ローテンブルク |
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塔と市壁 |
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ローテンブルクは、ドイツ南部のバイエルン州ミッテルフランケン行政管区アンスバッハ郡にある人口約11000人の都市である。
970年頃に東フランケン地方の貴族によってデトヴァング教区が創設されたことに始まる。ローテンブルクの正式名称はローテンブルク・オブ・デア・タウバーで、タウバー川を望む丘の上のローテンブルクという意味である。この貴族がタウバー川を望む丘の上に
城を建てたことに由来する。 |
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城門 |
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堡塁 / 堀 |
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コボレツェラー塔 |
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1170年にローテンブルク市が設置され、この頃から要塞化が始まったと云われている。13世紀になると、塔や市壁が造られた。旧市街には42の城門
/ 46の塔 がある。 |
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1250年に建てられたローデンブルグ市庁舎 |
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ナチスドイツが無条件降伏する直前の1945年3月31日、ローテンブルクは米軍の空爆を受ける。市街地の約45%が瓦礫の山となり、300を超える建物
/ 9つの望楼 / 750mに渡る市壁 が破壊された。さらなる爆撃を受けるところだったが、この街を訪れたことのある母親にその美しさを聞かされていた米軍人が作戦に反対したことにより免れたと云われている。
戦後に再建の資金が必要だった街は、一定以上の額を寄付した団体・個人名を市壁の通路内側に彫り込む策を講じて全世界に寄付を要請する。多額の寄付が寄せられ、街は戦前の状態に忠実に復元された。 |
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ローテンブルクは中世には繁栄したが、17世紀に入ると街は権力 / 財力 / 重要性 もなくなって発展が止まってしまった。その為、17世紀の状態のままで残された。
城壁に囲まれた街並みは絵本に登場する光景で、中世の宝石箱とも呼ばれている。ロマンティック街道沿いにあり、多くの観光客が訪れている。 |
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ローテンブルクで購入したTシャッは。バングラデシュ製であった。Tシャッのプリントにある1170は、ローテンブルク市が設置された年である。 |
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2015年9月から使用していたカメラが故障する。白っぽくコントラストがなく、ピントも甘い。 |
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