ロマンティック街道の終点・シュヴァンガウ
駐車場からのホーエンシュヴァンガウ城
宿泊したフィッセンはミュンヘンからの直通列車の終着駅で、ここから東南東方向に直線距離約4kmのところにあるシュヴァンガウまでは路線バスが利用できる。
シュヴァンガウはドイツ連邦共和国南部のバイエルン州バイエルン・シュヴァーベン地方オストアルゴイ郡にある町で、ミュンヘン空港の北東約150kmのところに位置している。
シュヴァンガウ町はロマンティック街道の終点として、人気の観光スポットとなっている。
シュヴァンガウに到着すると、麓の駐車場からホーエンシュヴァンガウ城が見える。12世紀に建設されたが廃墟になっていたシュヴァンシュタイン城を、マクシミリアン2世が1832年から約4年掛けて改築した。マクシミリアン2世の息子・ルートヴィヒ2世は、幼年時代をホーエンシュヴァンガウ城で過ごした。
レッカー移動警告の道路標識
麓の駐車場前の道路に、日本では見かけない「レッカー移動警告の道路標識」があった。ワードの翻訳機能を使うと、「違法駐車車両は有料でレッカー移動されます」と書かれている。ドイツでは駐車禁止の場所に駐車をした場合、意外と早くレッカーで持っていかれてしまうとのこと。駐車違反だけではなく、レッカーの費用は全て自己負担となり高額になる。
シャトルバス側面に描かれたノイシュヴァンシュタイン城
ディズニーランド・シンデレラ城のモデルと云われているノイシュヴァンシュタイン城には、麓から徒歩 / シャトルバス(有料) / 馬車(有料) の利用 となる。
マリエン橋からのノイシュヴァンシュタイン城
麓からシャトルバスに乗車、マリエン橋近くの終点で下車する。ペッラート峡谷に架かるマリエン橋から見るのが最も美しいとされている。

ノイシュヴァンシュタイン城
ノイシュヴァンシュタイン城は1869年からバイエルン国王ルートヴィヒ2世によって建設が始まり、1886年には居住できる程度になった。以後、ルートヴィヒ2世は首都ミュンヘンに戻らず住む様になる。
この煉瓦造りの城は軍事拠点としての要塞 / 政治や外交の拠点 としたものではなく、ルートヴィヒ2世のロマンティック趣味のためだけに建設された城である。

1886年ルートヴィヒ2世と主治医は、シュタルンベルク湖畔を散歩中に謎の死を遂げた。ルートヴィヒ2世がノイシュヴァンシュタイン城に居住した期間は、僅か172日間であった。
ルートヴィヒ2世の死後は、未完成部分を多く残していたが工事は中止された。1890年〜1892年に最低限の工事を続行して、婦人館と四角塔を完成させた。尖塔などの外部装飾や室内装飾は最低限のものに留まり、主塔と礼拝堂の建設は見送られた。
ノイシュバンシュタイン城入場券

ツアーでは「ロマンチック街道」の語源を「ローマへ通じる道」と説明していたが、これは誤りである。ロマンチック街道協会公式サイトによれば、「中世の町や夢の城ノイシュヴァンシュタインを見て過去に戻ったかの様な感覚と魅力を表現している」と説明されている。「ロマン主義的な」という意味で用いられている。
またシュヴァンガウという地名は「白鳥の里」の意味であり、リヒャルト・ワーグナーのオペラ「ローエングリン」で知られる白鳥伝説ゆかりの地である。

マリエン橋からノイシュヴァンシュタイン城を経て、徒歩で麓まで下る。二頭立ての馬車が通る度に、エンジン音が聞こえる。馬車の最後輪はエンジンで回転、登りは押し上げて下りはエンジンブレーキになっている。これなら馬も疲れない。ときおり馬糞が落ちると、すぐにトラックがやってきて処理をしていた。
 郵便ポスト
下る途中の売店脇に、ドイツで初見分の郵便ポストを見つける。集配は月曜日から金曜日の朝9時半1回となっていた。
2015年9月から使用していたカメラが故障する。白っぽくコントラストがなく、ピントも甘い。