ミュンヘン |
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ノイハウザー通り〜タール通り |
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ミュンヘンはドイツ連邦共和国の南部にあるバイエルン州の州都で、バイエルンアルプスの北側に位置している。人口は約160万人、ベルリン / ハンブルク
に次いで多い。
ミュンヘンの起源は1158年とされ、旧市街は1175年に造られた城壁に守られていた。1285年から1347年に掛けて新たに城壁が建設されたが、18世紀にバイエルンの首都が拡大するにつれて城壁は取り壊された。街への入り口だった、カールス門
/ イーザル門 / センドリンガー門 が残っている。 |
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カールス門 |
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カールス門はミュンヘン中央駅からミュンヘン旧市街に入るところにある。ノイハウザー門と呼ばれていたが、カールス広場の建設後の1797年に改名された。
カールス門-(ノイハウザー通り)-マリエン広場-(タール通り)-イザール門は、ミュンヘン旧市街のメインストリートになっている。
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ノイハウザー通り〜タール通り |
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ノイハウザー通り〜タール通り |
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ミュンヘンの夏は5月から9月まで続き、記録されている最高気温は37.1℃とのこと。訪れたのは5月3日であったが、日差しが強くTシャツでも蒸し暑かった。
メインストリートの木陰にベンチや座れる高さの縁石 が数多くあったが、満席状態であった。また店内や野外のテント席で、暑さを凌ぐためにビールなどの飲料を飲んでいる方も多かった。
自由散策の時間は極力日陰を歩き、ときどき日陰にあるベンチなどが空くと休んでいた。
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フラウエン教会 |
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フラウエン教会は、ドイツ国内で最大規模を誇る後期ゴシック様式の傑作と云われている。1468年より建設が始まり、1494年に完成した。
第二次世界大戦ではミュンヘンは1940年から連合国軍の空襲が始まり、ミュンヘン空港の70% / 旧市街の90% が壊滅した。1945年4月30日にアメリカ軍より占領された。
フラウエン教会は1944年の空襲で屋根は壊れ、二本の塔のうち一本に穴が空いた。戦後に修復が始まり、50年後の1944年に完全修復した。
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ミュンヘン新市庁舎 |
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ミュンヘン旧市街の中心に、1867年〜1908年に掛けて建設されたミュンヘン新市庁舎 / マリエン広場 がある。ミュンヘンを代表する光景である。3つの建物からなるネオゴシック様式の建物で、中央の塔は高さ85mである。
1944年の空襲で全壊したが、戦後に復元作業が始まり40年後に再建された。
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ミュンヘンのマンホールは、中央に市章が入っている。ミュンヘンは、中世期に修道院の建設を端緒として市が形成された。黒い修道服 / 左手に聖書を持った小さな修道僧 の図柄になっている。
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2015年9月から使用していたカメラが故障する。白っぽくコントラストがなく、ピントも甘い。 |
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