岐阜街道 No.03 加納〜長良川・川湊
2019年 1月 7日(月)13:00 晴
名鉄名古屋本線・茶所(ちゃじょ)駅から旧中山道を西に進み、踏切を越える。すぐ左手に加納宿石柱がある。
中山道加納宿 石柱
中山道69次 53番 加納(かのう)宿
所在地:岐阜県岐阜市
天保14年(1843年)中山道宿村大概帳
人口:2728人 家数:805 本陣:1 脇本陣:1 旅籠:35
古くより中山道の要衝として栄えてきた。慶長6年(1601年)岐阜城が廃城となり、天下普請として加納城が築城される。宿場は城下町としての役割も兼ね発展をした。宿場の東入口には6ヶ所の枡形道が設けられていた。文久元年(1861年)皇女和宮下向のとき宿泊、幕末には当分本陣(臨時本陣)が2ヶ所設置された。江戸時代は宿の町単位に秋葉神社が創建された。
中山道加納宿 / 御鮨街道 石柱 中山道加納宿 石柱 「中山道 加納宿 八幡町」案内板
中山道加納宿 石柱からすぐ右手に、中山道加納宿 / 御鮨街道 石柱 がある。前回は南からここに到達している。ここからは旧中山道との重複区間となる。すぐに十字路があり、北西側角に中山道加納宿 石柱 / 「中山道 加納宿 八幡町」案内板 がある。
道標 側溝蓋 秋葉神社
十字路を右折して北へ進む。ここから枡形道が始まり、すぐに新荒田川に架かる加納大橋を渡る。加納大橋の欄干に、大名行列のレリーフが埋め込まれている。すぐのT字路南西側に中山道加納宿 石柱 / 北東側に明治18年(1885年)造立の「右 谷汲 岐阜」「左 西京」道標 がある。左折すると、すぐ右手に秋葉神社がある。この辺りから側溝蓋に“中山道 御鮨街道”の刻印が見られる様になる。
中山道加納宿 石柱 加納宿東番所跡 善徳寺
すぐの岐阜東通りを横断すると、すぐ右手に中山道加納宿 石柱 / 通行手形など見せて宿に入る加納宿東番所跡 がある。左折するとすぐの突き当りに善徳寺 / 門前に中山道加納宿 石柱 があり、右折する。さらに十字路手前右手に、中山道加納宿 石柱がある。
中山道加納宿 石柱
中山道加納宿 石柱 柳町秋葉三尺坊 古民家
専福寺 秋葉神社 道標

十字路を横断すると、右手に中山道加納宿 石柱と柳町秋葉三尺坊がある。この通りの側溝蓋にも“中山道 御鮨街道”の刻印がある。すぐ左手に、織田信長朱印状 / 豊臣秀吉朱印状 / 池田輝政制令状など戦国期の文書が残っている専福寺 / 右手に秋葉神社 と続くすぐの十字路は、中山道と岐阜道の分岐点で交通の要衝であったところ。十字路の北西側に、江戸中期(1750年頃)造立の道標がある。正面に「左 中山道」右側面に「右 ぎふ道」と彫られている。

旧岐阜道は、右折して北へ進む。すぐ右手に秋葉神社がある。
秋葉神社
秋葉神社からすぐに名鉄本線の踏切を越える。5分足らずでJR東海道本線を潜り、すぐの交差点を右折する。2本目を左折して北へ進む。名鉄・各務原線の踏切を越える手前を北西方向に進む。この辺りから木製の御鮨街道案内板が目立つ様になる。ほとんど同じだが、異なる図柄もある。
御鮨街道案内板
すぐの突き当りを左折して名鉄・各務原線の踏切を渡り、北へ進む。すぐの十字路を越えた右手にも、御鮨街道案内板がある。
[寄り道]岐阜中央郵便局

2本目の十字路を左折して西に進むと、すぐの2本目の十字路南西側に岐阜中央郵便局がある。風景印は、金華山 / 長良川 / 岐阜城 / 岐阜提灯 の図柄になっている。

岐阜中央郵便局風景印
旧岐阜街道まで戻り北へ進む。5分余りで、左手からの道と合流する。三角地帯にも御鮨街道案内板がある。
[寄り道]金(こがね)神社
金神社鳥居 金神社拝殿 以前の金神社鳥居

すぐの金園町2交差点を左折して157号線を西に進む。5分余りの金町5交差点を左折して54号線を南に進むと、すぐ左手に成務天皇5年(135年)創建と云われる金神社がある。古くから金運 / 財運 に利益があると云われている。大鳥居は、平成27年(2015年)金色に塗り替えられた。平成24年(2012年)中山道のとき訪れたときは、焦げ茶色であった。

金園町2交差点まで戻り北へ進む。5分足らずの若宮町1丁目交差点に御鮨街道 / 橿森神社 石柱があり右折すると、すぐの突き当りに橿森神社がある。
橿森神社
若宮町1丁目交差点から5分ほどの左手に、総黒板壁造りの建物がある。岡本太右衛門宅で、江戸時代末期の建築。永禄6年(1563年)創業の日本最古の鋳造所と云われている。江戸時代に「鍋屋」の称号を天皇家から授与された。角に釣鐘が置かれている。
岡本太右衛門宅 釣鐘
5分ほどすると、小熊町2丁目交差点がある。
[寄り道]岐阜今小町郵便局

小熊町2丁目交差点を左折して152号線を西に進むと、すぐ右手に岐阜今小町郵便局がある。風景印は、みんなの森 ぎふメディアコスモス / 金華山の岐阜城 の図柄になっている。

岐阜今小町郵便局風景印
願正坊 東別院 慈恩寺
小熊町2丁目交差点を右折して152号線を東に進むと、すぐ左手に願正坊 / 東別院 がある。152号線を挟んだ反対側に、建久6年(1195年)創建の慈恩寺 / 慶保2年(1161年)創建と云われる円龍寺がある。
円龍寺
小熊町2丁目交差点から旧岐阜街道を北へ進む。15分ほどすると、256号線に突き当たる。突き当たる手前左手に本陣跡 がある。尾張藩主が岐阜を訪問したときに宿泊した。
本陣跡の並び

256号線を越える。右方向に、岐阜城の復興天守が見える。すぐに右折、さらに左折して北へ進む。すぐ左手に真光寺がある。

真光寺
変則十字路北西側
変則十字路から岐阜街道の街並み 庚申堂
真光寺からすぐの突き当り手前を右折、道なりに進む。すぐの十字路を左折して北へ進む。 すぐの東材木町交差点を越え、すぐに忠節放水路に架かる美登里橋を渡り、変則十字路を右折する。すぐ左手に庚申堂がある。
町並み 町並み 町並み
不明の堂
川湊灯台 町並み
元浜町〜玉井町〜湊町と続く町並みには、趣きある商家が立ち並ぶ。庚申堂から5分ほどの左手に不明の堂 / 川湊灯台 がある。
川湊灯台から長良川沿いに東に進む。256号線を潜ると、河川敷に鵜飼舟が係留されている。
鵜飼舟
水揚げされた鮎は、長良川河畔から鮎鮨を作る御鮨所(おすしどころ)に運ばれた。御鮨所で塩漬けされた鮎鮨は、道中5日間の予定で運ばれた。食膳に上がるときに食べ頃になる様に配慮されていた。御鮨所は林稲荷神社辺りにあったと云われている。
長良川橋通り(256号線)を南に進み、岐阜公園前交差点を直進する。すぐの歴史博物館前交差点を右折して西へ進む。最初の十字路を左折して南に進む。すぐの十字路を左折して東に進むと、すぐ左手に林稲荷神社 / 突き当りに天和3年(1638年)創建の正法寺 がある。正法寺本尊の釈迦如来は、岐阜大仏として知られている。
林稲荷神社 正法寺

十字路まで戻り南に進むと、すぐに長良川通りに突き当たる。北西側に宝徳2年(1450年)創建の常在寺がある。斎藤道三以後の斎藤氏3代の菩提寺。

常在寺
長良川通りを東に進むと、すぐ右手に天文3年(1534年)創建の妙照寺 がある。厚見郡今泉村(現:岐阜市柳町辺り)に創建され、慶長5年(1600年)竹中重治の屋敷跡に移転した。本殿は明暦3年(1657年)〜寛文5年(1665年)の建立
妙照寺