京成電鉄・特急開運号
新京成電鉄1500形
1500形は、昭和16年(1941年)に製造された2扉セミクロスシート車。4両が製造されたが、すべて制御車であった。昭和27年(1952年)特急開運号の運転の際し、1501と1503を電動車とした。
昭和28年(1953年)1600形の登場により、特急開運号の運用から外れる。1600形の検査代替や臨時列車の増発は、3両編成で使用された。このため昭和29年(1954年)に、テレビ受像機が設置が行われた。
昭和38年(1963年)3150形セミクロスシート仕様車(3191〜3194)が製造され、1500形は片開き3扉ロングシートに改造された。
昭和42年(1967年)新京成電鉄に譲渡された。昭和47年(1972年)に250形や800形同様の全金属製車体になり、モハ253 / モハ254 / クハ553 / クハ554 に改番された。昭和62年(1987年)に廃車となった。
谷津遊園に保存展示された旧車体の先頭車2輛
1600形更新アルミ車体
1600形は、昭和28年(1953年)に製造された特急開運号専用車両。正面2枚窓の湘南タイプで、日本の私鉄初の簡易リクライニングシートを採用していた。昭和29年(1954年)春には、鉄道車両で日本初の白黒テレビを装備した。
モハ1601+クハ1602の2両編成で、昭和33年(1958年)売店設備を持つモハ1603が増備された。
製造はこの3両1編成のみで、検査代替や臨時列車の増発は1500形が使用された。昭和38年(1963年)からは、3150形セミクロスシート仕様車(3191〜3194)が使用された。
昭和42年(1967年)3200形セミクロスシート仕様車(3291〜3298)が登場、1600形による運用はなくなる。
昭和43年(1968年)普通車に更新され、モハ1601はモハ1602 / クハ1602はクハ1601に改番となる。更新後のクハ1601には運転台はないが、当時の京成電鉄には「サ」の設定がなかった事による。
片開き3扉ロングシート / 青帯のアルミ車体 で、クハ2203とモハ704に挟まれて使用された。昭和49年(1974年)クハ2203+モハ1602+モハ704が行商専用列車の運用となり、編成から外れたクハ1601は廃車となった。旧車体の先頭車2輛は谷津遊園に保存展示された。谷津遊園は昭和57年(1982年)に閉園、数年で解体された。
津田沼第二工場に保存展示された旧車体の中間車
津田沼第一工場に留置されたクハ1603(右)

モハ1603はモハ200形タイプの車体となり、クハ1603となった。運転台付きの鋼製車体であるが、510形3両の中間に組み込まれていた。昭和51年(1976年)に廃車となった。
モハ1603の左後方に、両運転台 / 非対象扉 の車両が見える。車番は確認できない。
旧車体は津田沼第二工場に保存展示された。津田沼第二工場は昭和57年(1982年)頃に閉鎖、数年で解体された

3200形特急開運号(3298)
3200形特急開運号(3295) / 東京都交通局5000形

3200形は昭和39年(1964年)〜昭和42年(1967年)に88両が製造された、両開き3扉ロングシート車。3291〜3298の8両は、昭和42年(1967年)に特急開運号用として製造された。3150形セミクロスシート仕様車(3191〜3194)同様、片開き3扉セミクロスシートになっている。3292と3296には、トイレと車内販売準備室が設置されていた。
昭和48年(1973年)特急開運号はAE形による運用になる。昭和49年(1974年)にトイレが撤去されロングシート車になる。
3150形や3200形のセミクロスシート仕様車は普通列車としても使用され、数回乗車したことがある。
東京都交通局5000形は昭和35年(1960年)都営地下鉄浅草線の開業に際して製造された車両で、平成7年(1995年)まで使用された。