スペイン旅行
●日程の選択ミス

旅行期間は2025年6月4日〜11日で、実質的なスペイン観光は6月5日〜9日の5日間であった。40℃越えの日が多く、日程の選択ミスであった。暑さより、日差しの強さと眼の乾燥で往生する。持参したサングラスは、予備も含め効果はあまりなかった。色の濃いサングラスでなければ役に立たない。地面の照り返しが強く、道路の縁石や石段が解りにくくなる。乾き目対策の目薬はすぐに乾いて、効果が継続せず眼が痛くなる。間違えて多く持参ので頻繁に点眼するが、焼け石に水であった。

他国では観光地間の移動中もそれなりに楽しめたが、スペインの景色は殺伐といてつまらないところが多かった。
「オズボーンの雄牛」看板しかない様な荒地も多い。1956年にシェリー酒の醸造会社の宣伝のために設置され、役目を終えた看板である。ブランド名などをすべて塗り潰しして黒一色となり、オブジェとして残されている。
●スペインあれこれ

ツアーに組み込まれた食事処では、ほとんどのところがミネラルウォーターとビールがほぼ同じ価格だった。酒量がおのづから増える。

海外では水洗であっても、トイレットペーパーが流せないところもあると聞いていた。初めてスペインで出会う。便座の横に大きな屑物入れがあり、何とも言えない匂いが漂っていた。
●ホテルと食事

バルセロナのホテルで、部屋を間違える。間違えた部屋 / 正しい部屋 とも、渡されたルームキーで開けられた。

バルセロナやマドリッドは、出発前に散策したいところである。バルセロナのホテルは工場地帯にあった。マドリッドのホテルの周辺は治安が悪いとのことで、朝夕の散歩をしない様に言われる。治安が悪いところの設定に疑問を感じる。ラス・ベンタス闘牛場闘牛場まで5分ほどなのに………やるせない。
朝早く出立する日があり、ホテルが軽食を用意してくれた。飲み物はオレンジジュースと水であったが、何と水のペットボトルは半分飲み残しであった。
マドリッド最終日の昼食は海鮮で、他の日本人ツアー客もいた。メインの食事は、身がない海老とイカ墨だった。イカの鮮度が悪そうで、イカ墨で誤魔化している様だった。炒めた米を食べるに留める。
●最悪の添乗員

2024年5月のイギリスは添乗員の質が悪く、9月のイタリア / 2025年5月のドイツ とJTBに換えている。JTBを選んでいるのは、添乗員やホテルのレベルである。スペインのJTB添乗員は、イギリスの添乗員より劣っていた。
これでJTBの添乗員同行ツアーは終了となる。

成田空港では少し早目に説明が始まる。最初の2人組の方に対する説明が長く、少し焦れる。順番が来て、トリップループの状態を説明する。トリップループをQRコード読み込みで対応する様であったが、怖くて止める。昨今は、ウイルスが潜んでいるQRコードが問題になっている。理由を説明しようとすると、次の方が待っているとのことで遮られる。
成田→アムステルダム→バルセロナ 搭乗券

アムステルダム空港の乗り継ぎであったが、往路はセキュリティに引っ掛かかる。ボードを見ると、左胸のポケットティツシュ / 右胸の渇き目用目薬 / ズボンの日本円紙幣 である。海外旅行では、同じ場所に同じ物が入っている。この様なときに必要な添乗員は、全員を待つことなく先に進んでいる。JTBツーリスト&添乗員名で呼び出して貰う。
ボードで解っている筈であるが、やたらに検査を始める。オランダは反日感情が強い人がいると聞いたことがあり、仕返しかも知れない。オランダは第二次世界大戦で、終戦までドイツに占領されていた。植民地だったオランダ領東インドには、ドイツの同盟国であった日本軍が侵攻する。オランダに莫大な利益をもたらしていたが、350年に渡る東インド支配が終了した。

[蛇足] アムステルダムから乗り継いだKLMバルセロナ行は、くたびれた航空機であった。施錠してしゃがんでいたら、女性に開けられる。出るとき施錠したまま折り戸を押すと、簡単に開けられた。

ホテルのルームキーを渡すときは本名で呼び、前半3日間は違う名前で呼び掛ける。もちろん返事はしない。他の参加者からは無視している様に思われていた様である。「呼んでいますよ」と言われても困る。

地面の照り返しが強く、道路の縁石や石段が解りにくくなる。乾き目対策の目薬はすぐに乾いて、効果が継続せず眼が痛くなる。間違えて多く持参ので頻繁に点眼するが、焼け石に水であった。
足取りが遅くなるため、添乗員に説明しようとしても遮る。足が悪いと思い込んでいる。どうも参加者に言っていたらしい。ラ・マンチャの風車のところでは一番早く最高地点に行っているが、下り始めて出会った参加者から「行けたんですか」と尋ねられる始末。マドリードでは20分ほどのアトーチャ駅に行くとき、添乗員に「その足で大丈夫ですか」と投げ掛けられる。

グアダルキビール川沿いの灯台の様な塔
美術館などは、他国でも別行動を取っている。絵画や美術品は価値が解らないので、館内にはほとんど入っていない。周辺を徘徊して、指定された時間に建物の前に戻っている。
セビリアでは面倒と思ったのか、次行程の他施設もスルーされる。そして離れた「黄金の塔」での待ち合わせを指示される。渡されたイラストマップで場所を教えられたが、このイラストマップは距離感や道がいい加減で正確ではなかった。集合時間の1時間前に集合場所に向かう。目印となるロータリーの噴水から30分ほどらしいが、見つからない。30分ほど前に電話をすると、店舗で聞けと言われる。近くに店舗はなかったが、準備を始めていた移動露店があった。「黄金の塔」はポケトークの履歴では「
Torre dorada」 /正しい表記「Torre del Oro」と異なり、露店の2人には通じない。川のところと添乗員に言われ、露店で尋ねて幾度も往復している道を戻る。イラストマップには突き当りに「黄金の塔」があるが、その辺りには、灯台の様な塔があった。こんなイラストで集合場所を決めてほしくない。グアダルキビール川に架かる橋の辺りで諦めて、ホテルに向かう旨を連絡する。タクシーを探していたところ、ツアーバスが通り掛かる。参加者の方が見つけてくれて事なきを得る。
街中で雰囲気の良いところであっても、添乗員は速足で通り過ぎるため撮影しづらいことが多々あった。また立ち止まらないため、参加者が邪魔で撮影できないことも多かった。 撮影ツアーでないので、文句は言えないが………。

マドリッド昼食後は自由時間であったが、戻るホテルは渡されていたイラストマップの枠外で記載されていない。フロントでおおよその位置を教えて貰う。メモ用紙にホテル名と住所を大きく書いていたが、イタリアではホテルの名刺が用意されていた。またタクシー代金も、おおよその額が伝えられていた。おおよそのタクシー代金も、聞かないと教えてくれない。バスや地下鉄も利用できると言っていたが、何処で何処行きのバスなのか解らない。また地下鉄路線図も貰えない。

2025年6月13日、イスラエルよるイラン空爆が始まる。日本からヨーロッパには、主にカスピ海から黒海を抜ける空路となっている。カスピ海の南側に位置するのがイランで、南側は領海でもある。黒海の北側には、ロシア黒海艦隊もいる。とばっちりが懸念される。昔ながらのベーリング海峡から北極圏を抜ける空路もあるが、時間が掛かる。これで政情不安で躊躇していたトルコ旅行は、諦めが着いた。