東海道53次 No.03 川崎駅-(約11km)-横浜駅
2008年 5月25日(日)10:00 雨のち晴
川崎駅東口からより京浜急行電鉄の高架を潜り、砂子交差点を右折して東海道を進む。JR南武線と京浜急行電鉄が交差している八丁畷駅の手前に、「麦の別れ」芭蕉句碑がある。京浜急行電鉄の踏み切りを渡り、左折してJR南武線の高架を潜る。弘仁年間(810年〜823年)創建の熊野神社が交差点の右手にある。
熊野神社
交差点を左折して京浜急行電鉄・鶴見市場駅前までは、市場銀座商店街になっている。京浜急行電鉄の線路を渡らずに、線路沿いに右折すると専念寺がある。境内にある延命子育地蔵は、いぼ地蔵とも呼ばれている。
専念寺 専念寺延命子育地蔵
武州橘樹郡市場村一里塚跡 稲荷神社 双体道祖神
旧東海道に戻り進むと。武州橘樹郡市場村一里塚跡に稲荷神社 / 双体道祖神 がある。
妙寿寺 庚申塔 下町稲荷神社
次の道を左折すると、市場中学校の前に昭和27年(1952年)創建の妙寿寺がある。旧東海道に戻ると、右手に庚申塔 / 下町稲荷神社 と続く。金剛寺前バス停の先を右折すると、平安時代創建の金剛寺がある。玉川八十八ヶ所 / 東国八十八ヶ所 / 東海三十三ヶ所観音になっている。
金剛寺
鶴見橋関門旧跡 鶴見神社 寺尾稲荷道への道標
鶴見橋を渡ると、左手に鶴見橋関門旧跡の碑がある。関門は安政6年(1859年)の横浜開港に伴い、川崎・保土ヶ谷間に設けれれた番所である。さらに進むと右手に寺尾稲荷道への道標の複製が立っている。本物は鶴見神社の境内に保存されている。交差点を越えると、右手の奥に鶴見神社の鳥居が見えてくる。推古天皇の時代(554年〜628年)創建と云われている杉山神社が、大正9年(1920年)に鶴見神社に改めた延喜式(えんぎしき)内社。延喜式内社は平安時代に編纂された延喜式神名帳(じんみょうちょう)に記載されている神社である。朝廷から由緒ある神社として認定されていたことになる。
JR鶴見駅前から京浜急行電鉄高架沿いに進み、すぐの突き当たり左折して京浜急行電鉄を潜る。すぐの十字路をを右折して南に進む。
[寄り道]總持寺
總持寺三松関 總持寺三門 總持寺香積台
すぐの十字路を右折して北西に進む。JR東海道本線を越えると、 明治44年(1911年)石川県能登より移転した曹洞宗大本山・總持寺がある。
總持寺仏殿
まむしや JR鶴見線・国道駅 子育地蔵堂
子育地蔵 慶岸寺 正泉寺
生麦水天宮 道念稲荷神社 道念稲荷神社
神明社 生麦事件発生現場 生麦事件の碑
十字路まで戻り南に進む。すぐの下野谷町入口交差点で15号線と鋭角に交差すると、「蛇族・まむしや」の看板が目立つ店舗がある。JR鶴見線の高架下は国道駅構内で、廃線跡のトワイライトゾーンと勘違いする雰囲気。ここから国道15号線と合流するところまで、旧東海道は生麦魚河岸通りと呼ばれている。右手に子育地蔵堂と慶岸寺が見えて来る。左手にある玉川八十八ヶ所霊場・正泉寺の山門からの短い参道は、紅葉に覆われている。直ぐに小道を左折、鶴見川方向に進むと左手に生麦水天宮がある。旧東海道道に戻ると右手にある道念稲荷神社の鳥居前には、左右に石仏が置かれている。信号を越えると右手に神明社がある。6月第一日曜日に行なわれる「蛇も蚊も祭り」の準備作業が行なわれていた。「蛇も蚊も祭り」は江戸時代から続いている疫病除けの行事で、横浜市鶴見区生麦の道念稲荷神社と神明社で行なわれる。昔は本宮地区の道念稲荷神社で雄の蛇、原地区の神明社で雌の蛇を造っていた。現在は独自に雌雄の蛇を造り、両地区で開催している。1週間乾燥させた萱と縄で造った蛇を担ぎ、地区を廻る。蛇体は海に流していたが、現在は神社境内で焼いている。生麦事件参考館設置の「生麦事件発生現場」案内板があり、国道15号線と合流する手前には横浜市教育委員会設置の「生麦事件の碑」案内板がある。生麦事件は文久2年(1862年)島津久光の行列が生麦村を通行中、イギリス人4名が馬に乗って行列を横切ったとの理由で殺傷された事件である。
令和元年(2019年)に訪れたときの生麦事件の碑。背景が大きく変わっていた。
生麦事件の碑
遍照院 良泉寺 笠のぎ稲荷神社
能満寺 神明宮 東光寺
金蔵院 熊野神社 成仏寺
慶運寺石塔 慶運寺 慶運寺浦島観音堂
遍照院バス停の先を右折する。参道の先には、京浜急行電鉄の踏み切り越しに山門が見える。国道15号線の右手に良泉寺があり、右折して京浜急行電鉄をくぐる。天慶年間(938年〜947年)創建の笠のぎ稲荷神社がある。「のぎ」は「禾(のぎへん)」に「皇」と書く。境内には、鎌倉時代末期の板碑がある。道を戻り、直ぐに右折して国道15号線と平行する道を進む。正安元年(1299年)創建の能満寺や神明宮が右手に続く。国道15号線方向に進み、右折すると右手に東光寺がある。国道15号線の駅入口信号を越えて直ぐに右折すると、平安時代末期創建の金蔵院がある。道を戻り直ぐに右折して国道15号線と平行する道を進むと熊野神社がある。直進して突き当たりを右折すると左手に永仁年間(1293年〜1299年)創建の成仏寺が見えてくる。宣教師の宿舎として使われ、ヘボン式ローマ字を考案したカーティス・ヘボンが住んだことで知られる。川沿いの道を進み京浜急行電鉄高架を越えると、JRと挟まれた場所に室町時代(1336年〜1573年)創建の慶運寺がある。入り口には「浦島観世音 浦島寺」と彫られた石塔が亀の背に乗っている。慶応年間(1865年〜1868年)の大火で焼失した観福寿寺(浦島寺)の観音像・浦島大明神像・亀化龍女神像(乙姫像)が移されている。横浜開港当時のフランス領事館である。対岸には浄瀧寺が見える。
浄瀧寺 神奈川宿歴史の道案内板 宋興寺
州崎大神 普門寺 甚行寺
滝の橋を渡ると、右手に文応元年(1260年)創建の浄瀧寺がある。横浜開港当時のイギリス領事館。滝の橋から国道15号線方向へは、川沿いに小さな遊歩道がある。この橋を中心に神奈川本陣や青木本陣が置かれていた旨の案内板が設置されている。国道15号線の手前の道を右折すると、ヘボン博士が施療所を開いた宋興寺がある。国道15号線の青木バス停を右折すると、右手に建久2年(1191年)創建と言われる州崎大神がある。続いて横浜開港当時のイギリス士官の官舎だった普門寺や、明暦2年(1658年)創建で横浜開港当時のフランス公使館であった甚行寺がある。
本覚寺 本覚寺子育地蔵 三宝寺
大網金比羅神社 大網金比羅神社 神奈川台の関門跡
京浜急行電鉄・神奈川駅前の青木橋を進み、京浜急行電鉄とJRの線路を越えると1号線に合流する。前方の小高い丘に、嘉禄2年(1226年)創建の本覚寺が見える。横浜開港当時はアメリカ領事館だった。境内右手に宝永年間(1710年〜1740年)造立の子育地蔵がある。登りの石畳を直進すると本覚寺で、左折するとコンクリートの柱で宙に浮いた様な三宝寺がある。さらに坂を登ると、望欣台の碑と弁玉の歌碑がある。坂を下り1号線に合流するところを右折して、旧東海道を進む。三宝寺1階部分のコンクリート柱が見え、隣には大網金比羅神社がある。「神奈川の台と茶屋」の案内板を過ぎ、神奈川台の関門跡がある。坂の途中に左へ下る階段がある。旧東海道は直進する。階段を降りて直進すると、横浜駅に至る。