ケルン
ケルンの街並み
ケルンの街並み
ケルンはドイツ連邦共和国の中央西側に位置するノルトライン=ヴェストファーレン州の都市である。人口は約109万人で、ベルリン / ハンブルク / ミュンヘン に次いで4番目に多い。ライン川の河畔にあり、市街地は両岸に拡がっている。
ローマ帝国植民地時代の石畳
ライン川中流にあたるこの地は、カエサルのガリア遠征のときに軍事的中心となった。カエサルが引き揚げた後、ローマ帝国の初代皇帝・アウグストゥスの盟友であったアグリッパが属州ガリア総督であった時にウビイ族という部族を誘ってライン川西岸に集落をつくらせたことに始まる。以降。ローマの将軍が交代で遠征軍司令官として統治した。ケルンは下ライン地方の軍事的 / 経済的 な支配の拠点となっていった。
ケルン大聖堂の正式名称はザンクト・ペーター・ウント・マリア(聖ペトロとマリア)大聖堂である。ゴシック様式の建築物としては世界最大で、ローマ・カトリック教会のミサが行われている。
初代の正方形の建物が完成したのは4世紀のことで、もっとも古い聖堂として知られていた。現在の大聖堂は3代目で、1248年に建築が始まった。すべてが完成したのは建設開始から600年以上が経過した1880年であった。
石材として安山岩 / 玄武岩 / 砂岩 / 石灰岩 の4種が使用されている。多くの微生物 / バクテリア / 藻類 /コケ などが生息、明るい色をしていた大聖堂の石は黒ずんでしまった。地元ガイドの方は、駅に発着する蒸気機関車の煤煙により黒ずんだと説明していた。
正直、建物は薄汚い。修復に使われている石は明るく、場所によってはつぎはぎだらけになっている。
高さ157mの大聖堂は、1884年に169mのワシントン記念塔が完成するまで建築物として世界一だった。1996年、ユネスコの世界文化遺産に登録された。
第二次世界大戦では最も多くの空襲を受けた都市の一つであり、市街のほとんどが破壊された。ケルン大聖堂はドイツの西側に位置していたため、爆撃機が方向をつかむための目標とされた。それでも空襲で14発の直撃弾を受けた。内部は激しく破壊されたが全体は崩れなかったため、1956年まで復旧工事が行われた。
ケルン中央駅
ケルン大聖堂前に、1859年に開業したドイツ鉄道・ケルン中央駅がある。第二次世界大戦の爆撃により崩壊、戦後に5年間の改築工事を経て1957年に現駅舎が完成する。1日の利用客数は25万人で、ドイツ有数の旅客駅である。
ケルン中央駅前広場からのケルン大聖堂
ICE1
ICE3

CE3はドイツ鉄道の超特急列車で、最高速度300kmでドイツおよび欧州各地を結んでいる。

近郊列車(右)
ケルン中央駅には、ひっきりなしに欧州各地を結ぶ列車や近郊列車が発着している。
ライン川
ホーエンツォレルン鉄道橋

ライン川に架かるホーエンツォレルン鉄道橋はドイツでもっとも列車の通過本数が多い橋で、ケルン中央駅とケルン・メッセ/ドイツ駅を結んでいる。鉄道橋には歩行者用の通路があり、歩いて渡ることが出来る。

鉄道橋の歩行者用通路の欄干に、愛の南京錠が大量に架かっている。

2015年9月から使用していたカメラが故障する。白っぽくコントラストがなく、ピントも甘い。