東海道53次 No.39 井田川駅-(約11km)-関駅
2010年 4月25日(日)09:30 晴
井田川駅から南西へ進むとすぐ右手に、門柱を利用した旧井田川小学校跡碑 / 二宮金次郎像 がある。道路には、亀山城多聞櫓を描いたタイルが埋め込まれている。道なりに10分ほど進むと1号線と交差、川合歩道橋を渡る。歩道橋には、亀とローソクが描かれたタイルがある。昭和2年(1927年)創業の谷川蝋燭製造所(現:カメヤマ株式会社)は、亀山ローソクとして知られている。
旧井田川小学校跡 亀山城多聞櫓タイル
亀とローソクのタイル
西信寺 谷口法悦供養塔 和田道標
三宮神社 古民家 和田町公民館
福善寺 石上寺 和田一里塚

川合歩道橋を渡り5分ほですると、道標があり左折する。すぐ右手に西信寺がある。椋川を川合椋川橋で渡り1号線を潜ると、右手に谷口法悦供養塔がある。5分ほどすると、左手に元禄3年(1690年)造立の和田道標がある。「従是 神戸 白子 若松道」と彫られている。すぐに道標があり右折すると、左手に三宮神社がある。さらに5分ほどすると右手に、和田町公民館や火の見やぐらがある。すぐ右手に、石上寺の寺坊として創建された福善寺がある。さらに5分ほどすると、右手に石上寺がある。延暦15年(796年)創建の新熊野(いまくまの)神社の神宮寺として創建される。10分ほどすると、右手に復元された和田一里塚がある。15分ほどすると、右手に能褒野神社鳥居二之鳥居 / 右手に露心庵跡と続く。

東海道53次 46番 亀山宿
所在地:三重県亀山市
天保14年(1843年)資料
人口:1549人 家数:567 本陣:1 脇本陣:1 旅籠:21 問屋場:1
町並み 岩森稲荷神社 法因寺
福泉寺 遍照寺 誓昌寺
露心庵跡から5分ほどすると、巡見道が右へ分岐する。江戸時代に巡見使が通った道で、菰野〜濃州道〜中山道に至る。町並みに櫓らしき建物が見えて来る。亀山城の移築ではなく、呉服店である。巡見道分岐から10分ほどすると、右手に岩森稲荷神社がある。T字路を右折して商店街のアーケードを進み、すぐに右折する。左手に法因寺、右手に福泉寺がある。福泉寺の山門は寛政7年(1795年)築である。商店街のアーケードに戻り、交番のある交差点を左折する。道路が黄土色に色づけされている。すぐ左手に遍照寺がある。鐘楼門を潜り急な坂を下ると、右手に本堂がある。本堂は、亀山城二之丸御殿の玄関と式台の一部を移築している。左手に無縁仏がうず高く積まれている。東海道に戻ると、すぐ左手に誓昌寺がある。
[寄り道]亀山城
亀山城多聞櫓 大久保神官邸宅門 亀山神社
誓昌寺から5分ほどすると302号線と交差する。右折して坂を登ると、左手に正保年間(1644年〜1648年)築の亀山城多聞櫓が見えて来る。亀山城は文永2年(1265年)関実忠によって築城された平山城である。城跡には、移築された江戸時代建立の大久保神官邸宅門や文永2年(1265年)創建と云われる亀山神社がある。
急坂 梅厳寺 照光寺
光明寺
慈恩寺 野村一里塚
東海道に戻り西へ、急坂を登り道なりに右へ進む。10分ほどすると、右手に京口門跡の案内板 / 梅厳寺と続く。坂を下り竜川を京口坂橋で渡ると、すぐ右手に照光寺がある。5分ほどすると右手に光明寺、さらに5分ほどすると左手に慈恩寺がある。 慈恩寺は、忍山神宮の神宮寺として奈良時代に創建されたと云われている。本尊の阿弥陀如来立像(重文)は、薬師如来を改作されたと云われている。10分ほどすると、右手に樹齢300年を超える大椋が見事な野村一里塚がある。椋の一里塚は、全国でもここだけである。
古民家 布気神社 落針観音堂
常夜燈 清福寺 小萬のもたれ松
野村一縷塚から20分ほどすると、道標があり右折する。すぐ左手に延喜式内社の布気神社がある。10分ほどすると左手に落針観音堂 / 左手に安政6年(1859年)造立の常夜燈 / 左手に清福寺と続く。すぐに道標があり左へ進む。565号線と関西本線を越える手前で、昼食を摂る。広重の画が描かれている25号線高架下を潜ると、のどかな道が続く。関西本線の踏切を渡り、突き当たる1号線を左折する。すぐに右方向へ分岐する道を進むと、左手に小萬のもたれ松がある。仇討ち修行のため亀山に通う小萬が、たまむれかかる若者を避けるために隠れた松があったところと云われている。
東海道53次 47番 関宿
所在地:三重県亀山市
天保14年(1843年)資料
人口:1942人 家数:632 本陣:2 脇本陣:2 旅籠:42 問屋場:1
常夜燈 伊勢神宮の鳥居 町並み
宝林寺 弘善寺石柱 町並み
川北本陣跡 関の戸本舗 高札場
福蔵寺 町並み 地蔵院

小萬のもたれ松から10分ほどすると、左手に享保14年(1732年)造立の常夜燈や伊勢神宮の鳥居がある。東の追分で、伊勢別街道の分岐点になっている。日永の追分からの伊勢街道と、津の江戸橋で合流する。東追分から西追分間の約1.8kmは、建造物群保存地区になっている。5分ほどすると右手に宝林寺、さらに5分ほどすると右手に弘善寺の石柱がある。10分ほどすると右手に川北本陣跡 / 右手に復元された高札場 / 右手に福蔵寺と続く。福蔵寺は尾張内海で自刀した織田信長の三男信孝の菩提寺、本懐を遂げた小萬の墓もある。すぐ左手に天平13年(741年)創建と云われる地蔵院がある。本尊の木造地蔵は、日本最古の地蔵である。元禄12年(1699年)に建立された本堂 / 愛染堂 / 鐘楼は、重文に指定されている。川北本陣跡の東にある十字路まで戻り、右折して南へ進むと関駅に至る。