東海道53次 No.14 箱根湯本駅駅-(約10km)-元箱根
2009年 3月29日(日)10:00 晴
三枚橋から箱根湯本駅方向を望む 白山神社
箱根湯本駅より1号線を東へ、三枚橋から東海道を進む。三枚橋から箱根峠までの上り坂を箱根東坂、箱根峠から三島宿までの下り坂を箱根西坂と云う。三枚橋から右手にある小さな祠を過ぎると、旧東海道は急な坂道となる。両側にあるのが箱根湯本温泉街である。左手に湯本温泉の鎮守である白山神社がある。
早雲寺本堂 早雲寺 北条氏五代の墓
白山神社から右手の道を進むと、境内の桜が満開の早雲寺がある。伊勢盛時(北条早雲)は永正16年(1519年)韮山で死去、真覚寺に葬られた。真覚寺は早雲寺に改称された。伊勢氏綱が北条氏を名乗るのは、大永3年(1523年)または大永4年(1524年)からである。天正18年(1590年)小田原征伐のとき、豊臣秀吉軍の本営が置かれる。石垣山城が完成すると、焼き払われた。寛永4年(1627年)再建される。早雲寺境内にある北条五代の墓は、寛文12年(1672年)狭山藩北条家5代当主・北条氏治が造立した供養塔である。狭山藩北条家は、3代・北条氏康の四男・北条氏規の子孫である。
2代・北条氏綱は天文10年(1541年)死去、かつての広大な旧早雲寺境内の春松院に葬られた。場所は解っていない。3代・北条氏康は元亀2年(1571年)死去、旧早雲寺境内の大聖院に葬られた。場所は解っていない。4代・北条氏政は天正18年(1590年)豊臣秀吉に切腹を命じられ、早雲寺の末寺・伝心庵に葬られた。 5代・北条氏直は天正19年(1591年)大坂で死去、広島市西区田方の海蔵寺に墓がある。
小さな祠や宝塔の一部など 正願寺
正願寺 茶屋案内板のところにある祠 双体道祖神
霊泉の滝 鎖雲寺 鎖雲寺初花堂
早雲寺の山門を出て右へ進むと、突き当りにある桜が満開になっていた。左折して東海道に出ると、駐車場の奥に満開の大きな桜の木が2本ある。電柱や電線が邪魔をしている。右折して東海道を進むと、右手に祠や宝塔の一部などがまとめて積み上げられている。左手に曽我兄弟の伝説を伝える正願寺があり、境内左手に顔の大きい地蔵がある。右手に茶屋案内板と小さな祠がある。右手に見える温泉を掘削したと思われる鉄塔を過ぎると、左手に双体道祖神がある。県道から下ると約255mに亘って猿沢石畳がある。葛原(くずはら)坂の案内板があり、さらに進むと勝五郎の妻・初花が水垢離をとったと云われる “初花の瀑”の碑がある。駒形神社の鳥居があり、さらに進むと霊泉の滝がある。右の石段を登ると、早雲寺の山内から移された鎖雲寺(さうんじ)がある。“箱根霊験記”で知られる勝五郎と初花の墓がある。境内で昼食を摂る。
割石坂石畳道 道祖神 茗荷屋本陣跡
守源寺 畑宿一里塚 畑宿一里塚
須雲川に架かる須雲橋の手前左手に須雲川自然探勝歩道がある。入口の道標に畑宿まで1,700m、元箱根まで6,200mとある。須雲橋を渡り、登る急坂が“女転し坂”である。“女転しの坂”の案内板によると、馬に乗った婦人が落馬して亡くなったために呼ばれるようになったと云われる。割石坂石畳道には“これより江戸時代の石畳”の標識があり、それ以外の部分と区別されている。畑宿まで0,9kmの道標があり、箱根路の変遷が記された案内板がある。接待茶屋の案内板から畑宿まで0.7kmになる。畑宿に入ると左手に道祖神がある。畑宿は寄木(よせぎ)細工が生まれ育ったところで、記録によると小田原北条時代になると云われる。右手に畑宿寄木会館、茗荷屋本陣跡と続く。畑宿の鎮守・駒形神社、さらに進むと左手に箱根七福神(大黒天)の守源寺がある。左手の道が東海道で、直ぐに復元された畑宿一里塚がある。
西海子坂 斜め排水路説明板 石畳の構造説明板
西海子坂には、“斜め排水路説明板”や“石畳の構造説明板”がある。西海子坂を登り切ると、732号線の箱根七曲りを突っ切る形になる。かつての急坂は殆ど崩れ落ち、階段となっている。
橿木坂分岐 須雲川自然探勝歩道 猿滑坂
橿木(かしのき)坂の階段を登ると、橿木坂分岐がある。左の須雲川自然探勝歩道へ進む。元箱根までは3kmである。平坦な道が続いたあと、甘酒橋から猿滑(さるすべり)坂の急坂になる。
追込坂 甘酒茶屋バス停 箱根旧街道資料館
県道を渡ると追込(おいこみ)坂である。笈ノ平(おいのたいら)には、箱根旧街道資料館と甘酒茶屋がある。甘酒茶屋で一休みする。畑宿と箱根宿の中間に当たり、江戸時代には4軒の茶屋があったところである。建物が改修中で仮店舗での営業であったが、大きな切り株のテーブルはみごとである。ここから元箱根までは45分である。
於玉坂 白水坂 天ヶ石坂
於玉(おたま)坂〜白水坂〜天ヶ石坂と登ると、「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」と彫られた馬子唄の碑がある。権現坂を下り木橋を渡ると、英人貿易商に因む石碑がある。杉並木を抜けると、左手に興福院がある。すぐに芦ノ湖が見える。元箱根バス停より小田原駅行きに乗車する。
権現坂 興福院