ラインクルーズ |
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ドイツ旅行の主目的であるラインクルーズは、日程の後半だった。ハイデルベルク近郊のホテルから出発したツアーバスは、渋滞に巻き込まれる。リューデスハイム船着き場に到着したのは、ラインクルーズ船が出港する10分前であった。
天気が怪しい状態であったが、リューデスハイム船着き場が近づくにつれ好天になる。
悪天候の場合には、ライン川沿いの道路をバスで巡ることになっている。翌日の帰路で、ケルンからフランクフルト空港に向かうが渋滞に巻き込まれる。このライン川沿いの道路を迂回している。
ライン川沿いには多くの古城や教会が見られるが、名称が解らない建物も多い。
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リューデスハイム船着き場を出港すると、 左手にネズミの塔がある。ネズミの塔は、通行人や農民から通行税を徴収する関所だった。重税で人々を苦しめた大司教が、この塔でネズミに食い殺されたのが名称の由来と云われている。
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ネズミの塔からすぐ右手に、エーレンフェルス城跡がある。14世紀の頃から砦として利用された城跡。神聖ローマ帝国とフランス王国の間で起きた大同盟戦争(1688年〜1697年)により、フランス側により破壊されたままになっている。
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左手にラインシュタイン城がある。個人所有になっており、礼拝堂で結婚式もできる。
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左手にライヒェンシュタイン城がある。ライン川沿いの古城で、11世紀築城と最も古い城のひとつである。盗賊に成り下がった貴族が占拠していたため、焼き払われた。
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左手にゾーネック城がある。下級貴族が盗賊に成り下がり、この城を根拠地にして通行商人を襲っていた。
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左手にシュタールエック城がある。バッハラッハの丘の上にあり、選帝侯・プファルツ侯爵の城だった。再建されて現在はユースホステルになっている。 選帝侯とは、神聖ローマ皇帝の選挙権を有するドイツの有力諸侯である。
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右手の中州にあるプファルツ城
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左手にシェーンブルク城がある。シェーンブルク城とは、ドイツ語で「美しい城」という意味である。ライン川流域で最も美しいとの評判の城と云われている。
1166年にバルバロッサ皇帝により築城された。エーレンフェルス城跡と同様に神聖ローマ帝国とフランス王国の間で起きた大同盟戦争(1688年〜1697年)により、フランス側による爆撃を受け破壊された。現在は高級ホテルになっている。
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シェーンブルク城 |
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右手にローレライがある。船乗りが美しい乙女の歌声に惑わされて、次々に水の中に沈んでしまったと云うところ。断崖絶壁の岩。
ローレライが近ずくと、ハイネの詩にジルヒャーが作曲した歌曲・ローレライが流れ始める。ドイツ語から各国語での説明が放送される。日本語の説明が始まる頃には、後方にローレライが見える。
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右手にネコ城がある。カッツェンエルンボーゲン侯爵の築城。名前が「ネコのヒジ」を意味しており、ネコ城という名称になった。
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ネコ城からすぐにザンクト・ゴアール乗船場があり、約1時間40分のクルーが終了する。
ジャン・ギャバン主演のフランス映画「ラインの処女号(1953年)」では、荷船が行き交う場面が多い。残念ながら水運が盛んでなくなり、行き交う場面は少なかった。
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船着き場近くんにあったゴミ箱 |
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ラインクルーズ後、対岸にローレライが見える食事処で昼食となる。天気が怪しくなり、クルーズ船からのローレライとは思えない光景になっていた。 |
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2015年9月から使用していたカメラが故障する。白っぽくコントラストがなく、ピントも甘い。 |
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