進む。すぐに435号線(城下通り)に突き当たる。435号線は町屋造り風の建物が連なり、城下町を偲ばせる。突き当り左手角に、松前郵便局がある。風景印は、弁天島 / 松前城本丸御門 / 天守 の図柄になっている。435号線を西に進み、すぐの交差点を右折して北に進むと松前公園がある。
 [交通]北海道新幹線 / 道南いさりび鉄道・木古内駅-(バス/約90分)-松城バス停-(徒歩/約10分)-松前公園

松前郵便局風景印
慶長5年(1600年)から置かれていた陣屋が始まり。ロシア艦隊などが来航する様になり、嘉永2年(1849年)幕府は北方警備のため松前崇広に築城を命じた。本丸から三の丸まで津軽海峡方向に雛壇式に築城、安政元年(1854年)に竣工した。海側からの艦砲射撃に備え、城壁には鉄板が仕込まれていた。天守 / 櫓 / 門 の屋根は、寒さで凍って割れやすい粘土瓦の替わりに銅板葺きになっていた。天守の壁は柱の間に竹で編んだ骨組みに壁土を塗りこむが、砲撃に耐えられるように硬いケヤキ板を使用していた。北海道では唯一の日本式城郭である。明治元年(1868年)榎本武揚を首領とする旧幕府軍は、五稜郭を制圧する。元新選組・土方歳三が率いる軍勢は松前城を攻撃、落城した。明治2年(1869年)蝦夷共和国は降伏、松前城は松前氏の領有となる。
史跡 福山城跡 石柱
搦手二ノ門 搦手門 本丸御門(重文)
明治8年(1875年)天守など本丸の建物を除くほとんどが取り壊された。 松前城の石垣は、松前波止場整備に再利用された。嘉永2年(1849年)建立の天守は昭和24年(1949年)失火により焼失、昭和36年(1961年)鉄筋コンクリート構造で再建された。内部は松前城資料館になっている。
渡島国・五稜郭(柳野城)
■城の種別
平城
■築城者
徳川幕府
■築城年
安政4年(1857年)
五稜郭
江戸時代末期に築城された星形稜堡式の城郭。新撰組副長・土方歳三が戦死した函館戦争の舞台としても知られる。函館戦争は旧幕府軍が明治元年(1868年)10月の蝦夷地上陸から降伏する明治2年(1869年)5月迄、戊辰戦争の新政府軍と旧幕府軍との最後の戦いである。
[交通]函館駅-(市電/約15分)-五稜郭公園前-(徒歩/約15分)-五稜郭
五稜郭駅 五稜郭駅 五稜郭駅
五稜郭タワー