わらべ歌 & 昔話
川越市・三芳野(みよしの)神社
わらべ歌“通りゃんせ”は、江戸時代に歌詞が成立したといわれている。埼玉県川越市・三芳野神社 / 神奈川県小田原市南町・山角天神社 / 神奈川県小田原市国府津・菅原神社 が舞台であると云われている。
西武新宿線・本川越駅から229号線を北へ進む。仲町交差点から札の辻交差点までは、蔵造りの町並みになっている。札の辻交差点手前左手に、川越元町郵便局がある。郵便ポストは、蔵造りの町並みに合わせたデザインと色になっている。風景印は、時の鐘 / 蔵造りの町並み の図柄になっている。
川越元町郵便局 川越元町郵便局風景印
三芳野神社鳥居 三芳野神社社殿 三芳野神社絵馬

札の辻交差点を右折して東に進む。市立美術館 / 市立博物館 前のT字路を右折して南に進むと、右手に川越城本丸御殿 / 右手に大同2年(807年)創建の三芳野神社がある。長禄元年(1457年)太田道真・太田道灌による川越城築城以前から当地にあったが、川越城築城により城内の天神曲輪に位置することになった。 三芳野は川越の旧地名で、平安初期に成立した“伊勢物語”に「入間の郡三芳野の里」と記載されている。現社殿は、寛永元年(1624年)川越藩主・酒井忠勝が3代将軍・徳川家光の命を受けて造営したもの。
わらべ歌“通りゃんせ”は三芳野神社の参道が舞台と云われ、境内に“わらべ唄発祥の所”がある。
[交通]西武新宿線・本川越駅-(徒歩30分-三芳野神社

わらべ唄発祥の所碑
館林市・茂林寺(もりんじ)
館林市・茂林寺に伝わる“分福茶釜(ぶんぶくちゃがま)”は、木更津・證誠寺“狸囃子”や“松山騒動八百八狸物語”とともに日本三大狸伝説とされている。
東武伊勢崎線・茂林寺前駅で下車すると、左手に“ぶんぶくちゃがま”案内板と親子狸がある。南に進み、すぐのY字路を左に進む。すぐ左手にある茂林寺駅前郵便局には風景印が設置されていない。5分足らずの突き当りを左折して東に進む。すぐ左手に“たぬき横断中”標識がある。
案内板と親子狸 標識
茂林寺山門
茂林寺参道(山門〜総門) 茂林寺本堂と桜
“たぬき横断中”標識からすぐ左手に応永33年(1426年)創建の茂林寺参道がある。山門〜総門の参道両脇に20体ほどの狸が並んでいるのを始め、境内の至る所に狸が配置されている。分福茶釜は日本中で語り継がれている昔話のひとつで、所蔵する分福茶釜は一般参拝者も見学が可能である。
[交通]東武伊勢崎線・茂林寺前駅-(徒歩約10分)-茂林寺

古道具集めが一番の趣味である和尚さんが茶釜を買って寺に持ち帰り、汚れていた茶釜を弟子の小僧さんに磨くよう命じる。洗っていると茶釜が痛がったので、和尚さんに報告する。和尚さんは茶釜を水で満たして火に懸けるが何事もなかったため、「雑念があるからだ」と小僧さんを叱る。しかししばらくすると茶釜が熱さに耐え切れず動き出したので、気味が悪くなった和尚さんはたまたま近くを通りかかった貧しい古道具屋に茶釜を売ることにする。古道具屋は夜に買った鯛を食べようとしたところ、鯛がなくなっていた。茶釜を背負った狸が現れ、「魚を食べたのは自分です」と白状する。茶釜を背負った狸は、仲間との化け比べで化けて元に戻れなくなった姿であった。不憫に思った古道具屋は、狸が元に戻れるまで泊めることにする。狸はお礼に、綱渡りをする茶釜で見せて見世物小屋を開くことを提案する。成功した古道具屋は豊かになり、狸も寂しい思いをしなくて済むようになったと云う恩返しの話。

東武伊勢崎線・茂林寺前駅〜茂林寺間や参道には、狸のマンホールがある。
木更津・證誠寺(しょうじょうじ)
木更津駅西口から245号線を西に進む。3ッ目の交差点の先を左折して南に進む。矢那川を渡る手前を右折すると、突き当りに證誠寺がある。創建は慶長年間(1596年〜1615年)とも寛文年間(1661年〜1673年)とも云われている。
[交通]JR内房線・木更津駅-(徒歩10分)-證誠寺
證誠寺本堂

證誠寺には“狸囃子”が伝わる。昔、證誠寺の辺りは鈴森と呼ばれて竹やぶが鬱蒼と生い茂っていた。この森を住処とする狸たちは、訪れる人間たちを驚かして楽しんでいた。新しくやって来た和尚さんは、全く驚かない。ある秋の夜に庭で大狸が腹を叩いてポンポコと調子を取り、それを囲むように何十匹もの狸が楽しそうに唄い踊っていた。和尚さんは自慢の三味線を持って対抗する。囃子合戦をした挙句、夜が明けたら腹鼓で調子を取っていた大狸が腹を破いて死んでいた。不憫に思った和尚さんは大狸を懇ろに葬ったと云われている。

童謡記念碑 筆子塚 狸塚
境内には、昭和31年(1956年)造立の“童謡記念碑”/ 文政年間(1818年〜1831年)造立の“筆子塚”/  昭和4年(1929年)造立の“狸塚”/ 松本斗吟「朝蝉(あさぜみ)の 鳴いている也(なり)(さわ)やかに」句碑 がある。この伝説を元に、大正13年(1924年)野口雨情作詞 / 中山晋平作曲 による童謡“証城寺の狸囃子”が発表された。
往路を戻り、木更津駅西口から3ッ目の交差点を左折して北へ進む。すぐ左手に木更津郵便局がある。風景印は、東京湾を隔てた富士山 / 東京湾アクアライン / 狸塚 / 狸 の図柄になっている。 市中のマンホールは、「しょしょ 証城寺 証城寺の庭は」の歌詞に証城寺の狸囃子の図柄になっている。
木更津郵便局風景印 木更津市マンホール