サグラダ・ファミリア

スペインのバルセロナにあるサグラダ・ファミリアの正式名称は、聖家族贖罪(せいかぞくしょくざい)教会である。サグラダ・ファミリア(Sagrada Familia)とは、スペイン語で「聖家族の聖堂」という意味になる。贖罪教会とは信者の寄付で建設する教会のこと。
サン・ホセ教会が敷地内にあった聖ヨセフ礼拝堂を中心に、聖家族を称える大聖堂を建設する構想であった。建築家フランシスコ・ビリャールが設計を引き受け、1882年に着工した。意見の対立から翌年に辞任、1883年からは当時は無名であったアントニ・ガウディが引き継いだ。1926年に亡くなるまで設計 / 建築 に取り組んだが、完成したのは地下聖堂 / 東側の生誕のファサード など全体の1/4未満に留まる。

アントニ・ガウディの死後の1936年に始まったスペイン内戦により、ガウディが残した設計図や模型 / ガウディの構想に基づき弟子たちが作成した資料のほとんど が散逸した。これによりガウディの構想を完全に実現することは不可能となった。ガウディの設計構想を推測する形で現在も建設が継続されている。
完成済みの尖塔としては、聖母マリアの塔138mが最も高い。1882年に着工から完成まで300年は架かると予想されていたが、全体の完成は2034年頃になる見込みであると云う。現在はアルハンブラ宮殿とともに、スペインで観光客が訪れるところになっている。
2005年にユネスコの世界文化遺産に登録された。「アントニ・ガウディの作品群」を構成する物件としての登録であるが、完成は全体の1/4未満に留まる未完成作品である。1936年に始まったスペイン内戦後は、推測に過ぎない。サグラダ・ファミリアの主任建築家は、フランシスコ・ビリャール / アントニ・ガウディ を含め8名である。アントニ・ガウディ以降の6人が、同じ推測だとは到底思えない。また着工当初から教会建築の伝統的な工法で行われてきたが、時代が経つとともにアントニ・ガウディの設計構想を変える工法になっている。
西側の受難のファサード
サグラダ・ファミリアを中心に周辺を2回徘徊するが、全体の調和が取れているとは到底思えない。イタリアやドイツで大聖堂を見ているが、いずれも調和が取れている。特に西側の受難のファサードなど、東側の生誕のファサードと比べるとアントニ・ガウディの設計とは思えない。
さらに驚くべきことは、世界で唯一の建設途中の世界遺産となっていることである。スペインが観光地にするための政治力と、カトリック教会の思惑が見え隠れしている様に思える。贖罪教会として信者の寄付で建設するが、拝観料収入により建築が継続されている。

サン・ホセ教会の大聖堂であるので、祀るのは聖(サン)・ホセになる。しかしサグラダ・ファミリアの地下礼拝堂には、アントニ・ガウディの墓がある。
フランシスコ教皇(在位2013年〜2025年)はガウディの「英雄的徳」を認め、「尊者」とした。次の段階である「福者」を経て「聖人」となることができる。聖人になれば、地下礼拝堂あるアントニ・ガウディの墓も問題なくなる。そのときサグラダ・ファミリアは、サン・ガウディ大聖堂となるのかも知れない。
聖人とは生存中にキリストの模範に忠実に従い、その教えを完全に実行した人たちのことである。人数は多く、さらに増え続けている。ヨハネ・パウロ2世教皇(在位1978年〜2005年)だけで、482名を聖人にしている。

ツアー観光客
サグラダ・ファミリア周辺にあった電話用マンホール
サグラダ・ファミリア周辺にあったゴミ箱