東海道53次 No.35 鳴海駅-(8km)-宮の渡し公園
2010年 2月28日(日)09:00 雨のち晴れ
浅間社 如意寺 丹下町常夜燈
鳴海駅から西へ、右折するとすぐ右手に浅間社がある。浅間橋を渡り、本町交差点を左折して東海道を西へ進む。5分ほどすると、右手に康平2年(1059年)創建の如意寺がある。作町交差点を道なりに北へ進む。しばらくすると、右手に寛政4年(1792年)造立の丹下町常夜燈がある。鳴海宿の西入口になっていた。
光明寺 光明寺西国三十三観音 光明寺気根が下がる木
鉾ノ木貝塚案内板 東海道・知多郡道道標 いぼ地蔵
笠覆寺
笠寺一里塚 笠覆寺
笠覆寺多宝塔 西方院 西方院明王堂

丹下町常夜燈のすぐ右手に光明寺がある。西国三十三観音の石仏群や気根が下がる木がある。10分ほどすると、右手に縄文時代早期から前期にかけての鉾ノ木貝塚がある。三王山交差点から西へ進み、天白橋を渡る。しばらくすると左手に東海道と知多郡道の道標、自転車屋の隅にいぼ地蔵と続く。すぐ右手に名古屋市内に残るも唯一の一里塚、笠寺一里塚がある。左側の塚は大正時代に取り壊されている。15分ほどすると、右手に天平8年(736年)創建の笠覆寺(笠寺観音)がある。境内左手に正保年間(1644年〜1647年)築の多宝塔がある。名古屋二十一大師16番札所 / 名古屋四国八十八ヶ所43番札所 / 尾張四国八十八ヶ所1番札所 / 東海三十六不動15番札所 / なごや七福神(恵比寿)となっている。東海道が笠覆寺に沿ってカーブする左手に、笠寺12坊の西方院がある。東海道に面したところに西方院明王堂があり、烏瑟沙摩(うすさま)明王像は、木曽義仲の母が持ち歩いていたもの。義仲を無事安産できたことから、婦人病や安産にご利益があると云われている。

清水稲荷神社 長楽寺太子堂 長楽寺石仏
長楽寺不動明王 地蔵院 熊野三社
法泉寺 秋葉神社 地蔵
東海道分岐(右:東海道) 神明社 名鉄ガード下

左折して笠寺商店街を進む。名鉄の線路を渡りすぐに右折、道なりに北へ進む。しばらくすると右手に昭和37年(1962年)創建の玉泉寺、5分ほどすると、左手に弘仁12年(811年)創建の長楽寺と清水稲荷神社がある。清水稲荷神社の参道を進むと、左右にモアイの様な石仏や 太子堂がある。拝殿の左手に不動明王などの石仏群がある。寺院に稲荷社はどこでも見受けられるが、清水稲荷神社が立派なため神仏習合が残る雰囲気になっている。北側に長楽寺の本堂がある。20分ほどすると、右手に地蔵院(湯谷地蔵)がある。5分ほどすると右手に熊野三社、さらに5分ほどすると右手に法泉寺がある。山崎川を山崎橋を渡り川沿いに左折すると、左手に秋葉神社がある。30分ほどすると左手に地蔵の祠がある。内浜交差点の先を左へ進む。Y字路を道なりに直進すると、熱田橋に至る。本来の東海道は右へ進む。新堀川に突き当り、左折すると熱田橋がある。熱田橋を渡った右手に神明社がある。名鉄ガードが見え、本来の東海道は左へ進む。曲尺手(枡形)になっていたところであるが途切れており、直進する。

東海道53次 41番 宮宿
所在地:愛知県名古屋市
天保14年(1843年)資料
人口:10342人 家数:2924 本陣:2 脇本陣:1 旅籠:248 問屋場:1
姥堂 裁断橋 鈴之御前社
225号線で分断された東海道 ほうろく地蔵 247号線で分断された東海道
宮宿本陣跡 宝勝院 烏枢沙摩明王堂

名鉄ガード下から5分ほどで、左手に延文3年(1358年)創建と云われる姥堂(おんばどう)がある。入口に3分の1に縮小された裁断橋がある。古い資料にある堂と裁断橋は趣きがあるが、現在はビルになっている。裁断橋は姥堂の東に流れていた精進川に架けられていが、精進川は大正15年(1926年)に埋め立てられる。すぐ左手に、熱田神宮境外末社の鈴之御前社がある。東海道を往来する旅人が熱田に参拝する時は、鈴之御前社で鈴のお祓いを受けて身を清めてから参拝する事になっていた。5分ほどすると225号線と交差する。分断されており、北側の伝馬町交差点から迂回する。反対側に見えるアーチにも、旧東海道の文字が見える。さらに5分ほどすると突き当たりのT字路に、ほうろく地蔵がある。T字路を左折したところが熱田伝馬町の西端になり、江戸時代は東海道と美濃路(佐屋路)の分岐点であった。247号線と斜めに交差する。ここも分断されており、南側にある細長い歩道橋を渡る。すぐに右折すると、左手に宮宿(熱田宿)本陣跡説明板がある。東海道に戻り南へ進むと右手に宝勝院がある。本尊の阿弥陀如来立像(重文)は鎌倉時代の寄木造りである。左手に烏枢沙摩(うすさま)明王堂がある。烏枢沙摩明王は“すべての不浄や悪を焼きつくす仏”から、便所を守る仏ともされている。

時の鐘
旅籠屋伊勢久(現丹羽家) 熱田湊常夜燈

すぐに宮の渡し公園になっている宮の渡し場跡に着く。熱田・桑名間は東海道唯一の海上路で、宮宿は尾張藩海の玄関として栄える。時の鐘は昭和58年(1983年)に復元されたもので、江戸時代当時のものは熱田神宮南門近くにある蔵福寺に保存されている。熱田湊常夜燈は、昭和30年(1955年)に復元されたものである。寛永2年(1625年)聖徳寺の横に造立されるが、嵐によって損壊する。承応3年(1654年)に現在地に再建されるが、寛政3年(1791年)火事で焼失する。すぐに再建されるが、時代の流れとともに荒廃する。承応3年(1654年)から明治24年(1891年)までは、宝勝院が管理していた。慶安4年(1651年)由井正雪の乱を機に18時から6時まで航行が禁止され、その間点灯されていた。現在宮の渡し場は、堀川を航行する屋台船の乗り場となっている。宮の渡し公園の北側に、天保12年(1841年)の“尾張名所図会・七里渡船着”に描かれている旅籠屋伊勢久(現丹羽家)がある。

寄り道[熱田神宮界隈]
海国寺 蔵福寺多賀殿 正覚寺
円通寺本堂 円通寺秋葉三尺坊 熱田神宮拝殿
熱田神宮梅 熱田神宮信長塀 熱田神宮五平餅塀
きよめ餅本店 きよめ餅
伝馬町交差点を渡り左折して西へ、2本目を右折すると右手に海国寺がある。1号線に戻り西へ、熱田神宮南交差点の1本手前を右折すると左手に蔵福寺がある。名古屋七福神(恵比寿)になっている。江戸時代当時の時の鐘が保存されている。1号線に戻り伝馬町交差点を越えて東へ進むと、名鉄のガード手前の左手に正覚寺がある。名古屋四国47番 / 阿弥陀願所48番になっている。伝馬町交差点まで戻り右折して北へ進むと、左手に円通寺がある。熱田の神宮寺として創建される。秋葉三尺坊があり、火防災除の寺にもなっている。北側に広大な、景行天皇43年(113年)創建と云われる熱田神宮がある。三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)は、壇ノ浦の戦いで遺失したとも云われている。永禄3年(1560年)桶狭間の戦い前に、織田信長が戦勝祈願を行っている。勝利した御礼として築いたとされる塀(信長塀)の一部が現存する。神宮東門交差点を渡ると、きよめ餅本店がある。