コルドバ

コルドバはスペイン・アンダルシア州コルドバ県の県都で、グアダルキビール川に面している。古代ローマ時代(紀元前753年〜395年)には、属州ヒスパーニア・バエティカの首都であった。後に西ゴート王国(415年〜711年)に支配され、6世紀には東ローマ帝国(395年〜1453年)の領土になった時期もある。711年にイスラム教徒によって西ゴート王国が征服され、756年に成立した後ウマイヤ朝(756年〜1031年)はコルドバを首都とした。10世紀には世界最多の人口を持つ都市となった。1236にカスティーリャ王国(1035年〜1715年)によって征服され、15世紀末にはイスラム勢力がイベリア半島から追われた。

ローマ橋 / コルドバの街

グアダルキビール川に架かるローマ橋は、古代ローマ時代(紀元前753年〜395年)に架けられたのが始まり。長さ280m / 幅9m で、16個のアーチで構成されている。イスラム勢力が支配する様になって以来、橋は何度も改修されている。古代ローマ時代のものはほとんど残されていないが、支柱15本とアーチ2個はオリジナルと云われている。橋脚の上流側が三角形に突き出ていて、水流の圧力を減じるカットウォーターと呼ばれる構造になっている。水圧を緩和する穴が空いていないのは、流れが緩やかだったとのこと。

カラオーラの塔

カラオーラの塔は、13世紀にムワッヒド朝 (1130年〜1269年)によって造られた街を守る要塞。 四角い2つの塔だったが、14世紀にキリスト教のカスティーリャ王国の手で増築された。グアダルキビール川の反対側に、石造りの堀がある。

ローマ橋 / カラオーラの塔

現在、ローマ橋は歩行者専用になっている。2006年〜2008年の修復工事により、路面は白っぽい花崗岩で舗装されている。このときカラオーラの塔 / プエンテ門 も大掛かりな修復工事が行 われた。

エンテ門

プエンテ門は、スペインの国王・フェリペ2世(1527年〜1598年)が訪れたことを記念して16世紀に造られた。この場所には古代ローマ時代に街を取り囲む城壁の門があり、街への出入り口となっていた。

グアダルキビール川対岸からのメスキータ

イスラム教のミナレット→キリスト教の鐘楼

西ゴート王国(415年〜711年)に支配されていた頃は、カトリックの聖ビセンテ教会が存在していた。784年に後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン1世(731年〜788年)によりモスクの建設が始められた。10世紀末には拡張工事が行われた。1236年にカスティーリャ王国(1035年〜1715年)によって征服されてからは、モスクはキリスト教の聖堂として利用された。1236年に礼拝堂が設けられ、イスラム教とキリスト教が同居する珍しい建物となった。最終的には16世紀、スペイン王カルロス1世の治世にモスク中央部にゴシック様式とルネサンス様式の折衷の教会堂が建設された。メスキータやユダヤ人街を含むコルドバ歴史地区は、世界遺産に登録されている。

メスキータの周囲は、10m程度の高い塀で囲われている。

街中には、文化が入り混じった様な建造物も多い。

ユダヤ人街
メスキータの北にはユダヤ人街がある。入り組んだ路地には、植木鉢の花を飾った白壁が続く。ユダヤ人はイスラム王朝のもとで政治経済を支える存在だったが、1236にカスティーリャ王国(1035年〜1715年)によって征服された後に追放された。
街中で見かけた大小の郵便ポスト
街中で見かけた給水栓