東海道53次 No.43 石部駅-(約9.5km)-草津追分
2010年 6月20日(日)08:30 曇りのち雨
西縄手常夜燈 木製常夜燈 徳生寺

石部駅から南西へ進み、突き当たる東海道を右折する。すぐに西縄手跡で、公園に常夜燈がある。村井川を渡ると、直進する下道と左折して迂回する上道に別れる。下道は天保3年(1683年)野洲川洪水で通行不能になるまでの正式な東海道。上道が正式な東海道になってからも、距離が短い下道は利用されていた。明治になると下道は再び東海道になる。直進して草津線に平行する下道を進む。15分ほどすると上道と合流、右手に木製常夜燈がある。5分ほどすると、左手に宝暦2年(1752年)創建の徳生寺がある。

水路 真教寺 地蔵の祠
岩上神社 長徳寺 従是東膳所領傍示石

徳生寺から10分ほどすると、左手に生活水路がある。造られた年代や現在も使用されているか解らないが、残しておきたい風景である。すぐ左手に真教寺がある。次の小道を左折する.。左側の灯籠脇に地蔵の祠、直進すると岩上神社がある。東海道に戻り10分ほどすると、右手に永正16年(1519年)創建の長徳寺がある。境内手前に、薬師如来堂や従是東膳所領傍示石がある。

新善光寺道道標 法界寺 浄玖寺
福正寺 和中散本舗 一里塚跡
長徳寺から10分ほどすると、右手に新善光寺道道標がある。新善光寺は、草津線を越えたところにある。本尊は室町時代作の阿弥陀如来立像(重文)。六地蔵に入ると、右手に法界寺がある。岩上神社南の日向山山麓にあった陀羅尼寺の六躯の地蔵が、地名の由来になっている。法界寺の本尊は、六躯の地蔵の一躯であると云われる木造地蔵(重文)である。5分ほどすると左手に天正13年(1585年)創建の浄玖寺、右手に福正寺と続く。右へカーブする左手に、和中散本舗がある。元禄時代初期の建築である本屋 / 書院 / 隠居所は、重文になっている。さらに5分ほどすると左手に、六地蔵一里塚跡がある。六地蔵地区は本日が町内の清掃日になっており、いたるところで掃除が行われていた。
地蔵の祠 高念寺 光円寺
西厳寺 古民家 地蔵の祠

一里塚跡のすぐ左手に地蔵の祠、5分ほどすると左手に高念寺がある。さらに5分ほどすると、右手に明応2年(1493年)創建の光円寺 / 右手に天和3年(1683年)創建の西厳寺と続く。高架の道路を潜ると、左手に地蔵の祠がある。

里中稲荷神社 すずめ茶屋跡 足利義尚鈎陣所跡
上鈎池 善性寺 目川地蔵院
地蔵の祠から5分ほどすると、左手に寛元3年(1249年)創建の里中稲荷神社がある。10分ほどすると右手にすずめ茶屋跡がある。すぐ左手に木製常夜燈と花時計が見える公園がある。足利義尚鈎陣所跡で、土手を登ると上鈎池がある。天井川になっている葉山川を、坂を登って渡る。5分ほどすると、左手に慶安2年(1649年)創建の善性寺がある。シーボルトが江戸からの帰途、立ち寄った寺である。天井川になっている金勝川の土手に突き当り、右折すると右手に天文13年(1544年)創建の目川地蔵院がある。
一里塚跡 専光寺 田楽発祥の地石柱と従是西膳一領傍示石
乗円寺 従是東膳一領傍示石 老牛馬養生所跡
目川地蔵院から5分ほどすると、右手に目川一里塚跡 / 右手に専光寺 / 右手に田楽発祥の地石柱と従是西膳一領傍示石 / 左手に天和元年(1681年)創建の乗円寺と続く。東海道新幹線を潜ると、右手に従是東膳一領傍示石がある。5分ほどすると、右手に老牛馬養生所跡 / 左手に地蔵の祠 / 右手に高札場跡 と続く。すぐに東海道は左へ進み坂を登る。
地蔵の祠 高札場跡
左へ進まずに直進すると左手に草津宿への道標があり、紛らわしい。ただし明治19年(1886年)旧草津川隧道(トンネル)ができると、東海道と中山道の分岐点は草津追分から覚善寺南西角に移っている。草津川隧道を通り、草津宿に通じていた。明治19年(1886年)以降の東海道と考えれば、間違いではない。反対側、右手に地蔵の祠がある。
道標 地蔵の祠
高野地蔵堂
草津橋より草津宿への坂 常夜燈
左へ進み土手に登ると、すぐにY字路がある。旧東海道は右へ進むが、行き止まりになっている。Y字路を草津川に沿いに左へ進み、すぐに左折して草津川を草津川橋で渡る。旧東海道は行き止まりのところから回り込む様に繋がり、草津川を歩いて渡っていた。草津川は元文年間(1736年〜1741年)には天井川になっていたと云われている。草津川橋を渡り坂を下る坂の右手に高野地蔵堂 / 左手に文化13年(1816年)造立の道標を兼ねた常夜燈 と続く。道を挟んだ草津川川岸の土手から移築されたもの。東海道と金勝道の分岐点にあり、「左 東海道いせ道 」「右 金勝寺志がらき道」と彫られている。 
東海道53次 52番 草津(くさつ)宿
所在地:滋賀県草津市
天保14年(1843年)中山道宿村大概帳
人口:2351人 家数:586 / 本陣:2 脇本陣:2 旅籠:72 問屋場:1
宿の歴史は古く、平安時代からあった。江戸時代には江戸から68番目の中山道と52番目の東海道の宿として、両街道が合流・分岐する交通の要衝として栄えた。東海道は草津川を渡って出入りするが、草津川は通常は水がなく橋は架けられていなかった。中山道は明治19年(1886年)旧草津川隧道が開通するまでは、天井川の草津川を越えていた。江戸 / 京 / 大阪との人や物の往来とともに情報や文化が集まり、すぐれた街道文化が育まれた。草津名物として「うばがもち」がある。草津宿には72軒もの旅籠があった。
常夜燈から5分ほどすると、右手に地蔵堂がある。
古民家 地蔵堂
道標を兼ねた常夜燈 草津川隧道 高札場
延命地蔵  マンホール
草津町道路元標 書状集箱 オブジェ
地蔵堂からすぐの草津追分で、中山道と合流する。右手の高台に文化13年(1816年)造立の道標を兼ねた常夜燈 / 草津川隧道(トンネル) がある。道標を兼ねた常夜燈には、「左 中仙道 美のじ」「右 東海道 いせみち」と彫られている。突き当りに右手に高札場と延命地蔵 / 合流する路面にカラフルなマンホールがある。左折すると左手角の草津公民館前に、草津町道路元標 / 明治4年(1871年)当時に復元された書状集箱(現役の郵便ポスト) / 「近江路や秋のくさつはなのみして 花咲くのべぞ何處ともなき」尭孝法師句碑 / 旅人が行き交う時間を表現したオブジェ がある。
草津追分から右折して草津川隧道を通り、5分ほどの交差点を左折すると、突き当りにJR東海道本線 / JR草津線・草津駅がある。
草津追分の画像は、2013年2月と4月撮影したもの。