岐阜街道 No.02 尾張一宮〜加納
2018年12月27日(月)08:30 晴れ

JR東海道本線・尾張一宮駅から457号線を東へ進む。5分ほどの交差点を左折して、本町商店街のアーケードを北へ進む。開店前で店舗のシャッターが閉じている。0841すぐ左手に、真清田神社二の鳥居跡 / 三八市の市神堂旧地 石柱がある。

本町商店街 真清田神社二の鳥居跡 / 市神堂旧地
真清田神社楼門
真清田神社拝殿 一宮七夕まつり
5分ほどすると、真清田(ますみだ)神社交差点の北側に神武天皇33年創建と云われる尾張国一宮・真清田神社がある。一宮市は尾張一之宮である真清田神社の門前町として発展した。一宮七夕まつりは、毎年 7月下旬の木曜日〜日曜日真清田神社周辺 / 本町商店街のアーケード で行われる。
真清田神社交差点から155号線(岐阜街道)を西に進む。すぐの大宮1丁目交差点を越え、すぐに右折して旧岐阜街道を北へ進む。すぐ右手に社がある。
10分足らずで18号線と交差する。
[寄り道]一宮文京郵便局

右折して18号線を東に進み、すぐの宮西小学校南交差点を越えた左手に一宮文京郵便局がある。風景印は、ツインアーチ138 / 市花・桔梗 / 七夕飾り の図柄になっている。

一宮文京郵便局風景印
酒見神社鳥居 酒見神社蕃塀 酒見神社拝殿
交差点まで戻り、旧岐阜街道を北へ進む。5分余りで190号線(岐阜街道)に合流する。すぐ左手に酒見神社がある。垂仁天皇14年創建と云われ、倭姫命が滞在した中嶋宮跡とされる。斉衡3年(856年)文徳天皇の勅命により伊勢神宮から、大邑刃自 / 小邑刃自 酒造師2名が派遣され伊勢神宮にお供えする御神酒を造ったと云われている。清酒の醸造が最初に行われたところと云われ、社名はこれに因む。
酒見神社から5分ほどすると、新神戸交差点を越える。
[寄り道]今伊勢郵便局
新神戸交差点を右折すると、すぐ左手に今伊勢郵便局がある。風景印は、石刀祭山車 / 市花・桔梗 / 七夕飾り の図柄になっている。
今伊勢郵便局風景印
新神戸交差点まで戻り190号線を北へ進む。すぐ右手に野宮神明社がある。10分足らずの左手に地蔵堂がある。
野宮神明社 地蔵堂
馬頭観音の祠 愛宕神社 古商家
善光寺如来石柱 秋葉神社 西蓮寺

地蔵堂からすぐの馬寄交差点を越え、すぐのY字路を右方向に進む。5分足らずの突き当りを道なりに左へ進み、2本目を右折して北へ進む。5分ほどの突き当りを左に進む。5分ほどすると、東海北陸自動車道を潜る。10分ほどすると、左手に馬頭観音の祠 / すぐ右手に愛宕神社 / すぐ右手に善光寺如来石柱 / すぐ右手に秋葉神社 / すぐ右手に西蓮寺 / すぐ左手に善龍寺 と続く。

善龍寺
左手に善龍寺からすぐに175号線に突き当たり左へ進む。すぐに右折して北へ進む。
突き当りの古商家 町並み
[寄り道]愛知木曽川黒田郵便局

10分足らずのT字路を左折すると、突き当りにJR東海道本線・木曽川駅がある。右折して南に進むと、すぐ右手に愛知木曽川黒田郵便局がある。風景印は、山内一豊・千代像 / 黒田城趾 / 一宮木曽川インターチェンジ の図柄になっている。黒田城は郵便局の南側にあった城で、山内一豊は天文14年(1545年)山内盛豊の三男として生まれている。

愛知木曽川黒田郵便局風景印
岐阜街道解説石柱 善光寺如来 葉栗郡出張所 石柱 道標
木曽川駅からT字路まで戻り北へ進む。すぐの交差点を左折して181号線を西に進む。すぐにJR東海道本線踏切 / すぐに名鉄名古屋本線踏切 を越える。5分足らずで190号線(岐阜街道)に合流する。すぐの中起交差点を越え、すぐの中起バス停から右方向に進む。すぐの北方中島交差点を直進、道なりに進む。5分足らずの左手に宝江渡し跡案内板 / 岐阜街道石柱 / 鉄枠で補修されている「善光寺如来 葉栗郡出張所」石柱 / 文政12年(1829年)造立の「左 なこや道 右 津しま起道」道標 がある。
木曽川橋

宝江渡し跡からすぐに木曾川に突き当たる。年末の寒さに負け、河川敷には降りていない。木曾川沿いの土手を南西に進み、寒風が通り抜ける木曽川に架かる全長462.4mの木曽川橋を渡る。

木曽川橋 木曽川

木曽川橋西交差点を右折して北東に進む。ここも年末の寒さに負け、河川敷には降りていない。

木曽川河川敷
町並み 法博寺 愛宕神社
木曽川橋西交差点5分足らずのY字路を左に、177号線を北へ進む。すぐすぐ左手に法博寺 / 門前に愛宕神社 がある。
町並み 案内板 / 御鮨街道石柱
愛宕神社からすぐに164号線と交差する。177号線と164号線の道路標識があり、左折して164号線を北西に進む。すぐに右折して北へ進む。5分ほどすると左手の問屋場跡に、社 / 案内板 / 御鮨街道石柱 がある。
秋葉神社 真教寺 笠松春日郵便局風景印
問屋場跡から5分ほどすると、右手に秋葉神社 / すぐ左手に真教寺 と続く。すぐに名鉄竹鼻線踏切を越えると、すぐ右手に笠松春日郵便局ある。風景印は、木曽川 / 河跡湖のトンボ / 笠松港渡船場跡の石畳 の図柄になっている。すぐ左手に春日神社 がある。
春日神社
春日神社から 10分足らずで境川沿いの道を進む。境川は木曽川が昔流れていた川筋にある。尾張国と美濃国の境となる川であったことから、境川と呼ばれていた。天正14年(1586年)の大洪水で木曽川は大きく流路を変えて南方に移動した。かつての流路には、支流からの水が流れ込むだけとなった。すぐに左折して境川を渡るが、往時に越えていた場所とは異なっている。
境川沿いの道 / 渡った橋
境川を渡り、すぐの交差点を右折して、北へ進む。すぐの西川手8交差点を越えた右手に社 がある。
すぐの東川手5交差点を右折、すぐの突き当りを左折して北へ進む。5分足らずで、岐大バイパスを潜る。5分ほどすると、右手に馬頭観音の祠がある。5分ほどのY字路の三角地帯に祠がある。
馬頭観音の祠
旧岐阜街道はY字路を左へ進む。15分足らずの左手にぶたれ坊と茶所(ちゃじょ)案内板 / 鏡岩濱之助造立の道標 / 鏡と彫られた円形石 がある。江戸時代の相撲力士二代目・鏡岩濱之助は土俵の外での素行が悪かったことを改心して、妙寿寺を創建した。ぶたれる為に等身大の木像を置いて、罪滅ぼしをした。また茶店を設けて旅人に茶を振舞ったと云われている。妙寿寺は廃寺となり、ぶたれ坊の像は岐阜駅南口に近い妙泉寺に移されている。道標には、正面に「東海道いせ路」 / 右側面に「江戸木曽路」と彫られている。
ぶたれ坊
[参考]妙泉寺
妙泉寺本堂 鬼子母神堂 由来の石柱
岐阜駅南口から187号線を南へ進む。岐阜駅南交差点の次の十字路を右折すると、右手に妙泉寺がある。岐阜駅南口から5分ほどのところである。本堂左手の鬼子母神堂前に“ぶたれ坊”由来の石柱がある。
旧岐阜街道は、すぐに旧中山道に突き当たる。右手に名鉄名古屋本線・茶所駅がある。ここからは旧中山道との重複区間となる。左折して西へ進むと、すぐ右手に中山道加納宿石柱 / すぐの十字路北西側角の案内所前にも中山道加納宿石柱 がある。
中山道加納宿石柱 中山道加納宿石柱
[寄り道]岐阜加納八幡郵便局 / 加納八幡神社
岐阜加納八幡郵便局風景印 加納八幡神社 秋葉神社
琴平神社 厚見稲荷神社 厚見稲荷神社
案内所前の中山道加納宿石柱から直進して西に進むと、すぐ左手に岐阜加納八幡郵便局 / 右手に加納八幡神社がある。岐阜加納八幡郵便局の風景印は、加納城大手門跡 / 加納城址石垣 / 和傘 の図柄になっている。加納八幡神社は文安2年(1445年)沓井城が築城されたとき、城の鬼門に位置する事から鬼門除けの神社として創建されたと云われている。天文7年(1538年)には既に廃城になったとされる。慶長6年(1601年)岐阜城は破却され、慶長7年(1602年)替わりに加納城が築城される。加納八幡神社は加納城の敷地にかかるため、加納城の鬼門除けとして現在地に移された。 境内社として、秋葉神社 / 琴平神社 / 厚見稲荷神社(2社) / 塞神社 がある。
塞神社