東海道53次 No.30 JR二川駅-(約20km)-名鉄・国府こう)
2009年12月 5日(土)08:30 曇のち雨
道標 清晨寺 古民家
悟慶院別院 古民家 古民家

二川駅から西へ進むと、左手に明治33年(1900年)造立の道標がある。正面に“伊良湖阿志両神社道” /左側面に“左 渥美奥郡道” / 右側面に“右 東海道豊橋1里半”と彫られている。豊橋は江戸時代に吉田と呼ばれていたが、明治2年に改称されている。火打坂交差点の手前で進路が北へ変わり、火打坂交差点を直進する。なだらかな火打坂は、斜め方向の道が寸断されている。途中で左折しなければならないが、特に道標などはない。迷っていると、地元の方が声をかけて教えてくれる。左折して西へ進むと、右手に永禄11年(1568年)創建の清晨(せいしん寺がある。10分ほどすると、右手に柵に囲まれた享保8年(1723年)創建の智光院(現在は悟慶院別院)がある。しばらく進むと1号線に合流する。 

寿泉寺 願成寺
秋葉神社 東惣門模型 東海道標識

1号線をしばらく進む。502号線との交差点の北東側に、山門と三重塔が目立つ寿泉寺がある。5分ほどで右手に大永2年(1522年)創建の願成寺、さらに5分ほどで右手に秋葉神社がある。豊橋鉄道の路面電車が走る東八町交差点を、歩道橋で西へ渡る。歩道橋を降りたところに、東惣門の模型がある。東惣門は鍛冶町の東側に位置する下モ町の吉田城惣堀西で、東海道にまたがって南向きに建てられていた。門の奥に“八町もちや”があり、鬼まんじゅうを食べる。ここから先は、豊川に架かる豊橋を渡るまで数回曲がる。ところどころに東海道と書かれた標識があり、見落とさなければ迷うことはない。

東海道53次 34番 吉田宿
所在地:愛知県豊橋市
天保14年(1843年)資料
人口:5277人 家数:1293 本陣:2 脇本陣:1 旅籠:65 問屋場:1
造立稲荷神社 古民家 道標と吉田宿石柱
路面電車 築嶋弁天堂 湊神明社

東惣門模型から南へ進む。すぐに右折さらに左折すると、右手に造立稲荷神社がある。そのまま直進して南に向かい、すぐに右折して西へ進む。曲手町で交差する道路の中央分離帯に、道標と吉田宿石柱がある。豊橋鉄道の路面電車が走る1号線を渡る。札木停留所〜東八町停留所間は、現存する路面電車が唯一国道1号線を走行している区間である。豊川に平行する道を進むと、右手に築嶋弁天堂と左隣に白鳳年間(661年〜685年)創建と云われる湊神明社がある。

[寄り道吉田城
豊橋市公会堂
吉田城鉄櫓 吉田城鉄櫓
東八町交差点から路面電車が走る西方向へ進むと、右手に昭和6年(1931年)に建てられたロマネスク様式の豊橋市公会堂が見えてくる。北側の豊橋公園は吉田城址で、豊川に面したところに昭和29年(1954年)に復興された鉄櫓(くろがねやぐら)がある。吉田城は永正2年(1505年)牧野古白が今川氏親の命により築城したと云われている。西八町交差点を右折して1号線を北へ進み、吉田大橋を渡る。対岸を豊川沿いに東へ進むと、鉄櫓が正面に見える。
豊川稲荷謡拝所 真光寺 聖眼寺

船町交差点を右折、地名の由来となった豊橋を渡る。江戸時代には70mほど下流に架っていた。とよばし北交差点を左折して豊川に平行して進むと、右手に豊川稲荷謡拝所 / 真光寺 / 平安時代創建の聖眼寺と続く。

古民家 古民家 秋葉神社
子だが橋の碑 菟足神社 古民家
飯田線踏切 天神社 古民家

古い街並みが続き、うどん屋で昼食を摂る。左手に秋葉神社、しばらくすると豊橋魚市場がある。豊川放水路を渡り坂を下ると、右手に子だが橋の碑がある。菟足(うたり)神社の大祭にまつわる伝説がある。10分ほどで右手に雄略天皇の頃(456年〜479年)創建の菟足神社がある。JR飯田線の踏切を渡る。踏切手前の小道を右折して南西側の踏切を渡ると、右手に天神社がある。

伊奈村立場茶屋跡 迦具土神社 速須佐之男神社
JR飯田線の踏切から30分ほどで、左手に伊奈村立場茶屋跡がある。吉田宿と御油宿の中間にあたり、立場茶屋が設けられていたところである。案内板 / 芭蕉句碑 / 鳥巣句碑がある。すぐ右手に慶応元年(1865年)創建の迦具土神社がある。伊奈一里塚跡を過ぎると、右手に速須佐之男神社がある。
長屋門 交番 半僧坊大権現の祠
秋葉山常夜燈 二子寺薬師堂 古民家

しばらくすると、左手に長屋門がある。東海道は31号線と交差するが、高架の工事中で大きく左を迂回する。1号線に合流、名鉄・名古屋本線を陸橋で越える。三本目の道の角に交番があり、左斜めに進む。すぐ右手に半僧坊大権現の祠 / 寛政12年(1800年)秋葉山常夜 / 二子寺薬師堂と続く。新栄町交差点を右折、1号線を越えると名鉄・国府駅へ至る。