東海道53次 No.19 静岡駅-(約8km)-丸子橋入口
2009年 6月28日(日)10:00 雨
2013年 9月 1日(日) 曇 安部川駅〜丸子宿〜丸子城
二の丸巽櫓 / 東御門 東御門の高羅門 東御門の櫓門
大歳御祖神社 八千弋神社 神部神社・浅間神社
前日静岡に宿泊、早朝に駿府城公園を散策する。駿府公城園の南西側にある中町交差点から、浅間通りを北西に進む。早朝のために店は開いていないが、商店街となっている参道はかなりの距離がある。正面に大歳御祖神社、境内を北に進むと八千弋神社 / 神部神社 / 浅間神社 などがある。
駿府城公園の画像は、2022年1月撮影と入れ替えています。
静岡駅 札之辻跡 安部川橋 高林寺 水神社 丸子橋 丸子橋入口
札之辻跡 津島神社 秋葉神社
駿河伏見神社 法栄寺 安倍川架橋の碑
由比正雪墓碑 石部屋 安倍川義夫の碑
静岡駅より呉服町通りを北西へ、七間町通りを左折する。七間町通りの西側に札之辻跡の石柱がある。362号線を越えすぐ右折する。さらに新通りを左折すると、左手の角に津島神社がある。新通りの西側を208号線(本通り)が並行している。10分ほどで左手に秋葉神社、すぐ左手に駿河伏見神社がある。次の十字路を左折すると、左手に法栄寺がある。新通りを進むと、208号線(本通り)と合流する。三角地帯に、安倍川架橋の碑と由比正雪墓碑がある。安倍川架橋の碑は、明治7年(1874年)に私財を投じて建設された安倍川橋架橋の顛末を後世に伝えるために建てられたもの。左手に文化元年(1804年)創業の安部川餅の石部屋(せきべや)があり、休憩する。安部川餅店は、安部川橋までに合計3店舗ある。左手に正直な川越人夫の顕彰碑である安倍川義夫の碑がある。
全長490mの安部川橋を渡る。渡り終えると交差点があり、次に左手から鋭角に川から延びる道がある。橋が架る前の旧東海道である。
安部川橋
高林寺 高林寺・子育地蔵 泉秀寺
泉秀寺・延命地蔵 松の大木 丸子宿道標
安部川橋を渡り終えると、すぐ左手に高林寺 / 境内に駿河一国百地蔵5番の子育地蔵がある。すぐ右手に泉秀寺 / 境内に駿河一国百地蔵7番の延命地蔵がある。5分ほどすると左側に松の大木が4本並び、208号線は手越原交差点で1号線と合流する。次の佐渡交差点を左へ進む。すぐ左手に丸子(まりこ)宿道標 / 右手に駿河一国百地蔵10番の子授地蔵堂がある。
子授地蔵堂
一里塚跡 古民家 水神社
5分ほどすると、208号線は交差点で大きく右に曲がる。10分ほどすると、右手に一里塚跡がある。さらに5分ほどすると、左手に水神社 / 丸子宿道標 がある。
*この区間は2013年に歩いたところ。
 水神社  丸子宿道標
[迷い道]最古の東海道
地蔵堂 庚申塔 文殊堂
2009年に歩いたとき、誤って進んだ道である。208号線が交差点で大きく右に曲がるところを直進している。東西に繋がる道路に斜めに合流する様になっているところで、細かな道が多く交差している。旧東海道らしい道を南へ進むと、すぐに丸子川に突き当る。右折して川沿いの遊歩道を南西へ進む。10分ほどすると、右手に駿河一国百地蔵11番の地蔵堂 / 傍に庚申塔が3基並んでいる。5分ほどすると対岸に文殊堂が見えるが、近くに橋はない。最古の東海道と書かれた道標があり、旧東海道でないことに気付く。
東海道道標
谷津神社鳥居 拝殿 稲生神社本殿 / 谷津神社本殿
5分ほどすると対岸に丸子谷津神社がある。拝殿の後ろに、稲生神社と谷津神社の本殿が並んでいる。拝殿左手の鉄の階段上に、津島神社がある。谷津神社側を北西に進む。すぐに行き止まりとなり、引き返して遊歩道を進む。すぐ右手に水神社がある。鳥居から階段を下ると旧東海道と合流する。丸子川沿いにかなり遠回りしているが、こちらの方が旧道の雰囲気がある。
津島神社  水神社
 丸子宿道標 脇本陣跡
問屋場跡 古民家 本陣跡
脇本陣跡 古民家 鞠児學校跡
水神社 / 丸子宿道標からすぐの左手に祠 / 左手に丸子宿道標 / 左手に脇本陣跡 / 右手に問屋場跡 / 右手に本陣跡 / 右手に脇本陣跡 / 左手に鞠児学校跡 / 右手にお七里役所跡と続く。丸子宿道標は2009年に歩いたときにはなかったもので、ところどころで見かける。鞠児學校跡は現在の静岡市立長田西小学校で、明治8年(1875年)から明治20年(1887年)までここにあった。お七里役所は、 寛政年間(1789年〜1801年)紀州徳川家・徳川頼宣によって設けられた中継ぎ役所。江戸屋敷と領国間の七里間隔の宿場に、連絡機関として設けられた。この役所を「紀州お七里役所」と呼び、五人一組の飛脚を配置した。
お七里役所
     
 芭蕉句碑 岡本かの子・東海道五三次  十返舎一九・東海道中膝栗毛
丁子屋看板(2009年) 丁子屋 丁子屋とろろ汁
お七里役所跡からすぐの右手に、丁子屋がある。水神社から丁子屋まで、10分ほどの距離である。敷地の右側に、芭蕉句碑「梅わかな丸子の宿のとろろ汁」/ 岡本かの子・東海道五三次 / 十返舎一九・東海道中膝栗毛「けんくはする夫婦は口をとがらして鳶とろゝにすべりこそすれ」がある。岡本かの子は、大正・昭和期の小説家 / 歌人 / 仏教研究家。漫画家・岡本一平と結婚、芸術家・岡本太郎の母。店入口に、素直に“まりこ”と読める“鞠子宿”表記の丁子屋看板がある。2009年には渋い看板であったが、2013年には真新しい看板に替わっていた。2009年に丁子屋で昼食を摂っている。
丸子宿道標 丸子橋 馬頭供養塔 / 地蔵の祠
旧東海道は、丁子屋から左折して丸子橋を渡る。手前左手に丸子宿道標 / 手前右手に細川幽斎歌碑 / 右手に小さな馬頭供養塔と地蔵の祠 と続く。馬頭供養塔と祠の手前を右折して小路を進むと、すぐ左手に駿河一国百地蔵13番のいざり地蔵がある。すぐの1号線に丸子橋入口バス停があり、バスで静岡駅に向かう。
いざり地蔵
[寄り道]丸子城
不明の石塔 津島神社 丸子稲荷神社奥宮
誓願寺山門
本丸跡 誓願寺本堂

馬頭供養塔と祠から丸子川沿いに北西へ進む。すぐ右手に不明の石塔がある。すぐのY字路を左へ、1号線を歩道橋で越える。右手に吐月峰入口バス停(静岡方面)がある。1号線を西へ進み、すぐの駿府匠宿入口交差点を右折する。すぐ左手の津島神社に丸子城案内板がある。5分ほどすると丸子城入口標識があり、左折して険しい山道を登る。15分ほどすると、丸子稲荷神社奥宮と丸子城案内板がある。土橋跡〜大手曲輪跡〜北曲輪跡〜二の曲輪跡〜堀切〜枡形虎口跡〜一の曲輪跡〜本丸跡 と進む。歴史的に北城と南城に分けられ、北城は応永年間(1394年〜1427年)に駿河国守護・今川家の家臣・斎藤安元によって築城された。宇津谷城 / 鞠子城 の別名がある。南城は、今川氏親が文明年間(1469年〜1488年)の終わり頃に城域を拡大した。三角(みかど)城 / 赤目ヶ谷砦の別名がある。南城本丸から北城主郭間の西側斜面には、南北に長大な空堀が設けられている。今川義忠が文明8年(1476年)に戦死、家督争いが起きる。その際、龍王丸(後の今川氏親)は丸子城で暮らしていた。永禄11年(1568年)武田信玄が駿河に侵攻、丸子城を掌握する。天正9年(1581年)高天神城落城前に、放棄される。以降は徳川家康に属したが、天正18年(1590年)の関東移封に伴い廃城となった。本丸跡から急坂を下ると、建久年間(1190年〜1199年)源頼朝によって創建された誓願寺がある。天文年間(1532年〜1555年)戦火により類焼したが、永禄11年(1568年)武田信玄により再建された。大阪冬の陣の発端となった事件を家康公に弁明した豊臣家の家臣、片桐且元の墓がある。

誓願寺から5分ほどの1号線に、二軒家バス停(静岡方面)がある。途中、右手に堂 / 左手に庚申塔 が2基ある。
庚申塔