日光例幣使街道・合戦場駅-(約10km)-楡木追分交差点
8月29日、栃木の天気予報は大雨警報だった。1日曇と決め付けて歩いたが、大きく外れる。前半は曇で快適であったが、後半は快晴で汗だくになる。

東武日光線・合戦場駅から東に進む。すぐの合戦場駅東交差点を左折して、日光例幣使街道を北へ進む。すぐの不二屋前バス停を過ぎると、すぐ左手に庚申塔 / 不明の神号碑 がある。

庚申塔 / 不明の神号碑
普門地蔵堂
升塚 宝篋印塔

庚申塔 / 不明の神号碑 から10分足らずの右手に、升塚案内板がある。右折すると、すぐの突き当りに升塚がある。大永3年(1523年)宇都宮忠綱と皆川宗成が戦った川原田合戦の両軍戦死者310人を葬ったと云われている。普門地蔵堂 / 宝篋印塔 / 十九夜塔 / 薬師 他に六地蔵や数多くの石仏石塔がある。 

十九夜塔 薬師

日光例幣使街道に戻り北へ進む。すぐの升塚交差点の先を右方向に進む。5分ほどすると右手に地蔵堂がある。

地蔵堂
街道寸景 猿田彦神社 宝筺印塔

地蔵堂からすぐに3号線に合流する。10分ほどの家中交差点を過ぎ、さらに15分ほどすると北関東自動車道を潜る。すぐ左手に猿田彦神社がある。境内に宝筺印塔 / 数多くの石仏石塔 がある。宝筺印塔脇の標柱に「史蹟 良仙院跡(宝筺印塔)」と記されている。

猿田彦神社から5分ほどの左手に、石仏石塔群がある。
石仏石塔群
豊年神社 ナンバープレート119の消防車 薬師如来坐像石柱

石仏石塔群から10分足らずの右手に豊年神社がある。さらに5分足らずの栃木消防署西方分署に、ナンバープレート119の消防車がある。5分足らずの左手に「重要文化財 薬師如来坐像」石柱がある。立ち寄っていないが、左折して東武日光線を越えたところに薬師堂がある。建治3年(1277年)造立の鉄仏で、事前に連絡が必要とのこと。5分足らずの右手に琴平神社がある。

琴平神社
10分ほどすると左折すると金崎駅に至る交差点があり、既に金崎宿に入っている様である。

金崎宿
例幣使道最後の宿場。本陣:1 / 旅籠:12 があった。

古い門 古民家 本陣跡

交差点から5分ほどすると、左手に本陣跡がある。

思川 夏草で覆われた土手道 地図に例幣使街道と表記されている道

本陣跡から5分足らずで宿場は終わり、Y字路を右へ進む。5分ほどすると293号線に突き当たり、右折して思川に架かる小倉橋を渡る。小倉橋東交差点から思川の土手道を進む様であるが、夏草で覆われいる。293号線を進むと、すぐ左下に北西方向に延びる道がある。地図に例幣使街道と表記されている道であるが、下る道がない。293号線を進み、すぐの交差点を左折する。すぐに地図に例幣使街道となっている道 / すぐに土手道から延びる道 と合流する。すぐ右手に磐烈根烈神社がある。例幣使一行が参拝したと云われている。例幣使街道沿いに石仏石塔群がある。

磐烈根烈神社
磐烈根烈神社から10分ほどの右手に、永延2年(988年)の創建と云われる磯山神社の案内板がある。さらに5分ほどすると、右手に磯山神社石柱がある。磯山神社社殿の画像は、壬生道(日光西街道)のときに撮影したもの。
磯山神社石柱 磯山神社
大木 馬力神 古民家

磯山神社石柱から5分ほどすると、左手に往時からと思われる大木がある。すぐに東北自動車道を潜ると、すぐ右手に平成28年(2016年)再建の馬力神 がある。5分ほどすると、右手に平成11年(1999年)造立の馬頭観音がある。

馬頭観音
馬頭観音から5分ほどすると追分交差点で日光西街道(壬生道)と合流、三角地帯に追分道標がある。「左 江戸道 右 中山道」と彫られているらしいが、判読はできない。ここから楡木宿に入る。例幣使はここから日光西街道(壬生道)に入り、今市宿から日光街道へ入り東照宮に幣帛を奉納した。
追分道標
壬生道(日光西街道) 楡木宿
所在地:栃木県鹿沼市

宿の北西の方に住む百姓・秀蔵の家の後ろに楡の大木があったことによると云われている。南で壬生道と例幣使街道が合流するところにあり、宿場として発達した。当初はは壬生領で、元禄以後は奈佐原宿とともに幕末まで天領であった。往時の面影はない。
天保14年(1842年)
家数:128軒 / 人数:511人 / 本陣:1 / 脇本陣:2 / 旅籠:15軒

楡木駅には、楡木町交差点からすぐのT字路を左折する。間違って楡木町交差点手前を左折する。すぐ左手に馬力神がある。

馬力神

東武日光線の手前の十字路を右折して北へ進み、突き当りを左折すると楡木駅がある。12:30頃に楡木駅に着く。無常にも11:52の後は13:10になっている。通過する特急列車や下り列車を撮影しながら、列車到着を待つ。

通過する特急列車 下り列車