東海道53次 No.10 三島駅-(約13km)-方浜駅
2008年12月14日(日)10:00 雨のち晴
歩き始めて直ぐ左手に愛染院跡の溶岩塚が見えてくる。溶岩塚は1万年程前に噴火した富士山から約40km流下して凝固したものである。愛染院は室町時代に三島神社の別当職を勤めていたと云われている。安政の大地震で破壊され、明治元年の神仏分離により廃寺となっている。
南口の商店 愛染院跡の溶岩塚
郵便差出箱1号丸型ポスト 楽寿園 楽寿園楽寿館
楽寿園広瀬神社 楽寿園 宮さんの川
愛染院跡からすぐの右手に“郵便差出箱1号丸型ポスト”があり、奥に楽寿園正門がある。楽寿園(有料施設)は明治維新で活躍した小松宮彰仁親王の別邸として、明治23年(1890年)に造営される。昭和27年(1952年)に市立公園になる。うっそうとした森に囲まれた広さ約71,850uの公園には、富士山の雪解け水が湧き出している池が複数ある。小浜池の北側に明治23年(1890年)に建てられた楽寿館、“みや島”には広瀬神社がある。富士山から流下してきた溶岩を濡れた落ち葉が覆っている。南出口から小浜池を源流としている“宮さんの川”遊歩道を散策する。もとは三島南西部への農業用水であった。
蓮馨寺 蓮馨寺太子堂 蓮馨寺
伊豆箱根鉄道駿豆線 時の鐘 三石神社
 
南側にある旧東海道を西へ進む。伊豆箱根鉄道駿豆線・三島広小路駅手前の右手に、中伊豆観音札所第二番札所の蓮馨寺がある。左手の源兵衛川のほとりには三島宿に時を告げていた“時の鐘”がある。初代の鐘は寛永年間(l624年〜l634年)に鋳造される。何回か改鋳されるが第二次世界大戦で供出され、現在の鐘は昭和25年(1950年)に復興されたもの。南側に三石神社がある。三石神社から伊豆箱根鉄道駿豆線に沿って進むと、左手に天正元年(1573年)創建の常林寺がある。山門を入って右手に白瀧観世音菩薩を祀る白瀧観音堂がある。
常林寺
林光寺 地方神社 八幡神社
旧東海道に戻り、伊豆箱根鉄道駿豆線の踏切を渡る。Y字路を左に進むと旧東海道であるが、右へ誤って進んでいる。しばらくすると左手に本堂が建築中の林光寺がある。さらに2つ目の交差点を右折して参道を進むと、天正19年(1591年)創建と云われる地方神社がある。長沢交差点の左手には八幡神社がある。
林光寺  秋葉神社  八坂神社 
常夜燈 玉井寺 清水伏見一里塚玉井寺
 
宝池寺  清水伏見一里塚  法泉寺 
 
秀源寺 東光寺 八幡神社
 
対面石 日枝神社 日枝天満宮

後日、間違えた道の南側の旧東海道を進む。県道145号が旧東海道となる。しばらくすると天正5年(1577年)創建の林光寺参道が右手に見えてくる。左手に宝暦3年(1753年)に創建された秋葉神社、鳥居の左手に八坂神社の祠がある。千貫樋の説明板がある境川橋を過ぎると、右手に弘化3年(1846年)造立の常夜燈がある。右手に永禄12年(1569年)創建の玉井寺があり、清水伏見一里塚の片方が保存されている。左手に元亀2年(1571年)創建の宝池寺には、昭和60年(1985年)に復元されたもう片方の一里塚がある。八幡交差点を過ぎると、右手に建長年間(1249年〜1256年)創建の法泉寺がある。右手に秀源寺、天文年間(1532年〜1555年)創建の東光寺と続く。右手の八幡神社境内には、治承4年(1180年)源頼朝と義経が初めて対面したときに腰掛けたと云われる対面石がある。右手にある文和元年(1353年)創建の潮音寺を過ぎると、間違った道と合流する。日枝神社に立ち寄る。境内の左手に日枝天満宮 / 奥に穂見神社 がある。

潮音寺 亀鶴山観音堂 亀鶴姫碑
旧東海道を西へ進む。右手に弘仁年間(810年〜824年)創建の潮音寺がある。駿河一国33番札所 / 駿豆横道11番札所 / 東海88ヶ所66番札所となっている。黄瀬川に身を沈めた亀鶴姫を祀る亀鶴山観音堂 / 亀鶴姫碑 がある。
平作地蔵 一里塚
東下石田交差点で旧国道1号線と合流、ショッピングセンターの先を左へ進む。左手に浄瑠璃“伊賀越道中双六・沼津”に出てくる平作がいた茶店の跡に建てられた平作地蔵がある。“伊賀越道中双六”は“赤穂浪士の忠臣蔵”や“曾我兄弟”とともに日本三大仇討ちのひとつに数えられている。“荒木又右衛門の伊賀越鍵屋の辻の決闘”を芝居にしたものである。右手に一里塚があるが、対の左側は現存していない。1000年以上前に玉類を磨く為に用いられた砥石と伝えられる玉砥石 / 社 がある。
ふたたび旧国道1号線と合流する。三園橋交差点を西へ進む。旧東海道はすぐに左へ進むが、旧国道1号線を直進する。すぐの大手町交差点手前の中央公園に、沼津城本丸跡址碑がある。永禄12年(1569年)小田原北条氏により砦が築かれたのが始まり。天正7年(1579年)武田勝頼が跡地に三枚橋(さんまいばし)城を築城する。慶長19年(1614年)廃城となる。安永6年(1777年)水野忠友が2万石で沼津に入り、三枚橋城跡地に築城。水野家8代の5万石の城下町として幕末を迎える。
沼津城本丸址碑
浅間神社 乗運寺 東方寺
三園橋交差点を西へ、すぐに左へ進む。狩野川沿いに南へ進み、御成橋通りを右折して直ぐに左折する。道標もなく解りにくい。右手に浅間神社があり、永代橋通りを右折して北西へ進む。次の交差点を左折すると千本浜道で、左手に天文6年(1537年)創建の乗運寺、左手に東方寺がある。
妙傳寺 間門案内 沼津藩領境榜示案内板
西間門八幡宮 諏訪神社 諏訪神社
正覚寺 栄昌寺 吉祥院
願満具足天満宮 松長一里塚跡 蓮窓寺

永代橋通りを進むと、左手に慶長9年(1604年)創建の妙傳寺がある。間門の案内があり、千本街道と×字に交差する西関門交差点を北西に進む。旧東海道の道標がある。右手に沼津藩領境榜示案内板 / 慶長9年(1604年)創建の西間門八幡宮 がある。小諏訪公民館の角を右折すると、狭い参道に銀杏の落ち葉が映える天正3年(1575年)創建と云われる諏訪神社がある。10分ほどすると、左手に元禄2年(1689年)創建の正覚寺がある。さらに10分ほどすると左手に慶長5年(1600年) 創建の栄昌寺がある。すぐ右手に寛文5年(1665年)創建の吉祥院 / 境内に願満具足天満宮 がある。松長一里塚跡の石柱が右手にある。左手にある寛文2年(1622年)創建の蓮窓寺を過ぎ、右折して片浜駅に至る。